愛の形
夏以外の季節がなくなって、二月は平均気温三十度を超える日が続いている。
蝉が異常増殖し、進化を遂げて寿命は二十日まで伸びた。
一年中の鳴き声の騒音被害と、温暖化で建物の窓は何重にもはめ込まれ、太陽光発電が盛んになり原子力は無用の長物となった。
食料問題も深刻化し、人工プラントが過疎地域に乱立、人手不足な中、ロボットの自動管理に頼るしかない。
国境も不必要なほどの人口減少で、人種や宗教の違いも、少人数同士の話し合いなら理解も生まれやすい。
行き違いや些細な争いはなくならなかったが、問題になるほどには皆、追い詰められる物が無い世界になっていた。
金も権力も銃も戦争も核爆弾も、もはや、遠い昔話になっている。
それでも統べる人間は必要だった。
人工知能が選出した十五歳以上の男女、二人が外界から一切隔離された施設で、次の適正者二人が現れるまで世界を統治する。
外界からの連絡手段は無く、適正者二人が世界中の監視カメラや、ランダムに表示されるニュースで問題を導き出し、解決する術を音声のみと映像と、直筆の手紙の三つの手段で皆に伝える。
適正者は施設の中で自給自足の生活をし、子供は一人だけ出産を許された。
余程で無い限り、適正者同士は惹かれ合うのが常である。
人工知能はお互いに無いものを持っている人間を選ぶことが多かったので、その確率も上がっていた。
今期の適正者、リルとシクラも例に漏れず、惹かれ合う。
リルは強気な少年で、一度自分が決めたことに揺るがない裏付けをちゃんと説明できる聡明さを持っていた。
シクラは母性本能が強い女性で、他者が何を求めているのか直感で分かる感性を持っていた。
リルは孤児だった。
シクラは看護師だった。
突然の適正者勧告に戸惑い、嘆き、二人は衝突するが、やがて、リルはシクラの寛容さに、シクラはリルの率直さに自分に無いものを見つけた。
目覚めるような出会いに、ゆっくりと適正者としての生活を受け入れ凪いだ時間が流れ始める。
前任の適正者は、二人の準備が整うと解放される。
「頑張ってね」
「分からないことは二人でとことん話し合うんだよ」
穏やかな表情の元適正者は、リルとシクラを心から励まし、まだ小さな子供の手を引いて外界へと帰って行った。
二人はできる限りのことをした。
問題が起これば解決法を話し合い経過と結果を外界に報告し、平和なら未来への準備を進め、資源が底をついたら学術書を読み漁り、外界の科学者と渡り合う。
それでも終末は避けられない決定事項だった。
リルとシクラはもう手が無いことを感じ取っていた。
人類はもうすぐ滅亡する。
外界へ正直にそのことを報告し、適正者の任を終えることも伝えた。
リルとシクラは施設から出て、できるだけ肉声で今日のために集まった世界中の人達へ伝えた。
「みなさん、あと一日、思いきり好きなことをしましょう。近くの人と笑い合いましょう。奇跡は生き延びることではありません。奇跡は、この一瞬を生きているということです。悲観してはいけません。ロボット達が私達の後を引き継いで、その身が錆びて壊れても、データは永久に残るのです。痛い思いはしなくていい。ただ、午前零時に眠るだけです。長い夢でもう一度、会いましょう」
歓声と拍手の雨の中、人々の雑踏に紛れたリルとシクラはしっかりと手をつないでいた。
「ねえ、リル。今日はバレンタインデーなんですって」
「シクラ、ずいぶん昔の行事をいきなり持ち出して、何を企んでいるの?」
「私、リルが好きよ」
「僕もシクラが好きだ」
二人は見つめ合い、微笑む。
「これ、味は黒糖だけど、チョコみたいに固めてみたの」
シクラは紙に包んだ茶色の四角いかたまりをポケットから出した。
「へえ、いつの間に……」
「最後のサトウキビで……ごめん」
困ったように肩をすくめ、シクラが許しを乞う。
「僕のために?」
リルは感動して、怒るどころか涙ぐんでいた。
「ええ。愛の証よ」
「愛が形になってるなんて……」
シクラがチョコを模した黒砂糖のかたまりをリルの口に入れた。
「……甘い」
遂に涙を流したリルがシクラを抱き締め、キスをする。
「甘いわ……」
シクラも泣いていた。
「僕のために、僕だけのために……大好きなシクラが、僕のために愛を作ってくれた……なんて、なんて幸せなんだろう……」
リルはずっと求めていたことが叶えられて、満ち足りた気分だった。
「リル、私もあなたのために愛を作れてすごく幸せよ」
シクラもリルが求めていることを自分が叶えられたことで、この上なく満たされていた。
空から死の雪が降り始める。
二人はそれでも笑い合い、今、この瞬間、生きていることに感謝していた。