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さしもの魔王アダムスも、油断と弱点をつかれ、股間を押さえて悶絶する。エヴァリンは真っ赤に燃える両頬をレースの手袋を嵌めた繊手で押さえて顔をそむけた。


「はわわわわ、あなたってひとは……まったく、どれだけ傲慢なのです!? 信じられないわ、いたいけなこどもの前で、こんなにも情熱的に口説くなんて……! こういうお話は、もっとロマンディックにするものですわ! 愛を語るなら、ギャンギャン怒鳴らないで、もっと優しくなさって! とにかく、今ここでこんな風に愛を乞うのは野暮ですのよ! 空気をお読みなさい! それに、あの夜のことを語るなんて……わかってねぇ! てめぇはまるでわかっちゃいねぇ!」


 エヴァリンは振り返る。エヴァリンの後に控える少年は、一生のトラウマになる惨劇を目の当たりにしてしまったと言わんばかりの陰鬱な表情で黙りこくっていた。


早々と立ち直った魔王アダムスは、涙を指先で払うと、ずんずんとエヴァリンに詰め寄った。


「貴様こそ、何もわかっておらん! 俺様が今だと思えば、好機は今だ! 空気なんて読むまでもない、空気が俺様に合わせれば良い。わかるか?」

「てめぇの俺様理論なんぞ、わかってたまるかァ! このクソッタレのどチクショウが! このわたくしを散々待たせた挙句の果てに、お兄様にご迷惑をおかけして! つくづく、このエヴァリン・ラースをコケにしてくれる! 見ろ! 魔王になった後も、てめぇがちんたらしてっから! お兄様のお許しを得られねぇうちに! お兄様の一人息子のプルトーが、孵化してこんなに大きくなっちまっただろうが! と言うか、てめぇが憤怒の龍の嫡男に挨拶させろって言うから、本調子ではないお兄様に代わって、このわたくしが嫌々ながら馳せ参じたんだぞ! さっそく本題からそれてんじゃねェか! やる気あンのか!?」

「ヤル気満々だ! マキュリーに妹か弟をつくってやろうではないか! それと、ちんたらしてたのは俺様ではない、エミルグだ! エミルグがさっさと再生せぬから、妹さんを僕に下さいと、お願いすることが出来なかったのだ!」

「てめぇがお兄様を真っ黒焦げの消し炭ににしちまったからだろうが! お兄様じゃなかったら死んでるからな! そろそろ本気で焼き加減を覚えやがれ! ハァ!? なに、こども!? マキュリーはまだ小さいでしょうが! 世迷い言を抜かすな、却下だ、却下! そろそろこの子を紹介させろ!」


 エヴァリンは、あけらぼんとするプルトーの背に手を添えると、魔王アダムスの前にずいと押し出した。盾のように突き出され、顔を引き攣らせるプルトーの存在を、魔王アダムスはこの時、初めて認識したらしい。


プルトーと視線の高さを合わせるように屈みこみ、しばらくの間、その顔を食い入るように見つめていた。そして猛然と立ちあがり、食らいつくような剣幕でエヴァリンの両肩を掴んだ。

 

「この小僧、貴様にソックリではないか! まさか貴様、この魔王様をシカトしておきながら、余所の男と交わり、その子を孕み、産み落としたのでなあるまいな!?」


 エヴァリンはきょとんとしている。魔王アダムスに揺さぶられても、ぼんやりしていた。魔王アダムスが、オイオイオイオイ、どうなのだ、なあなあなあなあ! としつこくしていると、はっと我にかえり、魔王アダムスの鳩尾に拳をふかぶかと突き刺した。


「傾聴せよ!」


 マキュリーがハラハラするくらい、七転八倒する魔王アダムスを足蹴にしたエヴァリンは、すっかり逃げ腰になっているプルトーの肩を掴んで、貢物のように差し出した。


「この子は憤怒の龍エミルグ・ラースの嫡男、プルトー・ラースです。プルトー、陛下にごあいさつなさい」

「……はい、叔母様」


 とりすましながら魔王に乱暴を働くことを止めないエヴァリンにおののきつつ、プルトーは精一杯平然を装って、蹲る魔王の御前できびきびと一礼した。


「お初にお目にかかります。プルトー・ラースと申します」


 自己紹介を終えると、これでお役ごめんとばかりに身を翻そうとするプルトーの顎を、蛇のようにからみついた魔王アダムスの指がとらえる。プルトーが背伸びをしなければならないくらいに吊り上げて、魔王アダムスは疑り深い目でプルトーとエヴァリンの顔を見比べた。


「見れば見る程、貴様にそっくりだ。本当に、貴様の子ではないのだろうな」

「しつこい!」


 エヴァリンは魔王アダムスを一喝すると、魔王アダムスの手から甥っ子を奪還する。魔王アダムスは、かたちの良い頭部に撫でつけた金髪を苛立たしく掻き混ぜ、肩越しにマキュリーを振り返った。


「だって、どこからどうみても、エミルグより貴様に似ているではないか。どうなっているのだ、エヴァリンよ。何故、マキュリーは貴様にちっとも似ていないのに、姪っ子は貴様にそっくりなのだ」


 マキュリーははてと小首を傾げる。どうして、マキュリーがエヴァリンに似ていなければならないのだろう? 話の流れから、その理由は容易に察することが出来そうなものだけれど、このときのマキュリーにはわからなかった。


エヴァリンに庇われたプルトーは、姪ときいて柳眉を逆立てる。鮫のように尖った歯を剥いて、魔王アダムスに噛みついた。


「僕は叔母様の甥っ子です。叔母様はついさっきそう仰いました。お願いですから、ちゃんとお話を聞いてください。耳孔に耳糞つまってて聞こえないんですか。耳糞と一緒に役立たずの脳味噌も掻きだしちまったら如何ですか」


 魔王アダムスが目を瞠る。すかさずエヴァリンの陰に隠れるプルトーを指さして、魔王アダムスは荒波のように昂った。


「見ろよ、聞けよ! この大魔王アダムス様に対して、初対面でこの態度! これは間違いなく貴様の子だろう! エヴァリン……俺様を裏切ったな!? 二人が結ばれたあの夜、俺様は童貞で、貴様は処女であったのに……! ハッ! まさか、この俺様の魔王的な超絶技巧が病みつきになって、淫乱と化してしまったのか……!? なんと……初陣でそこまでヤれるとは……俺様は……俺様という可能性が恐ろしいぞ……!」


 マキュリーには魔王アダムスの発言の意味がまったくわからなかったけれど、魔王アダムスが滅茶苦茶なこと、失礼なことを吼え立てたということは、なんとなく察した。


エヴァリンは烈火のごとく怒り狂い、竜巻のように魔王アダムスに突進し渾身の回し蹴りを食らわせて、魔王の巨躯を柱にめり込ませた。柱から下半身を生やした魔王アダムスの無様な有様を見ても、エヴァリンの怒りは収まらない。細く尖った肩を怒らせ、エヴァリンは魔王の長く尖った両耳を掴み、力任せにひっぱって、耳許で怒鳴り散らす。


「本当に、どうしようもねぇクソ野郎だよ、てめぇはよォ! わたくしの貞操はダイヤモンドより硬いんだっ! かわいいこどもたちの前で淑女をクソビッチ呼ばわりしやがって、覚悟は出来てンだろォなァ!? だいたい、そう言うてめぇはどうなんだ!? 頭悪そうな女侍らせてチャラチャラしくさりやがって! 余所に隠し子がいたなんて発覚した日には、二度と悪さが出来ねぇ体にしてやるから覚悟しとけ!」


 エヴァリンは激怒し、勢い余って魔王アダムスの右の耳殻を引きちぎった。魔王アダムスは傲慢の鷲獅子なので、欠損はすぐに再生する。そうでなければ、一生の問題になるところだ。


 耳を千切られても、魔王アダムスは悲鳴を上げなかった。魔王アダムスの顔に浮かんだもの。それは不敵な魔王の貫録ではなく、恋する少年の純粋なときめき。


「妬いているのか、エヴァリン。かわいいことをしてくれる。安心しろ、このアダムス様の夜の魔王の封印を解けるのは、この世界で貴様だけだ」


 自らの愛の言葉に陶酔した魔王アダムスは、エヴァリンをその腕に閉じ込めた。うっとりと目を閉じて唇を突き出す。エヴァリンは奇声を上げて、魔王アダムスを真っ二つにした。マキュリーはとっさに目を固く瞑った。間一髪のところでトラウマを植え付けられずに済んだ。


 ぼこぼこと泡立つ音とぐちぐちと粘着質な音がしばらくの間、謁見の間な鳴り響き、やかで止んだ。魔王アダムスが何事もなかったようにぺらぺらと喋っている。マキュリーは恐る恐る瞼を持ち上げてみた。


復活した魔王アダムスは血塗れのマントを両手で絞り、やれやれと肩を竦める。惨劇を目撃した筈のプルトーは、おびえるどころか、血に飢えた目をらんらんと輝かせていた。ついさっきまで、魔王と叔母の痴話喧嘩を目の当たりにして、マキュリーと同じくらい狼狽えていたのに。


憤怒の龍は揃いも揃ってどのつくサディストだと、従兄弟たちが噂していたことを、マキュリーは思い出した。口さがないこどもたちの、根も葉もない噂話だと思っていたが、ひょっとすると、まんざらの的はずれではないのかもしれない。


エヴァリンは、魔王アダムスの血に塗れて恍惚としている。マキュリーは怯えた。恐れを知らない魔王アダムスは、常軌を逸した目をしているエヴァリンに平然として話しかける。


「フフッ、エヴァリン。貴様、俺様と今すぐ二人っきりになりたくって我慢出来ないのか」


 どうしてそうなるのか、それはきっと、魔王アダムスにしかわからない。手前勝手に決め付けて、アダムスはプルトーに目をやった。びしりと不躾な指を突きつけて、居丈高ににやりと微笑む。


「小僧、貴様に可愛いお友達を紹介してやろう。おい、マキュリー。かくれんぼはその辺で切り上げて、出ておいで。無能の倅に、俺様ご自慢のお姫さまを見せつけてやるんだ」


 いきなり矛先を向けられて、マキュリーは目を回した。うまく呼吸が出来ず、噎せてしまう。苦しい息の中、なんとかして目を開くと、涙の膜を貫いて、エヴァリンの強い視線が突き刺さった。


エヴァリンは血潮が透き通る瞳を瞠っている。きらきらときらめくのは、彼女の双眸が泪の潤いを得ているからか。エヴァリンは、胸の前で両の手を握り締めて、掠れた声で呟いた。


「マキュリー……マキュリーなのね。こんなに大きくなって……」


 ひょっこりと背凭れから顔を覗かせたマキュリーは、エヴァリンのただならぬ狼狽に当惑して、戸惑う。背凭れをぎゅっと掴んだ。


エヴァリンは時間が止まったかのように、ぴくりとも動かない。気詰まりに感じて、マキュリーは甲羅にもぐる亀のように、そろそろと背凭れの陰に隠れる。


 魔王アダムスはエヴァリンの細い肩を我がもの顔で抱き寄せる。すると次の瞬間、エヴァリンの右足が閃光のように閃いて、回し蹴りが魔王アダムスの脇腹を強襲した。魔王アダムスはその場に踏みとどまったが、胴回りを半分削られている。魔王アダムスは半分になった腹部を見下ろすと、ぱちくりと瞬きをした。幾ばくかの空隙を置いてから、魔王アダムスは勃然としてエヴァリンの胸ぐらを掴む。


「オイコラ、貴様ァ! このお転婆お姫様! なぜだ!? なぜ今ここで、この魔王様の腸をぶちまけた!? 貴様の苛虐趣味にもグロフェチにも、出来る限り付き合ってやるとは言ったが、このタイミングでやるのはおかしくないか!? 感動の再会だぞ、貴様こそ空気を読まんか!」


マキュリーには事情がのみこめない。けれど、のみこめないなりに、今度ばかりは魔王アダムスの主張は正論なのではないかと思った。

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