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一人は成体の女性で、もう一人は幼体の少年である。少年はマキュリーと同じ年頃のようだ。二人ともキラキラと眩く光り輝く銀髪の持ち主で、魔眼の中心では紅蓮の炎を燃やしている。世俗に疎いマキュリーにも、彼らが憤怒の龍の血統に連なる者だということが一目瞭然だった。
魔王アダムズは拝跪する二人に面を上げろと命じる。マキュリーは飛び上がり、王座の背凭れの陰に隠れた。見知らぬ魔人、それも、月雲ノ上にその威名轟く龍人の視界に入ることは怖かった。それでも好奇心を抑えきれず、こっそりと窺い見る。まずは女性が顔を上げた。
ほっそりとした卵型の輪郭の内側で、美しいかたちの目鼻が完璧な位置で静止している。眼尻の垂れた、物憂げな深紅の双眸にじっと見つめられると、心がざわめく。すっと高く通った鼻梁は素っ気なく、鼻頭はつんと上を向いている。花の蕾のような唇の端がぐっと下がっていて、その表情は不服そうだ。
絶世の美女であることは間違いない。そして、恐ろしく気難しく、不機嫌であることも間違いないだろう。マキュリーは一目見ただけで女性を恐れた。
女性はふわりと居上がると、紅蓮の炎を織り上げたようなドレスの裾をつまみ、完璧なお辞儀をして礼を尽くす。凝ったかたちに結い上げられた銀髪は、月光を受けて七色に輝いた。
麗しく、優雅な女性だ。デコルテや背中を見せる最近の流行に反して、肌の露出は控え目だけれど、野暮ったくはない。飴細工のように繊細な刺繍が白い薔薇の花をあちこちに咲かせていて華やかだし、肘丈の細い袖口に飾られた幅広のレースが、すらりと長い女性の腕のしなやかさを際立たせている。
「久しくご無沙汰しております。寵招に預かり光栄ですわ」
女性が隣の少年な目配せすると、少年は立ち上がり、おとな顔負けの優雅なお辞儀をを披露する。女性とよく似た美しいおもざしをしていた。服装を見れば少年だということがわかるが、女装をすればとびきりの美少女として通用するだろう。彼もまた、むすっとしていて虫の居所が悪そうだった。
鷲獅子人も皆、美貌を誇っている。けれど、龍人の美しさは、鷲獅子人の、毒々しく刺々しい美しさとはまったく異なる。龍人特有の、神経質で繊細な美貌にマキュリーは見惚れた。二人揃って、不機嫌な顔をしているのが怖くて、前に出る勇気はなかったけれど。
魔王アダムズは、跳ねるように席を立った。謁見の間の隅っこに控えている近衛兵がはっきりと視認できるだろう、大ぶりなしぐさで両腕を広げる。廊下にも響き渡るくらいに声を張り上げた。
「待ちかねたぞ、エヴァリン! 貴様、いったいどういう了見だ! このアダムズ様という名の魔王様のお誘いを、悉くシカトしおって! このアダムズ大魔王様に放置プレイをかますなど、正気の沙汰ではない! 貴様は少女の時分、畜生を丸飲みにしてしょっちゅう喉を詰まらせておったから、その悪癖故に、脳みそが壊死したのではあるまいな!? オラオラ、どうなのだ。 なぜ応えぬ!? 耳孔に耳垢を詰まらせたか!? ……今、嫌な顔をしたな! この俺様が、貴様の変化を見逃すとでも思ったか! 本当は聞こえているのだろう、知らんふりをするな! エヴァリン・プライド! そんなにツンツンするでない ! そろそろ素直になって、この魔王様にだけにつけいる隙を見せろ! 恐れ多くもこの大魔王様は、寝ても覚めても貴様のことばっかり考えているのだ! 昨晩など、貴様にはミニスカナースとバニーガール、どちらの衣装が似合うか考えていたから寝不足なのだぞ! この俺様にこんなにも想われているのだ、光栄に思えよ!」
流石は四対の翼をもつ魔王アダムス。魔王の名に恥じない見事な傲慢さである。エヴァリンの、血の気が透き通る頬が青ざめた。エヴァリンはけぶるような長く櫛ぴした睫毛の下で、目を矢尻のように鋭く尖らせた。
「恐れがましくも申し上げますが、わたくしども龍人族に一分の隙も御座いませんのは、一重に、高貴なる御身に献身する為に御座います。筋金入りのお体つきに反して、お頭の中身が慎ましくていらっしゃる陛下の、汚ねぇ汚ぇ尻っケツを誰が拭ってやってると思ってやがりますか。お下劣な妄想してるヒマがあるなら、睡眠を摂れ! 目の下の隈、酷いと思ったらそんな理由か! 心配して損したわ! なんだ、ナースって! バニーって! 誰がコスプレなんぞするか! あんな破廉恥な真似は二度しないって言ったでしょうが! 忘れるんじゃねぇよ、バーカバーカ! もうてめぇは寝ろ! 寝ろ寝ろ! そしてそのまま永遠の眠りにつけ! 起きていたってろくなことしねェからな、この万年発情期の獣め! 誰がプライドだ、魔人を勝手に嫁入りさせるな! それと、お姫様っていうな! いくらいくつになっても若々しいとはいえ、わたくしはもう良いお歳なのですよ!」
エヴァリンの乱暴な口調と剣幕に驚いたのだろう。隣の少年が目を剥きのけ反る。マキュリーは悲鳴を殺す為に口元を押さえ、ガタガタと震えていた。魔王アダムスだけが平然としている。心なしかニヤニヤしている。魔王アダムスはすっくと玉座から立ち上がると、足取り軽く階段を下りて行く。
「この魔王様にあんな痴態やそんな媚態を妄想して頂けるのだ。感動に咽び泣くが良い。なんなら、その妄想を現実にして下さいませ、と俺様の膝の上にちょこんと乗っかって誘惑しても良いのだぞ! 貴様だけは、特別に許す。貴様という女は世界中の女どもの羨望の的だな。誇るが良い。それと、俺様が下僕をなんと呼ぼうが、俺様の自由だろうが。貴様はいくつになっても、俺様のかわいいお姫様なのだ。それとそれと、エミルグの無能を俺様のせいにするな。龍人どもは、俺様の高貴な尻を拭わせて頂く栄誉をありがたく頂戴していれば良いのだ」
「かかかかわいいとか言うな!」
「恥ずかしいのか? いつもは目くじらをたてる、貴様の愚兄の悪口を聞き逃すくらい恥ずかしがっているのか? はずかしがってる貴様はかわいいな! ずっと恥ずかしがっていろ! ……恥ずかしがると言えば、貴様、いつになったら、俺様の花嫁になるのだ。そもそも、このアダムス様にプロポーズされたら、返事は即答のはい喜んで! に決まっているのだろう。考えさせてくださいとは何だ。考える必要がどこにある?」
壇上から下りた魔王アダムスが、頬を林檎のように赤く染めたエヴァリンの額に額を寄せる。エヴァリンはおたおたと後ずさり、小鳥が囀るように上ずった声でまくしたてた。
「バカも休み休み仰いッ! このわたくしが、てめぇごとき下司下郎魔王の求愛にひらひらと靡くとお思い!? 分際を弁えなさいませ! まだ、お兄様のお許しを得られていないのでしょうが、このすっとこどっこい! あと、お兄様は無能じゃねぇ! 病み上がりでいらっしゃるんだよ、てめぇのわがままで振り回すんじゃねぇ! お兄様、げっそりしちゃってんじゃねぇか!」
「ハァ!? 貴様、なに言っちゃっているのだ!? 貴様が言ったのだ! 忘れたとは言わせぬぞ! あれは俺様も貴様も幼体であった頃、貴様は俺様の愛の告白を鼻先であしらい、差し出したお花を叩き落としてこう言った!」
魔王アダムスはごほんと咳払いをひとつすると、右手の魔人さし指をエヴァリンの額に突き付けて、左手を腰に手をあてて、裏声で言った。
「『お生憎様。わたくし、お兄様より弱い殿方には興味なくてよ。貴方のような、弱虫の泣き虫は大嫌い。本気でこのエヴァリン・ラースを妻としたいなら、魔王になってから出直していらっしゃい』と言った。忘れたとは言わせん! 俺様は魔王になったぞ! 俺様は貴様の愚兄、エミルグに勝って魔王になった! 俺様はエミルグより強いのだ! つまり、貴様は俺様のお嫁さんなのだ ! そして貴様がなんと言おうと、貴様の愚兄は無能だからな! この素晴らしい俺様を義弟として認めぬ愚か者が、無能でなくてなんだなのだ!」
「今の、わたくしの真似!? 気色悪ッ! いっぺん死んどけッ! それは何百年前のことだよ、こどもの言うことを間に受けんじゃねェ! てめぇがお兄様に勝てたのは、偶然たまたま何かのはずみ、奇跡的なまぐれです! そうでなければ、完全無欠の最強紳士であるお兄様が、貴方ごときに遅れをとる筈がございません! うっかり魔王になってしまった成り上がりのくせして、お調子にのるのも大概になさい! だぁがぁらぁ! お兄様は無能じゃないって言ってんだろうが、ぶっ殺すぞ! 貴方がそんなだから、お兄様はいつまでたってもわたくしたちの結婚を認めて下さらないのですよ!」
エヴァリンは両腕をばたばたと闇雲に振りまわして魔王アダムス牽制する。魔王アダムスは瞠目し、よろめくように一歩下がった。項垂れた彼の米神に青筋がくっきりと浮かび上がる。
「正気か……俺様だぞ!? アダムスと言う名の天下無敵の魔王である俺様が、幼少の砌より、ずっと貴様だけを一途に想続けてきたのだぞ! それをけんもほろろにふって良いのか? 良くない! 絶対に良くない! だいたい、俺様の勝利はまぐれでも奇跡でもない何でもない! エミルグとの決戦前夜、貴様は忍んで俺を訪ねて言った」
再び、魔王アダムスが咳払いをひとつする。エヴァリンは血相を変えて魔王アダムスに飛びかかる。
「言わせるか! 黙れ! 黙らねぇなら殺してやる!」
しかし、魔王アダムスは仔猫にじゃれつかれたように軽々とエヴァリンをあしらって、裏声で言った。
「『今宵は貴方の最後の夜。貴方は魔王にはなれませんし、わたくしは棺桶の妻にはなりません。貴方は憤怒の龍の妹に夢中になってしまったばかりに、何も成せず、何も遺せず、消え失せるのです。そんな貴方は、愚かしく滑稽で、あまりにも憐れなので……お望みでしたら、貴方の子を産んで差し上げてもよろしくてよ。そうしたら、貴方が消え失せても、貴方の生きた証しは残ります。それに、あなたの忘れ形見と一緒なら、あなたを喪っても、わたくしは生きてゆけると思うのです』」
エヴァリンは断末魔めいた悲鳴をあげた。彼女の隣の少年の耳には、魔王アダムスの言葉は届かなかっただろう。マキュリーの地獄耳はバッチリ聞き取ってしまったけれど。
魔王アダムスはふんぞり返って勝ち誇った。
「あれはつまり、俺様がいなきゃ生きてゆけぬ程に、俺様を愛しているという愛の告白だ! あのときはいっぱいいっぱいで、気が付いたのはやることやった後だったが……まぁいいだろう! 俺様の勝利は、二人の愛の勝利なのだ!」
「ギャアアア!! うるせぇうるせぇ、黙れ黙れ! 黙れねぇなら息をするのをやめろォォォ!」
魔王アダムスの顎を、エヴァリンが儚げな美貌に似合わない力強い拳で殴る。魔王アダムスは舌を噛んだようで、血を吐き散らかしながら中指を突き立てた。
「良かろう、やめてやろうではないか! ただし、俺様が呼吸をやめたら、貴様は潔く俺様のお嫁さんになるのだぞ!」
「おふざけ抜かしてんじゃねェ! 棺桶の妻になんぞなってたまるか!」
「ふざているのは貴様だ! この俺様が、エヴァリンとマキュリーをのこして死ぬものか! 俺様は、貴様達二人を発狂するくらい幸せにすると決めている! その為の大魔王アダムス様なのだ! 貴様、わかっているのか!? このアダムス様は貴様にぞっこんで、べた惚れで、命懸けで愛しているということを!」
エヴァリンの白皙の美貌は、真っ赤に燃え上がり、湯気をたてている。両手に顔を埋めるエヴァリンを、魔王アダムスが抱き締める。やさしい抱擁に身を委ねていたのも束の間のこと。エヴァリンは魔王アダムスの股間を蹴りあげた。




