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たちまちのうちに「龍の宴の惨劇」の顛末は月雲ノ上のすべての魔人が知るところとなった。言わずもがな、魔王と魔王妃の耳にも入る。
復路も往路と同様に、プルトーのことを考えていたら移動時間はあっという間に過ぎて、羽役の従者が牽く羽車は鷲獅子宮殿に到着した。
門前でマキュリーを出迎えた魔王アダムスは、娘が馬車を降りるのを待ちきれずに抱え下ろした。マキュリーを抱き上げると、その精悍な顔に満面の笑みを浮かべて破天荒な愛娘を褒め称える。
「マキュリー、よく戻った! 話は聞いたぞ、龍の祝宴に押し掛けて、エミルグの小倅にちょっかいをかけてやりあった挙げ句、龍の祝宴を滅茶苦茶にしたそうだな! ものの弾みで天空を断ち、月雲を裂き、大地を穿ち、数多の命を奪ったとか! なんという傍若無人な振舞い! 流石の俺様も「うそー!? ほんとにー!?」とお年頃の娘のように叫んでびっくりしてしまったではないか! 傲慢不遜な奴め! 流石は俺様の愛娘だ! エヴァリンは怒っているが、なに、気にせずとも良い! 物凄く怒っているがな! とりあえず門が開いたらその瞬間に、二人一緒に土下座をしてごめんなさい、だ! 案ずるな。かたちだけでも誠意を見せておけば、俺様のように、氷漬けにされてから切り刻まれてかき氷にされるという、きつめのお仕置きは免がれる……と思う!」
魔王アダムスはマキュリーを門の手前で降ろすと、指パッチンをした。門が開かれる。魔王アダムスは宣言通りに土下座をした。
門の向こう側には、エヴァリンが待ち構えていた。額に青筋を張らせ、目尻を吊り上げ、唇をひん曲げて、花の顔は憤怒に歪む。魔王アダムスが平伏するだけあって、仁王立ちするエヴァリンの怒気は凄まじい。
ところが、エヴァリンの怒気は、床に額を擦り付ける魔王アダムスの隣で棒立ちをするマキュリーを見るなり霧散した。
いつまでたってもエヴァリンが雷をおとさないので、魔王アダムスはそろそろと顔をあげる。ちょうど、エヴァリンがマキュリーのもとに駆け寄っていくところだった。
「まぁまぁ、マキュリー! あなた、どうしたの?」
エヴァリンは俯く娘の顔を覗きこみ、おろおろしている。魔王アダムスは目を丸くした。
マキュリーの顔はぐちゃぐちゃだった。涙と洟に濡れていて、花瞼は真っ赤に腫れていて、端正な目鼻立ちをくしゃくしゃにしてしゃくりあげている。
魔王アダムスはおろおろして、むやみやたらと腕を振り回した。
「なっ、泣いているのか、マキュリー!? なぜ!? どうして!? この俺様を父にもつお前が、なぜ、どうして泣かなければならぬのだ!? ……ハッ!? もしかして、嬉し泣き!? この魔王アダムス様がお出迎えしてくれるなんてと、感動にむせび泣いているのか? そうか、それだ! そう言えば、いつもはこの俺様に負けず劣らず饒舌なマキュリーが、帰宅してから一言も口を利かなかったのはおかしいよな! 」
「おかしいのはてめぇだろうが! その頭は派手な飾りだなァ、オイ! 退け退け! 邪魔だ邪魔だ! 退け退け! てめぇみたいな役立たずは、もうクビだ、クビ!」
エヴァリンは魔王アダムスの首を手刀で首をはねた。魔王アダムスの首が宙を舞う。床に落ちた首は、首を探して右往左往する己の胴体を見上げて叫ぶ。
「な、なにぃ!? この魔王アダムス様は首なしでもめちゃめちゃ格好良いだと!? すごい、流石は俺様……!」
魔王アダムスの首はエヴァリンに蹴り飛ばされた。ぺちゃくちゃと喋り続ける首を探して、胴体は右往左往している。
そんなことはお構いなしに、エヴァリンはマキュリーに訊ねる。
「まぁまぁ、マキュリー、どうしたの? どうしたの、マキュリー?」
おろおろしながら、けれど躊躇いなく、エヴァリンはマキュリーの頬を両手で包む。
「傷が痛む? お母様がおまじないをかけてあげましょうね。痛いの痛いの、倍加して魔王様に飛んでいけー! ほーら、もう痛くないわよ。違うの? じゃあ、そのお下品なドレスがボロボロになってしまって、悲しいのかしら? その恥ずかしいドレスは、こっそり捨ててしまおうと思っていたから、手間が省けたわ。……なんでもないの、なんでもないのよ。なんでもないったら。そんなことより、ねぇ、マキュリー。その裸も同然のドレスより、もっとお上品で素敵なドレスを、お母様が用意しましょう。ね、だから、もう悲しまなくて良いのよ?」
マキュリーは頭をふった。
マキュリーの体には、傲慢の鷲獅子の力をもってしても未だ癒えない歯形や擦過痕が無数にある。お気にいりのドレスは襤褸に成り果てた。
傷は痛むし、ドレスは惜しいけれど、マキュリーはそんなことでめそめそする娘ではない。
何を言っても、駄々っ子がいやいやをするように、首を横にふる娘を前にして、エヴァリンは途方に暮れている。
「どうしてしまったの、わたくしの可愛いマキュリー……」
困り果てて涙ぐむエヴァリンの華奢な体を、マキュリーはひしと掻き抱く。硬直するエヴァリンの耳許で、マキュリーは喚いた。
「おがあざまぁ、どうじよう!? あだぐじ……プルトーにぎらわれぢゃっだがもじれないのぉ……!」
数多の人間を傲慢の罪に墜とし、聖霊の軍勢を蹴散らし、輝かしい功績をあげる、うら若き傲慢の鷲獅子が、考えられないような幼い声を張り上げて泣き出した。
エヴァリンはおろおろしながらマキュリーの背中を撫で擦って宥めようとするけれど、マキュリーの涙はとまらない。首になった魔王アダムスはおろおろしながらころころ転がっていたけれど、やっぱり、マキュリーの涙は止まらなかった。




