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1・無双なる『凡人』 前編

 




鬱蒼と茂る森林。

 

無秩序でありながら、どこか整然と立ち並ぶ木々。地を覆い尽くし、絨毯の如く広がる下生え。

 

長きに渡って人間の進入を拒み続けたその静寂を切り裂いて、今一人の乱入者が地を駆ける。

 

その疾駆には無駄がない。最速を、最短を追い求めながらも全ての気配を絶たんとし、最小限の動きで無駄な音を極力控えながら駆け抜ける。

 

人間の限界に近い疾駆は果てなく続くかとも見えたが、何を感じたかそいつの耳と鼻がひくりと反応する。

「…………ちっ!」

 

舌打ち一つ打って、そいつは擦過音を立てつつ急停止。身を低くした姿勢のまま、周囲を油断無く索敵する。

ぼさぼさで目元まで覆っている髪、軍の放出品らしい迷彩パンツにタンクトップ、頑丈そうなブーツ。ナップサックを背負った一見軍の訓練兵にも見える青年と少年の中間くらいのそいつは、髪の間から覗く鋭い瞳で前方を睨め付けた。


「よくぞお気づきになられました」

「お見事、正しく野獣の如きセンスですな」

 

二つの声と共に風が舞う。まず現れるのは天空より怪鳥の如く舞い降りる影。続くは舞い散る木の葉と共に空間から滲み出るように現れる影。

 

天空より降り来たるは、長袖とロングスカートの服の上からエプロンを纏い、カチューシャのような髪留め(ヘッドドレス)まで装備した、紛う事なき――メイドさん。

 

空間より滲み出て来たのは、皺一つ無いスラックスと糊の効いたシャツを纏い、蝶ネクタイとベストと単眼鏡を装備した男装の麗人――執事さん?

 

恐らくは双子なのだろう。ロングヘアーとショートカットの差こそあれ、まだ幼さを残した端正な顔や、服の上からも見て取れる体格背丈、何より放つ雰囲気が鏡で映したかのように瓜二つであった。

二人の表情は揃って人を安心させるような微笑。しかし対峙している男は緊張を解く事なく、僅かに歯を軋ませる。しかし意識してか口からこぼれる言葉は軽い。


「……化け物じみてるねえ。」

『お褒めに預かり恐悦至極』

「褒めてないぞ?」

 

揃って優雅に一礼する二人に半ば呆れながらツッコミを入れる。しかし二人は毛程も動じず澄まして答えを返した。


「我らにとっては十二分に褒め言葉。主の望みに応じ如何なる困難をも打破するのが我らが役目」

「その為ならば人である事を捨て化け物にも至りましょう。それを誇りましょう。我らはそのような存在に御座います」

 

胸を張って宣う二人の様子に少し頭痛を覚える男。見知ってそう長くはないが段々とおかしなキャラになってくるよこの人達、そうは思ったが言っても不毛なだけだから口には出さない。

 

男の態度を隙と取ったか、二人は一歩前に踏み出す。表情も雰囲気も変えぬまま、修羅の如き闘気だけが膨らむ。


「さて、積もる話も御座いますがそれも勤めを果たしてからの事。大人しくしろとは申しません。……全力でおいでなさいませ」

「一瞬一息一節一技、全てにおいて油断も躊躇も情けも無用。我らと主が認めし貴方なればこそ、我らは死力を尽くすのです」

 

メイドさんのスカートがふわりと翻る――と、同時にその両手にやたらとごっつい、どこに触れても血が出ますよとでも言いたげなデザインをした大型のコンバットナイフが収まっていた。

ひゅうん、と執事さんが両手を振るうと、両の袖口からオートマチックの拳銃が現れる。短身ではあるがスライドにセレクターがある所を見ると、フルオートも選択可能な結構凶悪な奴だ。

それぞれの得物を慣れた様子で構える二人に対し、溜息一つを吐き出してから男は表情を変え低く――それこそ獣じみた四つん這いに近い、今にも獲物に飛び掛からんとするような構えを取った。

 

まるで大気が軋み音を上げているかのような、一触即発の場が形成される。

浮かべる表情は、全員が笑み。二人は能面にも似た動かざる微笑。一人は野獣が牙を剥くかのようにも見える獰猛な笑い。

 

大気が唸り、冗談抜きで身を切り裂きかねない轟風が吹き荒れる中、二人の女性は静かに告げる。


「天地堂家使用人筆頭、留之(とどめの) やいば」

天地堂家使用人(おなじく)次席、留之 はずみ」

 

そして一拍置いて――


『――推して、参ります』

 

揃って宣言。そしてじゃきりと得物を鳴らし飛び掛かる!

 

対して抵抗せんと男は吠えつつ駆け出す。


「まったくもう面倒な人達だなホントにっ!!」

 

なんでこんな事になってるんだ。頭の中のどこか覚めた部分で、男は僅か一月前の事を思い返していた。

















大食堂は朝食を取ろうとする人間でごった返していた。

 

バイキング形式のそのメニューは、世界各国の朝食を可能な限りの数忠実に再現している。一応ここ軍事教練施設だったよなあと、ご飯、焼き魚、みそ汁に漬け物の朝食を載せたトレイを持ったその男は微かに小首を傾げた。

まだ若い、無造作に伸ばした髪の毛で目元を隠した少年と言っても差し支えない年代の男。着込んでいる制服は統合科訓練生――機動兵器のパイロット技能を中核に全般的な能力を持つ兵士として育て上げられる兵科の物。中肉中背でさほど目立つ気配も無いその男は、かなり贅沢かつフランクな所だと感慨を抱きながら歩を進め、窓際の一角にある席へと向かう。


「おお、ここだここ。いートコ取っといてやったぜ」

 

手を挙げて呼びかけるのは、男と同じ訓練生小隊に所属するチームメイトだ。イタリア系移民だというその青年は、物怖じする事なく大きな声で喋り続ける。


「相変わらずニホンショク好きだねえお前さん。今日の訓練も激しいんだからもっとこう、がーって食えよ。肉とか」

 

青年の言葉に、男は苦笑しながら席に着きつつ答えた。


「朝から肉とか重いってライアン。油断してっとすぐ太るぜ?」

 

男の言葉にテーブルの向かい側に座っていた二人――小隊の残りのメンバーが苦笑と共に茶々を入れてくる。


「ライアンは僕たちよりも余計に動くからね。エネルギーの消費量が違うのさ」

「俺ら常人よりも僅かでも多く鍛錬しようとするその姿勢、見習いたいもんだ」

 

二人の言葉に青年――ライアンは、少しだけ顔を引きつらせ、それでも何とか笑顔のような表情を作って口を開いた。


「なあ……ひょっとして俺、馬鹿にされてる?」

 

二人の男――長い髪をオールバックにして後頭部で結んだ東洋系の青年と、赤銅の肌を持つ南米系の青年は、揃って目を丸くし、明らかなオーバーゼスチャーでわざとらしく驚いた様相で答えを返す。


「うわ気付いたんだすごいね頭いー」

「その頭の中筋肉じゃなかったのか? こいつは驚愕の新事実」

「よーしお前ら今度の演習の時俺の前に出てろ。後ろから220ミリ叩き込んだらあ」

 

くくくという暗い笑い声と共にライアンは青年二人を睨む。そんな光景を尻目に朝食に手を付けながら、男は呆れ声で言った。


「フェイ、ユージン、あんまり茶化すなライアンだって一応真面目にやってんだ。ちょっと張り切りすぎるだけで。……後ライアン、使うんなら吸着爆雷にしとけ。シミュレーターならそっちの方がコクピットにダメージ通る」

「いやしゃらっとマジで怖い事言うねお前さん」

 

男の言葉にじゃれ合っていた三人は揃って腰を退かす。コイツは時々冗談だか本気だか分からないがシャレになっていない事をしゃらっと言う。実際に行動に移す事などないため本気ではないと思いたい……のだが、あまり感情を動かさないように見えて、いざとなったらやりかねない雰囲気がどことなくあるのだ、この男。三人はちょっと戦慄していた。

 

とりあえず話題を変えて誤魔化そうかとライアンは窓の外に視線を移して――雲を曳きながら天を駆ける“彼女ら”の姿を視界に収めた。


「お、迎撃魔女部隊ウィッチインターセプターが朝から頑張ってるぜ。ご苦労なこった」

 

あからさまな話題転換だったが、これ幸いとばかりにフェイと呼ばれた青年とユージンと呼ばれた青年はそれに乗っかって共に窓の外を見上げる。


「おやま、抜き打ちのスクランブル訓練かな? 気合い入ってるねえ」

「向こうさんほとんど生身だったな。下手すると一番きっつい所じゃないか?」

 

空気が変わった事に安堵し、ライアンはパンを引きちぎりながら会話を続けた。


「でもあいつらの防護衣(プロテクトローブ)ずっこいぜ? 瞬間なら艦艇級の防護障壁シールド張れるし穏形迷彩(ステルスエフェクト)まで付いてっから普通のFCSじゃロックできねえし。……第一あのぴちぴち一型基本装備(ファンデーション)完全に隠してるしよお。おかげで俺の楽しみ8割方減だよ」

「そこかよ文句言うところ」

 

ちなみに一型基本装備とは、いわゆるパイロットスーツの事である。ただ、“ここ”で運用されているそれは恐ろしく極薄の素材を基本としており、なおかつ可能な限り余計な突起物等を排除して、コクピット内などでの活動を阻害しないよう設計されている。

 

ようするに着ている人間のスタイルがはっきりと分かってしまうのだ。

 

一部の意見に寄れば「裸よりも恥ずかしい代物」とまで言われており、女性パイロットにはすこぶる評判が悪かったりする。しかし同時に全身の各部を理想的な形でホールドする機能があるため、着込むとスタイルが向上するという噂もあった。女性パイロット達が不平不満を言いながらも採用を取りやめさせようとしない所から、その信憑性はかなり高いと思われる。

多分このあたりについてかなり詳しいであろうライアンは、その期待を裏切る事なく熱く語り出した。


「だってよだってよだってよお! 俺一型ガン見するのが目的で入隊したんだぜ!? いや俺だけじゃねえ、ポスターとかCMとか見た野郎の9割方の賛同は得られると思う正直! しかし入ってみたらば期待はものの見事に裏切られた! 超騙された! なぜだ、何故女性の皆さん一型を隠す!? 迎撃魔女部隊――魔道兵関連はともかくとして他のパイロット系にジャケットとかコートとかありえねえ! あれは何か? 詐欺か? ともかく俺は主張したい。声高らかに主張したい! もっと乳を! もっと尻を! この俺の熱くはち切れそうなエロさとフェチ度を満足させるサービスを要求する! かなり真剣に!」

 

かなりダメな主張を、椅子の上に立ちテーブルに片足を乗っけた状態で拳を振り上げつつぶちかますライアン。いつの間にやら周囲にいた男性ギャラリー達がやんややんやとはやし立て、小隊のメンバーは必死で他人のフリをしている。

身を小さくしながらテーブルの端っこに寄り、三人はひそひそと話し合いを始めていた。


「どーするアレ? 何かテンパっちゃってるよ?」

「ある意味言いたいことが言える男前なヤツだという見方もできるが……正直恥ずかしいどころでは済まんぞ」

 

どーする後ろからさくっとヤっちまう? などとフェイやユージンは物騒な方向に話を進めているが、残った男は心底困ったヤツだと言いたげな表情こそしているものの、積極的に発言しようとしていない。それを疑問に思ったフェイは、男に問い掛けた。


「なんか静かだね。嫌いじゃなかったのかいああいうノリ」

 

ちゃっかり朝食を片づけ食後の茶を啜っている男は、もう知ったこっちゃないとばかりな投げやりな口調で応えを返した。


「もう好きに言わせておけ。ここで止めたらまたややこしい事になりそうだし。それに……」

 

男の口元が皮肉げに歪む。


「オレらが止めなくても“あっち”が止めるさ」

 

男がそう言うとほぼ同時に、がごんという音を立ててライアンの側頭部に何かが突き刺さり彼の身体を吹き飛ばす。

 

縦回転で大食堂の端まで吹っ飛んでいくライアン。彼に直撃し吹き飛ばしたのは“杖”。歩行を補助する物ではない。殴り合いにも使えそうなごつい装飾が施されたそれは、くるくると回転しながら宙を舞い。最終的に何者かの手の内に収まる。

手に収まった杖を斜め下に振るいライアンを睨み付けるのは、統合科とは少し形状が違う制服――魔道兵科訓練生の制服を着込んだ女性。

ライアン達と同年代であろうその女性は、亜麻色の長い髪を揺らしながら忌々しげに口を開く。


「こんのエロ大王が、公衆の面前で何エロ演説ぶちかましてやがんのよ。馬鹿なの? 犬のうんこ見るような軽蔑の眼差しを賞賛の視線だと勘違いするくらい馬鹿なの? 死んだらいいのにって言うか死ね」

「突然殺意全開かてめえ!?」

 

テーブルや机を巻き込んで吹っ飛んだライアンが、即座に戻ってきて女性に食って掛かる。頭から派手に血を吹き出しながらの壮絶な形相であったが、女性は欠片も動じない。むしろ鼻を鳴らして見下した視線をライアンに向け、不敵な笑みを浮かべる。

 

パトリシア・レイリーズ。ライアン達と同期にして魔道兵科訓練生トップの成績を誇る才女である。基本的にはあまり交流がないはずの別兵科であり、実技はともかく座学ではせいぜい並の成績でしかないライアン達とは関わり合いになる可能性が低い人間なのだが……少し前にライアンが魔道兵科の女性訓練生をナンパしていた時に咎めたのをきっかけに、以後時折こうやってぶつかってくるのだ。

多くの場合はライアンのいい加減な態度にパトリシアが食って掛かるというパターンなのだが、今回も例に漏れずパトリシアの一方的な“口”撃から始まった。


「まさか朝っぱらからここの女性全員を敵に回すような発言をするとは思わなかったわよライアン・チェント。もうアレね、脳の病気ね。とっとと特殊な病院に入院してきたら? 多分回復の見込みないからもう永久に出てこなくていいし」

 

酷い言いざまだが彼女はいつもこうだ。このような言葉にライアンが激昂するのもいつもの事。勿論今回だってそのパターンが破られる事はない。

流れる血を拭い、ライアンは歯ぎしりと共に言葉を絞り出す。


「たわいもないジョークにいきなり暴力ぶちかますテメーが言うかこの炸薬女。制御思考(セーフティロジック)に致命的な欠陥あんだろコラ」

「はっ、公衆の面前でエロ妄想を声高らかにぶちまける理性のタガが外れた獣風情に言われたくないわね。そんなに盛った声で喚きたいなら動物園の檻の中にでも入っていたら? 発情期のイボイノシシなんかきっとお似合いよ?」

「理性のタガが外れているたぁ失敬な! ただ本音が駄々漏れなだけだ! テメーこそ解体現場にでも行って思う存分破壊活動に従事してこい。現場のおっちゃんズ大喜びだぞきっと」

 

売り言葉に買い言葉の応酬。周囲の人間はおろおろと狼狽えたり、無責任に煽ったり、どちらが言い負かすか賭けを始めたりなどしてるが止める様子はない。いつもの事だと皆鷹を括っているのだ。

 

しかし、この日はどうも違ったようである。


「ふっふっふ……あんたとは一度きっちりケリつける必要があるみたいね」

「奇遇だな……テメーと気が合うたあ虫酸が走るが、俺も同意見だ」

 

ぎしり、と歯を噛み鳴らし、二人は同時に距離を取って身構えた。

 

パトリシアは身を低くし杖を腰だめに構える。懐に入られると弱いという魔道兵の欠点を補うために考案された近接戦闘杖術クォータースタッフアーツの基本体勢。彼女はそのA+査定をもらっていた。

 

ライアンは両手を軽く握り左足を半歩踏み出したボクシングのような構えを取る。格闘技で高い評価を得ているわけではないが、パトリシアより頭一つは高いその体躯から繰り出される技は決して見劣りするレベルの物ではなかった。

 

周囲から歓声が上がり口笛が鳴らされる。いつかはこうなるかも知れないと皆が思っていたが、まさかこれ程早くその予想が現実の物となるとは。大半の人間はいいぞやれやれとばかりにあおり立て、数少ない良識人たちは教官や職員に知らせようとするが、何のかんの言いくるめられたりごまかされたりしてその行動を阻まれる。賭札が訓練生の合間を飛び交い、予想屋を気取る者の声に一部の者は真剣に耳を傾けていた。最早この場は完全にイベント会場と成り下がったようだ。

あっという間にテーブルや椅子が動かされ、即席のリングが形成される。その中央で二人の男女はじりじりと間合いを計りながら闘志を高めていた。一切合切の油断も隙もない、本気。それほどまでにこの二人反りが合わないのか。いや、むしろ似たもの同士なのか。それは恐らく本人達にも分かっていないだろう。

 

緊張が最高点に達する。もはや激突は避けられないと誰もが思っていた。

 

ただ一人を除いて。


「はいそこまで!」

 

ぱあんと食堂全体に響き渡る音で手が打ち鳴らされる。

 

その横槍に勢いを削がれた二人の訓練生はがくりとたたらを踏み、室内に充満していた闘気は一気に霧散した。折角盛り上がってきたのに何で水を差すかと、周りのギャラリーと共に恨みがましい目で声の掛けられた方を見る二人。好意的でない多数の視線に晒されながらも平然とそこに立つのは、ライアンと同じ小隊のあの男。怒るでも嘆くでもない無表情にも見える様相で、前髪の隙間から二人をじっと見詰めている。

その瞳に気圧された、と言うか何かすごく悪い事をして責められているような気持ちになったライアンとパトリシアは一瞬目を逸らしてしまう。が、はたと己を取り戻し、二人揃って男に詰め寄って猛然と食いかかった。まるで気圧されたのを誤魔化すかのように。


「てめこの石炭野郎! いートコだったのに何で止めんだよ! アレか、クール気取りか。今年の俺はクール演出でモテ期突入ですかこのムッツリ!」

「これはアタシとコレとの問題よ! 横から入って邪魔するなんて無粋極まりないわねこの……モブっぽい地味な人! モブはモブらしく背景で2パターンくらいの動きで演出してなさいよ!」

 

幼子だったら確実にトラウマを植え付けられているであろう二人の形相に、しかし男は揺らぎもしない。やる気があるのかないのかいまいち不鮮明な様相のまま、動ずる事なく二人と相対する。


「別にやり合うのを止める気はないさ。……だが、ここじゃまずい。いくら誤魔化したところで“あの”教官達に気付かれないはずがないだろうが。誰に気付かれても厄介な事になると思うが?」

 

男の言葉に、二人だけでなく周囲でブーイングを放っていた見物人達も「うっ!」と言葉を詰まらせた。確かに盛り上がっていてすっかり頭の内から消え去っていたが、冷静に考えればこんな騒ぎを教官連中が見逃すはずがない。いや叱責を受けるとか罰を下されるとかならまだいいが、場合によっては騒ぎがとんでもない方向へと発展し予想だにしなかった事態となる可能性だってある。特に一部の教官達なら“やる”。絶対におかしな方向へと話を持っていく。そんな確信が全員にあった。

冷水を浴びせかけられたかのように静まりかえる室内。それを見回して皆の頭が冷えたのを察した男は、落ち着いた口調で諭すかのように言葉を紡ぐ。


「これ以上続けたいって言うのなら、自主訓練時間に申請して武道場使わせてもらうんだな。そしたらお咎めもないし……見物人も増えるから、賭けがでかくなる。どうしてもこの場にこだわる必要なんかないだろ?」

 

男の言葉に周囲がざわめく。確かにそうすれば訓練の一環として見逃されるし、時間をおいて話が広まればこの対決、盛り上がる。そんな得心の気配が漂い濃厚となっていった。

 

そんな空気に何を思ったのかパトリシアは顔を顰め、突如踵を返し周囲の一切合切を無視してその場を去ろうとする。その背中に「お、おい」とライアンが戸惑ったような声を掛けると、彼女は立ち止まって肩口だけで振り返ってこう言った。


「興が削がれたわ。続きがやりたいんなら武道場の使用許可を貰ってきなさい。いつだって相手になってやるわよ」

 

そうしてから彼女は一瞬だけ男の方に視線を移し微かに舌打ちすると、再び向き直って今度こそ戸惑いざわめく周囲を気に止めず食堂を出て行った。

 

呆然とパトリシアの背を見送ってしばらく惚けていたライアンは、「あ〜〜〜」とかいう呻きのような声を上げた後、頭をかきながら男に話し掛ける。


「礼を言っておいた方が良いのか、これは?」

「あんたが厄介事を起こせばおれたちにもとばっちりがくる。それを止めただけさ。文句を言われるのは心外だが、礼を言う必要もない」

 

間髪入れず返ってきた答えには、味も素っ気もない。そこにあるのは当たり前のことを当たり前にやった、ただそれだけだと言わんばかりの無機質さ。

まるでそこいらにただ転がっている石に語り掛け返答が得られるのなら、こういう答えが返ってくるのではなかろうかといった感じの言葉だ。そう思う一方で、この男がそれだけの人間でないとも感じているライアンは、肩を竦めてこう言った。


「まったく本当に……石炭野郎(コークス)だなお前さんは」

 

一方、食堂から去ったパトリシアは、何かから逃れるかのように足早に歩を進めている。

 

そんな彼女に小走りについてくる人影が一つ。パトリシアと同期で同じ訓練部隊に所属する訓練生だ。「ちょっとパット、待ってよう」と声を掛けるその少女を半ば無視して、パトリシアは歩きながら思考を巡らす。

忌々しい、何なのだあの男は。丁度盛り上がりこれからという頂点のタイミングで横槍が入ったおかげで、一気にやる気が削がれた。おまけにこちらが正常な思考を取り戻す前に正論を叩き付けられ、さらに代案を――“ギャラリーをも同時に納得させられる代案”を示す事によって場を丸く収めてしまった。これで暫くは自分もライアン・チェントもぶつかり合おうとする気が起きないだろう。いや、それはいい。むしろ感謝するべき話だ。腹が立つのはそんな機転の利く男が、それほどの男がなんで名も顔も広まっていないのかという事だ。

いくら広大な基地とはいえ訓練生の数は限られているし、少し図抜けた才能を持つ者ならば他の兵科でも名が通る。海千山千の訓練生が集う中、あれだけの胆力で諍いを収めるほどの男が凡庸な人間だとはとても思えないが、生憎パトリシアはかの男の存在を耳にした事がなかった。いや――

 

それよりも何よりも、あの男の名前を聞いていない。

 

苛立つあまりそんな事にも気付いていなかったパトリシアは、突如その足を止める。いきなりの急停車に泡を食いつつ、たたらを踏んで彼女の隣に立ち止まった少女が「どうしたの突然」と尋ねてきた。その少女の力肩をがっしりと掴んで、パトリシアは座った目で問う。


「ねえ、あんたあの男――ライアン・チェントの隣にいた、あの横槍モブ男の名前、知ってる?」

 

少女が彼の名を知っているとは思わなかったが、もし名前が分かれば自分も耳にした事がある人物なのかも知れない。だからといってこの苛立ちが消えるわけでもないだろうが、知らないままではどうにも収まりがつかなかった。


期待はしていなかった。しかし少女は狼狽えながらも答える。


「んと、知ってるよ。確か統合科の――」






「バン・ヤツトデ。……八戸出 萬、か」

 

モニター上に表示された個人情報に目を通した後、政府直轄の軍事監察機関から派遣されてきた男、ジェフリー・マクラウド特務監察官は呟くようにその名を口にした。

溜息を、一つ。そして眉間を揉みほぐしてから暫し考え込み、ついには呆れ返ったという顔をしてテーブルの対面に居座る人物に向かって言う。


「……本気……いや、正気かね」

 

喧嘩を売っているのかとも思えるその言葉に、対面の人物は毛ほども動じない。それどころか微かに笑いを含んだ声で、澄ました答えを返してくる。


「大本気、かつ超正気ですわ。これ以上ないというくらいに」

 

答えるのは、軍の上級将官の物に似た制服らしき衣装を身に纏った女性――いや、少女と言った方が的確な年代に見える人物。一見幼げと見えるその人物は、優雅な動作でティーカップを傾け、紅茶を一口味わった後に言葉を続けた。


「【ジェスター】と【ノルン】が協議の上で選んだ人材ですわ。その選出に任せると決めた以上、個人の思惑はどうあれ従うというのがそもそもの決議。そちらも納得の上での事でございましょう?」

 

背中まで伸びたゆるくウェーブを描く金髪を揺らしてにこやかに語る少女を真っ向から見やりながらジェフリーは考える。自分が一言政府に上申すれば一瞬にして首が飛ぶと言うのに大した度胸だ。十代半ばにして軍事基地を一つ預かるなど正気の沙汰ではないと思っていたが……それだけの器はあるという事か、それともメッキか。

まだ判別はつかない。できれば親の七光りでないのを祈っておきたいがどうだろう。そこまで考えてジェフリーは軽く頭を振る。入れ込みすぎはいけない、情は判断を誤らせる。あくまでフラットに状況を見て判断するのが自分の役目だ。彼は思考を切り替え、少女に向かって問う。


「座学、そして各種技能において並。辛うじてサバイバルの実技でB+査定を貰っているがその他には突出した物がないし、特殊技能を保有しているわけでもない。無論全てにおいて平均というのはある種の才覚だと思うが、そもそも兵士とはそういう物だろう。とても【T計画】向きの人材だとは思えないが、そこのところはどう考える。……【GOTUI】特務機動旅団司令、天地堂 蘭殿?」
















地球は狙われている。


 




…………いや冗談抜きで。


 




例えば宇宙から飛来せし侵略者。例えば地底より現れし古代先住民。例えば異次元を渡り歩く超越者達。

 

いつの頃からかはもう過去に遠くなったが、それら外敵存在が人類を下し地球の覇権を握ろうと、次々攻め来たるのが現状だ。

 

無論人類とて黙っていない。先端技術、特殊能力、古代遺産、異界の外法などを駆使し抵抗を続ける。

 

だが、長きに続く戦いは、時の為政者達を、そして軍部を疲弊させていった。

それが極まった時、遂に各国首脳陣は決断を下す。

防衛機構の民営化――国家を護る盾と剣を民間に明け渡す事を。

 

その決定にまず飛びついたのは軍需企業だった。

 

度重なる戦乱の中で、幾度となく様々な勢力から狙われる定めにあった軍需企業はそれまでも多少の自己防衛手段を備えてはいた。が、本格的な軍事力――暴力にはかなうはずもない。これは軍需産業に力を持たせるべきではないと言う“良心的な”判断に基づく方策があったからなのだが、実際被害が天文学的な領域になればそうも言っていられない。とは言っても表向き堂々と戦力を整えるわけにもいかず、各企業はストレスと被害を積み重ねていく一方であった。

だが新たに政府が下した決定によって、防衛組織の名目上堂々と戦力を整える事が可能となり、またそれは自社製品アピールの機会ともなるとあって、各企業はこぞって次々と防衛組織を立ち上げていく。

 

しかしそれは同時に企業間の物理的な抗争をも誘発させる事になる。

 

戦国時代にも似た群雄割拠の混乱。それを制したのは一つの大企業が興した防衛組織であった。

 

それはただ、軍事的能力に優れていたからではない。アジア極東地区――日本を中心に点在していた、資金難に喘ぐ小規模の特殊エネルギー研究機関に積極的な融資を行ってその成果を手中に収め、不安定な異世界との接合を安定させ交易を可能とし、そこから新たな技術、人材を招き入れる。そういった手管を用いて数多の勢力を飲み込み自己を肥大化させた結果、覇者となった。そういう事だ。

 

アジア地区最大、世界有数の民間防衛組織となったその組織は、次に各政府への本格的な協力を打診、最早民間防衛組織に頼らざるを得ないほどに力を減じていた政府機関は渡りに船とばかりにその発案に乗じ、組織は再編成され新たに半官半民の防衛機関となって再誕する事となる。


 




天地堂(ガーディアン・オブ・)統合国際防衛機構テンチドウユニオンインターナショナル


 




通称、GOTUI(ゴッツイ)の誕生である。



 














微かな音を立ててティーカップが置かれる。穏やかな笑みを崩す事なく少女――天地堂 蘭はジェフリーの問いに答えた。


「我々にはそう見えても、決定権を持つ人工精霊憑依型人工知能にとってはそうでなかった。と言う事ですわ。勿論我々とて即座に納得するわけにはまいりませんもの、再考を含めた検討を彼らに促しましたわ。ですが意見を曲げる気はなさそうですの」

 

人工知能が主に逆らうというのか、そしてそれを受け入れるというのか、この組織は。これは本当に正気の沙汰ではない、報告を修正する必要がありそうだ。GOTUI上層部の告発をも視野に入れだしたジェフリーだったが、彼はさらに度肝を抜かれる事になる。

 

くすりと微笑む蘭が、卓上のベルを鳴らす。すると彼女の背後に音もなく何者かが現れた。内心ぎょっとするジェフリー。歴戦の強者というわけではないが、相当の訓練を受けた自分に気配も感じさせず現れるとは何者か。そう思いながら現れた人影を監察する。スラックスにシャツ、ベストの執事服を纏い、単眼鏡を付けた男装の麗人。そのハイティーンに見える女性は優雅に一礼しながらこう言う。


「司令の補佐を承っております留之と申します。お見知りおきを」

「あ、ああ」

 

その隙の無さからただ者ではないと感じ取り、背中に冷や汗を流すジェフリー。彼の様相を気にした様子もなく、蘭はその女性に問うた。


「例の件、用意できましたの?」

「は、本日のシミュレーター演習にて行われます。モニタリングはこちらで」

「よろしい。万事ぬかりなく」

「かしこまりました」

 

一礼して去る女性を見送ってから、蘭は再びジェフリーへと向き直る。その瞳にどこか悪戯を思い付いた子供のような輝きを見出して、ジェフリーは眉を顰めた。


「一体……何をするつもりかね?」

 

答えはどこか楽しげな色を含んで。


「あまりにも我々が疑り深いせいでしょうか、【ノルン】が面白い趣向を用意いたしましたの。……証明してくれるらしいですわ、かの青年が“最後の皇帝”に相応しい人間であると」







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