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3・鬼神、皇臨 前編

 





八戸出 萬の返事は簡潔だった。

 

曰く、「少し考えさせて貰いたい」と。

 

退席した彼の背中を追うようにドアへと視線を向けていたジェフリーは、ふうと息を吐いて力を抜いた。

ただの要請のはずだった。そもそも訓練生相手にこの場の最高責任者が“要請”するというのもおかしな話であるが、とにかく話をするだけのはずなのだ。しかし。

 

何でこの娘っ子たちは殺気だったかと見まがうほどに緊張していたのだろうか。


「……ふう、どうも勝手が違いますわね。気にしすぎだとは分かっているのですけれど」


深く息を吐きながらそう言って、椅子に体重を預ける蘭。その顔には普段あまり見られない自嘲じみた表情が浮かんでいた。

躊躇しているのか? この天上天下唯我独尊を地でいくような少女が? 


(躊躇するのは向こうの方だと思うのだが……)

 

司令直属部隊――チームインペリアルへの異動。一回の訓練生がGOTUIの切り札とも言える部隊へ誘われたのだ。普通の神経を持つ人間なら尻込みするだろう。

ただでさえGOTUI上層部には不透明で様々な噂が絶えないというのに、わざわざそこに近いところにいる蘭の直属になりたいという人間がいるだろうか。ちょっと考えれば分かる事だ。まあ逆に出世の糸口だと考える無謀な人間もいるであろうが……。

八戸出 萬はそのタイプではなかったらしい。


「それにしても……なぜ命令という形を取らなかったのかね? 君は上官……いや、ここでは上司なのか、その最上位といってもいい。訓練生一人に気を使う必要はなかろう?」

 

そんなジェフリーの問いに答える蘭の表情は、出来の悪い生徒に語り掛ける教師のようにも見えた。


「ただ命令に従うだけの“手下”など、わたくしは必要としていませんわ。自分で判断し、自ら進んで我が元にはせ参じる“同志”……いえ、“共犯者。”そういった人間を求めていますの。腹に一物あるは当然、むしろアクの一つもなければTEIOWテイオウを使いこなすなどとてもとても」

戦略(タクティカル)掃討(エリミネート)兼迎撃(アンドインターセプト)超越兵器(オーバードウェポン)……か」

 

それは現在、チームインペリアルが運用している試作機動兵器。GOTUIが持つ全ての技術をつぎ込み誕生したその開発コンセプトは、単体にて戦場を支配する……すなわち“一騎当戦。”かつては夢物語と言われたその発想であるが、長きに渡る戦役の中で僅かに成し遂げた存在があった。数々の侵略者たちを打ち破った極東の特殊機動兵器群しかり、数々の武勲を立て終いには地球に落下する隕石すらも砕いたと言われるエースパイロットたちしかり。ならば技術が進み戦いのノウハウも蓄積された現在ならば、それを成し遂げられる物を新たに生み出すのは不可能ではない。GOTUIと言う組織は大まじめにそう考えたのだ。

 

自己再生能力を持つ半生体金属バイオメタルを基本構造材として使用した機体。メンテナンスフリーを目指し用いられたナノマシンによる自己修復、自己調整機能。特殊宇宙放射線や光子に含まれるエネルギーなどの様々なフリーエネルギーを源とする6種6基の動力。無制限とも言えるエネルギーを有効活用するために導入された魔道技術による各種制御、戦闘機構。事実上無制限とも言える演算能力と容量を持つ多次元積層光基結晶体をCPUとして用い、さらに“意志を持つデータ生命”である人工精霊を憑依させメインOSとした憑依型人工知能。

馬鹿と冗談が総動員された結果、誕生した30メートル級の可変人型機動兵器は、莫大なコストと引き替えに想定された以上の性能を保有するに至った。しかし、その性能と反比例するかのように乗り手を選ぶ、名実共に“わがままな”兵器という有り得ない存在へと成り下がっている。

そのわがままさに認められたパイロットは現在三人。彼らは現在まで幾度かTEIUWを駆り極秘裏に実戦テストを行ったが、その戦果は正しく戦場を支配する皇帝と評されるほどのものであった。馬鹿と冗談を総動員された鬼子は超絶の戦士たちという魂を得、想像以上の怪物としてGOTUIの戦列に加わる事となる。

 

正しく切り札(ジョーカー)。ゆえにTEIOWとそれを駆るパイロットは司令たる蘭の直下におかれているのだ。GOTUI――いや、“天地堂一族最高傑作”の元に。

 

八戸出 萬という青年がその一翼を担うに相応しい人間か。そう問われたならば、ジェフリーは首を傾げざるを得ない。疑問に思うのではなく“分からない”から。

能力的には十分かとも思える。だがその精神はどうだろうか。一歩間違えれば内在的な驚異を自ら抱き込む事になりかねない。まあそれを言ったらチームインペリアルの人間はどいつもこいつも一筋縄ではいかない人物ばかりなのだが、萬は彼らにはない、危うさのような物が見え隠れしている……ようにも思える。長年監察役として人間を見てきたジェフリーの勘でしかないが。

それを分かっているのかいないのか、蘭は顎に手を当てて何やら考え込んでいた。ややあって、ふと思い付いたかのように面を上げ、傍らに控えていた弾みに声を掛ける。


「……ジェスターはどうしていますか?」

「は、外部端末を使用し独自に八戸出様の周辺調査を行っているようですが」

「ふむ……引き込むためには一押ししておいた方がよいやも知れませんわね。……やいば」

「ここに」

 

蘭の声に応え虚空からしみ出るように現れたのは、ロングスカートのエプロンドレスを纏った正統派なメイドの姿をした女性。良く見ればロングヘアーという違いはあれどはずみとほぼ同じ顔をしている。恐らくは双子なのだろう。そのやいばと呼ばれた女性はスカートの裾を掴んでジェフリーに軽く一礼し、蘭へと向き直った。


「いかなる御用でしょうか?」

「ジェスターの補助を行い、八戸出 萬の身辺調査を行いなさい。そして機会があれば彼の思惑を探り出すように。……できれば勧誘しておきたいところですが、なまなかな手では彼は揺らがないでしょう。下手を打てば反発を招くと思われますし、くれぐれも無理をしないよう」

「具体的にはどのあたりまでが無理ではないのでしょうか?」

 

妙な疑問だとジェフリーは思った。わざわざ聞くほどの事でもないと。

その問いに蘭は小首を傾げてこう答えた。


「…………ぱんつちらりまで、ですかしら?」

 

ずるりと椅子からずり落ちそうになるジェフリー。

それは何だと言う事はできなかった。その前に目の前の娘っ子どもが勝手に話を進めたからだ。


「最近ではがっつり見せる場合もあるそうですが」

「あれはぱんつじゃないものではなかったかしら? 殿方の心を惹く基本はほのかな色気だと聞きましたけど」

「あからさますぎるのは、やはり退かれますでしょうか?」

「そうですわね。……例えば一型を着込んで迫っても、皆が皆喜ぶとは限らないでしょう? TPO、雰囲気、そのような物を考慮にいれなければかな魅力であろうとも効力を発揮する事は叶わない。そういう事なのではないでしょうか。具体的には空気読め、って話ですけど」

「難しい物ですな色仕掛けとは。……後頭部に零距離でラバーブリッド打ち込んでかっさらって地下室にて“説得”するのが一番手っ取り早いような気もいたしますが」

「それは最後の手段にしましょう。説得の手間を考えると効率がいいとは言えませんし。なにより色仕掛けならただでできるのですから、コストパフォーマンスの面から考えてもそちらの方がよくなくって?」

「なるほど、このはずみ、感服いたしました」

 

何の話をしているかこいつら。呆れ返って物も言えないジェフリーはげんなりと肩を落した。

実際この会話は彼女ら流のジョークなんだろうが、どのみち彼女らと相対する八戸出 萬は精神的な苦労をおう事となるだろう。心の中で応援する事しかできないが負けずに頑張って欲しいと、冗談抜きでかなり真剣に同情する。

そんな事を考えていたジェフリーは気付かなかった。ふざけた事を言い合っている目の前の少女たちの目に、僅かな失望の色が浮かんでいるのを。


 













鈍い灰色。それが八戸出 萬の瞳の中にある色だった。

 

白でも黒でもない、全ての絵の具の色を合わせたような、混沌とした色。

 

求めていたあの、閃光のような輝きを秘めた色ではない。

 

時の流れが、その色を変えたのだろうか。それとも……やはり彼ではないのだろうか。

 

愚かな事だと分かっている。かつて出会った、心を振るわされた存在と再び相まみえる。そんな都合の良い話があるはずもない。それでも……今一度。求めるのは本能に近く、事あれば機会を伺った。

 

その果てに偶然見出したのが八戸出 萬。しかしまた裏切られたのだろうか。

 

心の隅にある虚無感を隠さんがため戯ける少女たち。

 

その心は本人たちが思っている以上に落胆しているようであった。


 













訓練生は三ヶ月に一度の割合で基地外に外出可能な休暇を与えられる。

待ちに待ったその日が訪れ、1444小隊総員は揃って外出許可を得ていた。

 

グランノアは空間跳躍ゲートにより地球各部と常時アクセス可能となっている。大規模な軍勢や多量の物資などは質量等の関係上その限りではないが、少人数程度であれば何の支障もない。

 

むやみやたらと荷物とか持ち込まない限りは。


「土産はゲート出たトコとかで買っとけやユージン」

「しかしな、ここでしか売っていない土産物とかがあってだな」

「GOTUI最前線饅頭とか山ほど買ってどーすんのさ」

「隣近所に配りまくるんだが?」

「……お前の隣近所ってのは四方1キロくらいの範囲を言うのか?」

「ちなみにうちの近所には10件くらいしか家がなくてあとは10キロほど離れている」

「過剰だよ明らかに!」

 

……とはいえいくら何でも個人が持ち込める量で規制が掛かるはずもないのだけれど。

 

ライアンもフェイもユージンも明らかに浮かれていた。無理もない、今日まで常識はずれの訓練をこれでもかと受けてきてやっと羽目が外せるのだ。あんまり調子に乗ったりすれば後でえらい事になる可能性があるとはいえ、開放的な気分になるのもやむを得ないであろう。

 

だが……仲間が浮かれ騒いでいる最中、ただ一人萬だけが何か思い悩むような様相を見せていた。


「? どうした萬、何か調子でも悪いのか?」

 

いち早くその事に気付いたユージンが気遣うが、萬はいやと頭を振って遠慮を見せる。

妙だなと三人が顔を見合わせる中、萬はふと思い付いたかのように問いを投げかけた。


「なあ聞いて良いか? なんでお前らここに入った?」

「?? ここって、GOTUIにって事か?」

 

ああと頷く萬をみて、コイツどうしたんだと三人は首を傾げる。何か今さらな話だが……まあ別に、隠すような事でもない。それぞれが少し考えてからそれぞれの応えを返す。


「俺はアレだ、一型ガン見のため……ってのは冗談で、まあ田舎で自警団じみた民兵やってても先がなさそうだったんでな。自然解散する前に鞍替えしようって思ったわけだ。訓練は受けてたんで、そこそこイケると考えてたんだが」

「僕は、自分の技術がどこまで使えるか試してみたかったのさ。幸いというか、諸事情によって実家の後継者レースからは外れちゃったし、ならば心機一転と、ね。実際井の中の蛙大海を知らずって言葉が身に染みて理解できたよ。思った以上に有意義だ」

「……家族ファミリーを護るためだ。この世界、家族の愛するこの大地が、クソ野郎どもに蹂躙されるのは我慢ならん。神はお許しにならないかも知れんが、そもそもクソ外道を駆除するのに神の許しはいらんだろう。最前線で一人でも多く侵略者やつらをぶちのめす。それだけだ」

 

三人三様の答えを返し、それが一体何なんだと疑問の視線を向ける。それを受けた萬は、曖昧な笑みを浮かべて言う。


「そうか……あるんだな、みんな。理由ってヤツ」

「……お前はどうなんだ、萬」

 

訝しげな顔をしたユージンが問い掛ける。返ってくる声には、どこか力がなかった。


「俺は…………どうなんだろうな。なんで……何のためにここに来たんだろう」

 

顔を見合わせる三人。そう言えば、ここに来る前のこいつの話、聞いた事なかったなと今さらながら気付く。


「家族は?」

「親は死んだよ。もう7年になる」

「っ! 悪かった」

「いや、昔の話さ」

 

失言だったとユージンは即座に謝罪するが、萬は気にしていないと頭を振った。そして戸惑う三人に背を向け、ゲートの方へ向かう。


「つまらない事を聞いた。……休暇、楽しんでこい」

 

片手をふらふら振りながら去っていくその背を、三人は見送る事しかできなかった。

 

萬が向かう先は彼が生まれた地。

 

そして彼が全てを失った地。

 

日本。















「ふ、くっ……」

 

入国手続きを終え、ゲート管理局の玄関から表に出た萬は大きく伸びをして久しぶりに日本の空気を堪能した。

 

あまり記憶に残らない地ではあるが、どこか懐かしさを覚えるのはやはり故郷だと言う事なのだろうか。一瞬だけ詮ない考えに捕らわれるが、まあいいさと気持ちを切り替え隣接するバスの停留所へと向かう。

 

と、その足が何か柔らかい物をぶにょんと蹴りつけた。


「ぶにょん?」

 

妙な足応えに眉を顰め、何だと地面に目を向けると。


そこには何か奇妙な生物なまものが顔面から地面に突っ伏してぴくぴく痙攣していた。

 

見た目はそう、デフォルメされたひよこ。頭と胴体が一体となった球状の身体を持った、真っ赤なぬいぐるみのように見えるが、ぬいぐるみはこんなに生々しく動いたりしないだろう。だが普通の生き物にこのようなものは存在していない。最近動物園やらでちらほら見掛ける異世界や外宇宙の生物でもだ。と、いう事は――


「誰かの、使い魔か?」

 

生物に擬態させている魔法術式であるタイプの使い魔であれば、このようなぬいぐるみ状の怪物体となっていてもおかしくはないのだが……そうであれば主人となる人間が近くにいるはず。何か用があって離れているという事も考えられるが、そうであってもこのように不用心に人目の多いあたりで行動するだろうか? 専門家ではない萬から見てもおかしいような気がしている。


「なんだかなあ……とにかく大丈夫か、お前」

 

首根っこ――というか背中のあたりを掴んで持ち上げてみる。ハンドボール大のそいつはさしたる抵抗もなくあっさりと持ち上がった。正面から覗き込んでみれば、ご丁寧に目を渦巻き状にしているという細かいエフェクトを見せている。しばらくそのままぴいいと唸っていたそいつは、はたと意識を取り戻し萬としばらく見つめ合った後、だらだらと脂汗を流しながら視線を逸らした。

芸の細かいヤツだと内心半分感心、半ば呆れしつつ、萬はそいつに声を掛けた。


「悪かったな、ダメージはないように見えるが……どこかおかしいところはないか?」

 

その言葉に、きょとんと目を丸くする使い魔。普通、使い魔は“使い勝手のいいラジコン”くらいの認識で見られる。主人が側にいる時ならともかく、単体で行動している状態でこのように人間に接するかのように気を使った態度を取る者など滅多にいない。

もっとも萬の場合は使い魔に対する知識を多少なりとも持っている事もあって、精神を同調しているかもしれない主人に不快な思いをさせるのはちょっとなと考えているだけであったが、そんな考えが分かるはずもなかった。

 

使い魔はふるふると身体を揺すって、大事ないと萬に伝える。萬はそうかと応えわずかに安堵の表情を見せ、軽く使い魔の埃を払い、優しく地面に降ろしてやる。


「こういう危ない事もあるからな、気を付けろよ? ……じゃあな」

 

軽く別れの言葉を告げ、身を翻す萬。そのまま振り返る事なく歩む。

 

てくてくぴょこぴょこ。

 

てくてくぴょこぴょこ。

 

てくてくぴょこぴょこ。


「……何で付いてくるのお前」

 

進めていた歩みをぴたりと止め、振り返らずに背中に問う。背後の地面にはぴよ? と小首を傾げる使い魔の姿が。

誰かの監視か何かか、そんな考えが真っ先に浮かぶ。つい先日の招聘、それ関係で目を付けられていてもおかしくはない状況だ。有り得ない話じゃない。


(……けどまあ、構わないか)

 

即座に考えるのを放棄する。もしここまであからさまにやるのならば相当に間抜けな相手だろうし、第一見られて困るような真似をするつもりは全くないのだ。見たければ好きにしてくれと萬はさじを投げる。


「行くぜ。蹴飛ばされないよう注意しとけ」

 

結局振り返らないまま、萬は丁度停車していたバスに向かって歩き出す。もちろん使い魔はぴょこぴょことその後を追っていく。

 

その様子をゲート管理局玄関の端からこっそり観察している影があった。

 

完璧なまでのメイド姿に、やたらと怪しいサングラスという格好のその名は、留之 やいば。GOTUI特務旅団司令の副官というか個人的従者として仕えている人物である。

バスに乗り込む萬と丸いひよこの姿を確認し、一つ頷いてどこからともなくメモ帳を取出す。そして手早く何か書き込み始めた。


「胸キュン度軽。使い魔相手でも優しさを忘れないところにポイント……と」

 

書き込みを終えると、停留所の端に留めてあったやたらとごつい黒塗りの外国車のドアを開け迷わず乗り込む。運転席に座るのは天地堂一族子飼いの男。その人物に向かって「追って下さい」とだけ告げれば心得たとばかりにバスの追跡が開始される。

 

校外に向かって約30分。幾度も戦火にさらされ、壊滅と復興を繰り返している光景が窓の外を流れる。日本だけではない、今世界各国どこへいってもこのような光景が広がっていた。

このような事が続けば国も、民衆も疲弊していく。そしていつか立ち上がれなくなる時が来るだろう。

そうなる前に、戦いを終わらせねばならない。そのために……。


(……っと、そんな事を考えている場合じゃなかった)

 

詮ない事を考えたと、やいばは意識を戻しバスの方へと向ける。

しばらくして緑が多く見られるようになった場所にある停留所で萬と使い魔が下車する。やいばも彼らに気付かれぬよう停めた車から降り、こっそりと後を付けていく。そして辿り着いた先は――


「ここは……」

 

墓地。

 

比較的新しく作られたそこに迷わず足を踏み入れた萬は、管理事務所で手桶と掃除用具を借り、線香と花を購入して奥へと進む。

 

飾り気のない、シンプルな形をした墓標が並ぶ中に、それはあった。

記された名は二つ。

 

八戸出 番太。

 

八戸出 奈衣菜。

 

その墓標を丁寧に洗い、周囲を手入れし、花を添え線香を上げる。両手を合わせて無心に頭を垂れる萬の背中に語り掛ける事ははばかられたが。


「……なんだ、来てたのかい。来るなら来るって言ってくれりゃあいいのに」

 

遠慮なくかけられた声に対し、萬は振り返る。そこに立っていたのはスーツ姿の四十がらみに見える女性。どことなく萬に似通った顔立ちをしたその女性は、苦笑を浮かべて萬を見ていた。


「有理華さん……」

「ばあちゃんでいいっての。こんなババアに気ぃつかってどうするんだい」

 

反爬 有理華。萬の母親である八戸出 奈衣奈の母親、つまり萬の祖母に当たる人物である。有理華は萬に並んで墓標に向かおうとして――足下の使い魔に気付く。


「……何だかけったいなモノ連れてるねえ。どうしたんだいコレ?」

「知らん。何か勝手に付いてきた。特に害もなさそうなんで放ってる」

「そりゃよかった。コイツがオレの嫁ですとか報告に来ているんだったらどうしようかと思ったよ」

「いくら何でも無理だよ、それは」

 

軽口を叩いた後、萬と同じように墓標に向かう有理華。しばし手を合わせた後面を上げ、振り返らないまま萬へと問い掛ける。


「……何か、あったのかい?」

「たいした事じゃあ、ないさ。……ちょっと悩んでてね」

 

有理華には、萬に対する引け目があった。17年前、まだ二十歳かそこらの年齢であった萬の両親が結婚したいと言い出した時、有理華は猛烈に反対した。自身も若気の至りでまだ未成年だった頃に無理矢理結婚し、それが大失敗に終わったという経験を踏まえた親心からのものであったが、無闇に意固地になりすぎて話はこじれ、結果二人は駆け落ちし姿をくらませてしまった。

 

その後も意地を張って行方を捜す事などしなかった。そして……7年前、突然の訃報。

 

死ぬほど後悔した。なぜ二人の仲を許さなかったのか、そうでなくてもなぜ行方を捜さず放置していたのか。絶望し悲観し、全てを忘れようとするかのように仕事に打ち込んで寝食も忘れがむしゃらに突き進んで数年、行方不明で生存を絶望視されていた二人の遺児が生きていたという知らせが入る。矢も楯もたまらず全てを放り出して会いに向かった。引き取って己の全てを捧げ今度こそ幸せにしてやろうと思った。けれど。


「アンタにゃ何もしてやれなかった。けど、愚痴ぐらいは聞いてやれるよ。よかったら話してごらん」

 

その子の目には、輝きがなかった。少年らしい夢や希望の代わりに、老人のような諦観と悟りの色があった。がむしゃらに生きようとする意志はあるのに、何のために生きるのか分かっていなかった。

 

この子をこんな風にしたのは自分だ、その思いが有理華を苛む。だから躊躇しその心に一歩踏み込む事ができない。それでも、何もできないけれど、この子の力になってあげたい。だから聞かせて欲しい。それでこの子の心が少しでも軽くなるのならば。


「……お偉いさんに、直属にならないかって誘われたんだ」

 

軍に入るのは正直反対だった。しかし、引き取った後一般の学校に編入させた萬は周りから浮いていた。無理もない、戦時とはいえ戦いとは直接関わっていないそこいらの子供と、数多の修羅場を潜り抜けてきた萬とは大きな隔たりがあったのだ。このままでは良くないと思っていたところに萬本人からGOTUIに入隊したいと話を持ちかけられ、引け目もあってつい許してしまったのだが……上の人間から認められたのか。喜んでいいのかどうか、複雑な心境で萬の話に耳を傾ける。


「オレは、そう簡単に死にたくない。死ぬわけにはいかない。あの日からずっとそう思ってた」

 

萬の脳裏に浮かぶのは、ささやかながらも平和な日々が砕かれたその時の光景。

 

7年前に起こった侵略勢力の日本侵攻。その時、萬の暮らしていた街は戦火に包まれた。避難の途中で降り注ぐ火砲の雨。そして――萬と奈衣菜を庇い、番太は致命傷を負う。

 

――奪われてたまるかよ、オレの、宝を。……行け、振り返らずに行け!

 

内蔵が腹から零れるほどの傷を負いながらも、不敵な笑いを浮かべて瓦礫を支え、二人を逃がした番太。そして。

 

――生きなさい。どんな事があっても、歯を食いしばって生き抜きなさい。

 

全身に火傷を負いながらも煉獄を駆け抜け、避難所で優しく微笑みかけながら息絶えた奈衣菜。

 

幼い心に二人の言葉は刻まれ、それが萬の生き抜く原動力となった。


「けど、がむしゃらに生きていくうちに、大勢に迷惑をかけた。他人を見捨てた事もあった。……人も、殺した」

 

偶然巻き込まれた密輸組織と公安との戦闘で、何とか潜り込んだ難民キャンプで、革命を目指すゲリラと政府軍とのいざこざで、自分を受け入れたスラム街で。

 

生き抜くためにどれだけのものを犠牲にしてきたのだろう。

 

そんな人間が、今さら普通の生活などできようはずもない。たった数ヶ月とは言え学校とやらで骨身に染みてそれを理解したから、一番マシそうな軍事組織であるGOTUIへと入ったのだ。戦いの中で生き抜く事しかできそうになかったから。

 

しかしそれも、もしかしたら間違いではなかったのか。今になって、司令直下なんてものに選抜されて初めてそう思う。


「軍隊で上に認められるって事はさ、人殺しが上手いって言われているようなもんだ。でも、父ちゃんや母ちゃんが求めていたのはそういう事じゃないと思う。オレは、二人の思いを裏切っているんじゃないか、そう思うと……いや、違うな。二人の思いを言い訳にして最低の野郎になり下がった。そんな気がする」

 

それは違う。有理華はそう叫びたかった。どんな形でも生きていて欲しかったのだ、自分がそうなのだから。

思いっきり抱きしめてやりたかった。お前は何も悪くないとそう言ってやりたかった。しかし心の中にあるわだかまりと、どこか萬の意見に同調する自分とが邪魔をして一歩が踏み出せない。


(情けないじゃないのさ! 慰めてやる事すらできないってのか、アタシはっ!)

 

俯き、唇を噛む。二人の間は遠く、手を差し伸べるには勇気が足りなかった。これでは、このままではいけないのに、動くことができない。沈黙が重くのしかかる。

 

声が響いたのはその時だった。


「……青いな」


はっと、二人揃って声の掛かった方を見る。そこには――


「だが、人として当然の事。思い悩まず徒にその手を血に染めるものなど最早人にあらず。それはただのゲスに過ぎん」

 

ついさきほどまでコミカルな様子しか見せていなかった使い魔。その雰囲気が豹変し、外見に似合わぬ威厳のような物を身に纏っている。


「お前、一体……?」

 

唖然として呆けた声で尋ねる萬に、“それ”は応えた。


「申し遅れた。我はジェスター、GOTUIが切り札たるTEIOWが4番機、TX-04の制御を司る人工精霊憑依型人工知能である」

 

一礼するそれに、目を丸くする萬。そんな彼の様子を気にせずに、ジェスターと名乗ったそいつは話を続けた。


「一つ貴公の勘違いを正しておこう。貴公を選抜したのは上層部――蘭嬢にあらず。この我が見初め、中央情報管制機構ノルンが承諾したが故の事だ」

 

尊大に言い放つ。その言葉に、呆けていた萬の表情が険しい物となった。


「武器が、使い手を選ぶってのかよ」

「然り。だが甘く見てもらっては困る」

 

不敵な笑み。萬はその笑みをどこかで見たような気がしていた。


「驕るな。貴公よりも人殺しが上手い者など掃いて捨てるほどおるさ。腕の良い乗り手ならもっとな。しかし“それだけの存在”なんぞ我は求めておらぬ」

 

つぶらな瞳が萬を射抜く。それだけで気圧された。


「我が存在意義は“理不尽を持って理不尽を叩き潰す”事。……貴公はその目で見てきたはずだ、この世の理不尽を。そして燻っているはずだ、そんな物を許せぬという思いが」

 

びくりと萬の身体が震えた。そんなはずはない、そんな心はとうの昔に枯れ果てたはずだ。否定しろ、そんな資格は自分にはないと。そう思いこもうとするが口には出せない。


「違うとでも言いたそうだな。ならばなぜ最善以上を尽くそうとする。訓練だけではない、時間があれば医療、魔道関係、整備技術、その他諸々を貪欲に学び取ろうとしている。戦うためだけならば――己が生き抜くためだけならば必要のないものを。我は見ていたぞ」

 

黙り込む萬は気付いていなかった。必死で否定しようとする自身の心の奥で、何かが呼び覚まされようとしているのを。

 

少し離れた場所で様子を伺っていたやいばは思う。彼はどのような選択をするのだろうかと。

 

自己申請ではあるが彼の過去はある程度知っている。不幸とか、運が悪いとか言うレベルではない。よくぞ生き残ったものだとしみじみと同情するほどのものだった。そんな彼が、降って湧いたような話を訝しみ躊躇するのは分からないでもない。話を受けないのであればそれもやむかたなしと思う。

もし彼が“彼 ”であったとするならば――止めよう、こんな仮定は無意味だ。頭を振るその耳に――

 

携帯から緊急を告げる呼び出し音が飛び込んだ。


 













背後にくろがねの巨体、眼下に無数の軍勢。

 

風をはらむコートを翻し、堂々と立つその男はニヤリと笑った。


「ショウ、ダウン」


 













降って湧いたような喧噪が中央司令室を満たす。


「月軌道警戒エリアに大規模空間転移反応! 大型艦だけで50、揚陸艦艇多数! 星系外縁部からの侵攻と推測されます!」

「軌道防衛艦隊が迎撃に向かいました。ですが揚陸艦艇の侵攻速度が速く、抜かれます! 降下軌道から目標を推測……出ました! 各地の侵攻エリアに散開……重点的に降下しているのは3カ所、カリブのゲートジャンクション、極東日本。そして……ここです!」

「アラートフェイズ1へ移行。総員戦闘態勢。非戦闘員は速やかにシェルターへ。グランノア、防衛形態バイザーモード

 

オペレーターの声が飛び交う中、司令席に座った蘭は優雅な仕草で足を組む。突然の非常事態に対し、余裕の表情であった。


「惑星軌道上に大規模空間転移とは、やりますわね。見事な奇襲ですわ」

 

指揮官が替わったのだろうか、今までの侵略勢力からは考えられない手際の良さだ。特にここに目を付けるとはなんというタイミング。新兵器の情報でも掴んだか。


「いずれにせよ、歓迎して差し上げねば。……現在駐留している特務旅団全部隊、迎撃態勢へ。訓練生も半年以上期間が過ぎている者は出しなさい」

「は? し、しかし正式に任官されていない者を出すのは問題が」

「丁度良い機会です。この機に実戦の空気という物を肌で味わって貰いましょう。生き残れば良い戦士となります」

 

一瞬灰色の目をした青年の顔がよぎるがそれを打ち消し、目を細める蘭。


「現在稼働可能なTEIOW全機にスクランブル。01は軌道艦隊に、02は日本に、03はカリブにそれぞれ援軍として向かわせなさい。ここに集中させていては向こうの戦力を呼び込んでしまう事にもなりかねないでしょう。通常戦力だけで蹴散らしますわよ」

 

言い放ち蘭は司令席から立ち上がる。


「それとわたくしの“杖”を用意なさい。直上にて陣頭指揮を執ります」

『なっ!』

 

オペレーターが一斉に驚きの声を上げる。傍らに控えていたジェフリーも、流石に見咎めて声を掛けた。


「いくらなんでもやりすぎだろう。指揮官が真っ先に矢面に立ってどうする。……君も止めたまえ」

 

話を振られたはずみは、言っても無駄ですよとでも言いたげな表情を見せただけだった。そして蘭は不敵に笑う。


「正規軍や数多の防衛組織を差し置いて我等の元へおいでになるというのです。ならば代表たるわたくし自ら出迎えねば礼を欠くというもの」

 

目は笑っていない。燃えるような決意と断固たる意志がそこにはあった。荒れ狂う嵐を幻視したように思えて、ジェフリーは押し黙った。

 

蘭は振り返り巨大なモニターを仰ぎ見る。敵はまだ見えない。しかし真っ直ぐに天空を見据え、彼女は覇王のごとく宣言する。


「誰に喧嘩を売ったのか、教えて差し上げますわ」







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