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プルトーに手を引かれながら、マキュリーの足取りはふわふわとしていた。胸のなかで小鳥が羽ばたいているかのようで、落ち着かない。
マキュリーなプルトーの後ろ姿を見つめた。整えられた銀髪は人魂の灯りを七色に反射している。背筋はしゃきっと伸びており、初めて訪れただろう鷲獅子宮殿を、何千年も暮らしているかのように闊歩している。
この素晴らしい少年は、どんな顔をして自分と手を繋いでくれているのだろう。気になったマキュリーは、話題の用意もないのに、プルトーに話しかけてしまった。
「あ、あの」
「なんだい?」
プルトーが間髪いれず返事をしたので、マキュリーは狼狽えた。
「わ、わたし……あの、あの……」
「だから、なんなんですか」
苛々した尖り声でせっつかれると、目頭が熱くなる。プルトーを怒らせたくない。手を放されてしまいたくない。
黙っていればよかったと後悔したけれど、プルトーは食言を許してくれそうになかった。プルトーが眉間に深淵のような皺を刻んで振り返ったので、マキュリーはへどもどしてしまう。マキュリーを真っ直ぐに見つめる彼の目を見つめ返せない。マキュリーの目が泳いだ。
「あ、あ、あ……あぅ……」
マキュリーは弱り果てて、ネグリジェの裾を掴んで項垂れる。
するとプルトーはぴたりと歩みをとめた。さも当然のように、マキュリーの腕を捻りあげる。悲鳴をあげて、ついでに顔も上げたマキュリーの額に額を寄せて、プルトーは凄んだ。
「ああもう、イライラする! オイ、テメェ、コラ! もじもじしてんじゃねェぞ! 言いたいことがあるならハッキリ言え!」
マキュリーは戦慄した。エヴァリンとプルトーはそっくりだ。顔だけじゃなくて、口の悪さも、激しやすいところまで。マキュリーは涙ぐみながら、ふるふると頭をふる。
「うぅ……だけど、だって……」
「だけど、でも、だって、でもねぇんだよ! この僕が聞いてやると言ってるんだから、言えったら言え! 10秒以内に言え! はい、10、9、8」
右足でたんたんと床を蹴りがらカウントダウンを始めるプルトー。急かされて気がはやり、マキュリーはわけもわからないまま口を開いた。
「あの、あの子たちの……言うとおり……。わたし、落ちこぼれで……。体が弱くて……頭も悪いし……魔力も、あまり強くない……根暗で、口下手で……ちっとも自信がない」
「アアン!? 聞こえねぇなぁ! 自虐してる癖に恥ずかしがってんじゃねぇよ! 腹から声を出せ! てめぇの恥を世界中にぶちまけろ! それでどうした!? 落ちこぼれで、弱者で、根暗で!? 生きててごめんなさい、ってか? アアン!?」
情けないことを白状しているうちに、うるうると涙ぐんでしまったマキュリーに、プルトーは容赦なく追い討ちをかける。なんてひどい子なのだろう。この子はさぞ立派な大魔人になれるだろう。と悪魔のようなプルトーにドキドキしたマキュリーは、ありったけの勇気を振り絞って顔をあげた。プルトーの美しく凶悪な顔を正面から見たかったから。
「わたしは、プライド失格なの。お父さまはさっき、わたしはお父さまに似てるって、言ったけど……わたしは、ちっともお父さまに似てない。お父さまは鷲獅子人のなかでも一番傲慢で、立派な魔人……それなのに、わた、わたし、こんなで……」
とりとめなく話していると、思考は纏まらずばらばらにほどけてちらばってしまう。マキュリーはぽつりと「あなたは、すごいね」と呟いて、口を噤んだ。
俯いてしまったから、プルトーの目を見返して伝えることは出来なかったけれど、本心からそう思っていた。プルトーはまだこどもなのに、既に立派な魔人だ。マキュリーは口数が極端に少ない。そして嘘を吐いたことは一度もない。
プルトーは沈黙している。罵声を浴びせかけられると思ったのだけれど。暴力も暴言もない。置き去りにされることもない。
マキュリーは恐る恐る顔を上げた。プルトーとマキュリー、目と目が合う。プルトーの瞳は暗闇を照らし出す灯火のようだった。
プルトーはおもむろに、マキュリーの手を放す。マキュリーは青くなった。呆れられてしまったのだろうか。つまらないマキュリーにうんざりして、プルトーも他の皆と同じように、マキュリーを置き去りにしてしまうのだろうか。
そんなマキュリーの懸念を余所に、プルトーはマキュリーと向き合う。咳払いをひとつして、分別臭い口ぶりで切り出した。
「まるで、自分が傲慢ではないかのような口ぶりだな」
「……?」
マキュリーは小首を傾げた。プルトーはマキュリーを睨みつけ、忌々しそうに溜息をつく。
「おふざけも大概にしろよ。この僕との握手を拒んでおいて、傲慢じゃないだと? ちゃんちゃらおかしくて臍で茶が沸いてしまいそうだぞ。キミは間違いなく、とてつもなく、悪魔的に傲慢だよ。僕はさっき、うじゃうじゃ湧いたクソガキどもとは比べ物にならないクソ傲慢さの片鱗を、キミに感じた。今のキミにその自覚がなくても、遅かれ早かれ、キミも魔王アダムスのようになるに決まっている。そういうものだ。……おい、キミ、なにをしているんだい?」
マキュリーはつい、自分のほっぺたをつねった。涙が出るほど痛くて、今が夢ではないのだとわかる。それでも実感がなかった。生まれて初めて、魔人に認めて貰えた。
プルトーは嫌そうな顔をして、自分のほっぺたを力いっぱいつねるマキュリーの手を掴んで引き剥がす。マキュリーがおとなしく従うと、プルトーの、心の奥まで照らし出す暴露の瞳が、自信たっぷりの笑みを含む。マキュリーの右手を今一度、握手をするかたちに握り直した。
「僕は気高き龍人族を率いる者、プルトー・ラース。次代の魔王になる男です。そんじょそこらの不潔な愚民には触れたくもない。どんな病気を持っているか、わかったものではないからね。いいか、この僕が握手してやったのだから、キミは必ず、傲慢の鷲獅子の後継者になりたまえ。僕に恥をかかせたら許さないからな」
マキュリーが目をぱちくりさせていると、プルトーは怖い顔をして「お返事は!?」と催促した。マキュリーは反射的に、プルトーの手をしっかりと握り返しこくりと頷く。プルトーは満足気に頷くと、左手でマキュリーの前髪をつかんだ。無精で伸ばしっぱなしになっている長い前髪がかきあげられる。プルトーを中心に据えたマキュリーの世界は、眩い光に溢れていた。
( 違う。そうじゃなくて。彼がいるから、眩しいくらい、明るいんだわ)
マキュリーは目を細めた。プルトーは何故か、マキュリーの前髪をつかんだまま、かたまってしまった。もしかして、マキュリーはプルトーがかたまってしまうような顔をしているのだろうか。不安になって、マキュリーは震える。プルトーはハッとしてマキュリーの前髪を放す。決まり悪そうに顔を背けて、マキュリーの肩を押した。つけつけと指図をする。
「ならば、キミ、しゃきっとしたまえ。背筋をのばして、顔をあげて、前を向くんだ。もう二度と、あのような下郎に侮られるんじゃないぞ。いいね、わかったね?」
マキュリーはこっくりと頷いて、背筋をぴんとのばす。すると、プルトーはかっとなって「僕を見下してんじゃねぇ!」怒鳴り、マキュリーを跪かせた。
どうすればいいのだろうと、跪いたまま途方に暮れるマキュリーに背をむけて、プルトーは歩き出す。右手は、マキュリーの右手を握ったまま。マキュリーはわたわたと立ちあがり、プルトーに付き従う。
繋がれた手を、マキュリーはぎゅっと握り返す。プルトーは少し戸惑ったようだったけれど、かたく繋ぎ合った手を、無理に振りほどこうとはしなかった。
二人は謁見の間に戻ろうとしたのだが、謁見の間は瓦解していた。魔王アダムスとエヴァリンの諍いは、本性を曝け出しての決闘に発展していたのだ。衛兵や従者が慌てふためいて右往左往するのを遠巻きに眺めながら、マキュリーはプルトーの隣に佇んでいた。
会話は無かったけれど、プルトーに出会えた、ただそれだけでマキュリーは嬉しかった。
魔王アダムスの変化した傲慢の鷲獅子が、エヴァリンの変化した白銀の龍の上に圧し掛かって頭部に噛みつき、エヴァリンが空に轟く咆哮を上げて倒れる。
「叔母様ー負けないでー。傲慢クソ野郎の臓物をぶちまけてー」
と欠伸を噛み殺しながら、やる気のない声援を叔母におくるプルトーの横顔に、マキュリーは小声で尋ねた。
「次は……いつ会えるかな?」
プルトーはマキュリーを流し見る。何か言いかけた口唇を閉ざす。下唇を噛んで、彼は応えた。
「さぁ、どうだろう? 僕の父上とキミのクソ親父は犬猿之仲だからね。叔母様がプライドに嫁けば、父上はとにかくもう怒り狂うだろう。そうしたら、父上は大事な跡取り息子であるこの僕と、最低最悪クソ魔王の娘のキミが馴れ合うことを固く禁じる筈だ。それは正しい判断だと僕は思う。だから、僕らが次に会うときは、互いに一族の頂点に上り詰めたとき。僕は憤怒の龍を、キミは傲慢の鷲獅子を、それぞれ継承したときだ」
そう言ってから、プルトーはマキュリーをちらりと見て、綺麗に整った顔をしかめる。
「さっきから、気になっていたんだけれど。その目はなんだ? キミは僕を見るとき、 眩しそうに目を細める。何故だ?」
「だって、キラキラしていて眩しいんだもの、あなたの髪。あなたは、とってもきれいね」
マキュリーは自然と微笑んだ。魔王アダムスとエヴァリンの死闘が旋風を巻き起こし、マキュリーの長い髪が風に靡く。遮るものは何もなくなった視界にとらえたプルトーは、ほんのりと頬を染めていた。
「しょ、しょうがねぇなぁ。キミがそこまで言うのなら、この髪は切らずに伸ばしてあげようじゃないか。か、勘違いするなよ! 別に、キミに気に入られたから伸ばそうって言うんじゃない! 僕は、ほら、大人になったらムキムキマッチョになるからね。おバカな君が、見違えるほど立派になった僕を見つけられなくて、めそめそ泣き出したら鬱陶しいので、この髪は切らずに伸ばしておいてあげようと言うんだ。この髪を目印にして、この僕を見つけたまえ。そういうことだよ。勘違いするなよ、この間抜けがァ!」
マキュリーはこくこくと頷いた。プルトーの言葉が嬉しかった。
プルトーはマキュリーがどうしようもない落ちこぼれだと知っている。それでも、期待をかけてくれた。マキュリーならやれると、傲慢の鷲獅子になれると、信じてくれている。
会えなくなるのは寂しい。だけど、永遠ではない。いずれまだ会えるのだ。マキュリーが諦めなければ、絶対に。
マキュリーはプルトーに正面から向き合った。彼の右手を両手で握りしめる。
「わたし、絶対に傲慢の鷲獅子になる。そうして、あなたに会いに行く。絶対にあなたを見つけるわ。だから、お願い。約束して。また会う日まで、わたしのこと、ちゃんと覚えていてね」
プルトーはくすりと含み笑う。にやりとして、剥き出しになったマキュリーの額を左手の中指で軽く弾いた。
「誰に向かってものを言っている。この僕が、キミを忘れる筈がない。キミこそ、ちゃんと覚えておけよ。キミは頭弱そうだから、忘れないように、眠るときは僕のことを考えながら眠ると良い。毎晩の夢に僕が現れれば、おバカなキミでも、僕を、僕と交わした約束を、忘れないだろう」
再会の約束を交わして、二人は別れた。長い別れになる。寂しかったし、苦しかったけれど、マキュリーの心は希望に満ちて、弾んでいた。
プルトーとの約束は、絶対に守らなければならない。
それから、マキュリーは死に物狂いで頑張った。プルトーの言ったことは、真実でなければならないから。いや、真実だ。プルトーがそうだと言うのなら、マキュリーは誰よりも傲慢な、鷲獅子人の中の鷲獅子人なのだ。
その後、魔王アダムスはエヴァリンを妻に迎えた。本来ならば、憤怒の龍の実妹が傲慢の鷲獅子に嫁ぐなどということは絶対の禁忌である。しかし、魔王という権威の前では魔界のすべてが膝を屈する。
エヴァリンが嫁いできたその日に、魔王アダムスはエヴァリンを「お前のお母様だ」とマキュリーに紹介した。そう言われてもマキュリーにはいまひとつぴんとこなかった。それでも、不安そうにしているエヴァリンに歩み寄り、右手を差しのべた。手をつなぐと、不安がなくなる。マキュリーの手を握ると、エヴァリンは花が咲くようにほほ笑んだ。
エヴァリンとプルトーは、やっぱり、そっくりだった。
エヴァリンの笑顔を、眩しそうに目を細めて見つめる魔王アダムスの姿を見たとき、マキュリーは生まれて始めて、「お父様とわたしはそっくりね」と思ったのだった。
プルトーがマキュリーに与えてくれた心強さは、心に芽吹いてすくすく伸びて、たしかな自信になった。病は気から言うのはけだし警句で、ひ弱だったマキュリーはみるみるうちに元気になった。魔力は漲り、苛めっ子たちをひとひねりして、傅かせてしまえるようになった。習い事はちっともうまくならなかったが、誰も文句を言うどころか嫌な顔もしなくなった。
ただひとり、エヴァリンだけは「マキュリーがアダムス君そっくりのおバカになってしまった」と嘆いてヒステリーを起こしたが、魔王アダムスと マキュリーは二人揃って「俺様とあたくしは最高で最強」と笑いあっていた。




