呂布カルマ 「夜行性の夢」 批評
個性とは、他人とは違う目鼻立ちをしている事を意味するのではない。この没個性の社会、絶えず、世界を薄い皮膜に還元しようとしている社会では個性というのはどこにも見られない。しかし同時に、個性らしきものは無数に現れている。それら全てが、この平たくなった社会の中で、大多数の価値観に訴えかけるものであるとするなら、個性らしきものはいつも、自らでないものに溶けていく事を目標としている。
「人生はショーだったとしよう 俺はヒーロー それともピエロ」
(呂布カルマ 「夜行性の夢」)
呂布カルマは現代においては、珍しく個性を持っているアーティストと言えると思う。何故、個性があるかと言えば、彼が己の孤独を守ろうとしているからだ。個性とは、自ら勝ち取るもので、守るべきものである。自分の感性、個性、才能と人が言うのに僕は疑惑を持つ。実に多くの人が「人々の目」で物を見る。彼らは「彼」と言うより「人々」と言うにふさわしい。
「お前らが寝ている間に遊ぶ お前らが寝ている間に稼ぐ お前らが寝ている間にぶっ飛ぶ 可能性無限 夜行性の夢」
「お前ら」という言葉の用法は「神聖かまってちゃん」に似ている。呂布カルマが「お前ら」と言う時には、そこに憎悪と愛情が共存していると言えるだろう。人々の活動の裏(「夜行性」)に自分がいて、それがクリエイティブな自分である。人々の価値観に溶けていく事が絶対であるような、人々それ自体が絶えず自己肯定する神として君臨する世界では、「お前ら」と「俺」は違う存在だとはっきり認めなければ「自分」は現れえない。夜行性の夢…人々の背後にいる呂布カルマ自身の姿は、形而上的な響きを持っている。ただ、夜の盛り場を歌っている歌ではない。
「なあ、聞かせろよ 何が欲しいの? 俺は優しいふりしたBーBOY 俺はイカれたふりしたBーBOY
俺はcoolなふりしたBーBOY 俺は大人のふりしたBーBOY」
これは、「お前ら」に対する直接的な言葉と受け取れる。…例えば、YouTubeのコメント欄を見てみればいい。「実は呂布カルマはいい人だ」という意見が見える。それはそうかもしれない。強がっている呂布カルマは本当は優しくて良い人なのかもしれない。
例えば「神対応」という言葉が使われる。「塩対応」という言葉が使われる。神対応は○で、塩対応は×。アイドルは性体験を暴露する事を要請され、芸人は年収を暴露する事を要請される。「ファン」「信者」「アンチ」…まとめて、彼らは一体、何を欲しているのだろうか。大御所芸人がベッドの上でどんな行為をしたのか、年収が一億越えた人間が普段はコンビニでおにぎりを買っていると知って安心しようというのか。
「呂布カルマ」という人物が、それを見る人に対して「実は優しい」と取られても、「イキガッているだけ」と取られても「大人だ」と思われても、「子供だ」と取られても、それらは同じ事であろう。アイドルであれば、神対応をしなければいけない、と絶えず強迫観念に囚われているのだろうが。ツイッターで「あなたは影響力があるから、もう少し大人になった方がいいですよ」と忠告してくれる「大人な」人も沢山いる。
呂布カルマはそういう全てに対して、自分の取れる態度はただ仮面でしかない…そう明かしているように見える。「呂布カルマ」という人物が実は優しくても、いや、その実ろくでもない人間だとしても、そのどちらでも、それはただの仮面でしかない。ファンが、アンチが受け取る彼の相貌は、仮面として現れる他ない。それが何対応であろうと、そこには仮面としてしか存在できない自分がいる。その事をはっきり認識して表出する事。そこに、ようやく仮面にヒビが入る瞬間が現れる。
呂布カルマという人物は夜ーーつまり、人々の活動する裏側にいる。そこに孤独な彼の相貌があるが、それが人々の前に現れると、必ず仮面として現れる事になる。仮面としてしか、人々の前に顔を出す事は不可能だろう。鑑賞者達は、仮面の奥の本当の表情を探そうと、スキャンダルにも裏の顔にも精通するが、それにより、彼らは新たな仮面を手に取る他ないのだ。呂布カルマはその事を知っている。だからこそ呼びかける。
「なあ、聞かせろよ 何が欲しいの? 俺は優しいふりしたBーBOY 俺はイカれたふりしたBーBOY……」
この地点において、鑑賞者達ーー人々ーー「お前ら」は、沈黙する他ないだろう。彼らは自分の望む仮面を欲していたのだ。だが、それを暴く作品は彼らの意向を越えている。仮面を望む人々には仮面しか与えるものはない。それをはっきりと言明する事。そして、人々の裏側に、まだ仮面化されていない本当の己がいる事。それら二つを呂布カルマは知っている。こうした二つの相貌が融合した危うい地点に彼はいる。こうしたアーティストは現在では、稀であろう。
(歌詞はYouTubeのコメントから取りました。もしかしたら間違っているかもしれませんが、間違っていたら僕の責任です)