綺麗事
斎藤くんを挟んで、あたしと朝子は対峙していた。
授業前のざわついた廊下で、ガンマンよろしくあたしはトートバック、朝子はショルダーバッグに片手を突っ込んで、今にも取り出そうとしている。
何をって?
そりゃあ今日はバレンタインデーですからね。
チョコですよ、もちろん。
たぶん、朝子も。
「あれ?朝子、今日、授業あったんだ」
斎藤くんが立ち止まり、朝子に片手をあげる。
「あ、うん……いや、ちょっと」
朝子は嘘がつけない性格なので、もじもじと言い澱み、チラチラとあたしを見る。
「あれ?翼も?おはよ」
斎藤くんが朝子の目線であたしを振り返り、屈託のない笑顔を見せた。
「おはよ……ちょっと朝子と待ち合わせしてレポートを図書室でやろうかなって」
あたしは嘘をつくのは平気なので、トートバックから何も持っていない片手を出して、朝子のもとへ斎藤くんを追い越して歩いた。
「相変わらず仲がよろしいことで」
あたしと朝子が並ぶと、斎藤くんは眩しそうに目を細める。
「斎藤くんは友達いないもんね」
あたしが茶化すと、うっせー、と斎藤くんは笑い、行ってしまった。
「……朝子、説明しなさいよ」
斎藤くんに手を振り、前を向いたまま朝子に言う。
「……説明、いる?」
朝子がいけしゃあしゃあと返す。
あたしが朝子を向くと、朝子は目をそらし唇を尖らせ、カッスカスの口笛を吹いていた。
「……ちょっと」
朝子の腕をつかみ、あたしはキャンパスへ連れ出す。
授業が始まって、生徒もまばらな芝生のスペースで、日当たりの良いベンチに腰掛ける。
「朝子、あたしが斎藤くん好きなの知ってるよね?」
前置きもぶっ飛ばして、あたしは朝子に切り込む。
「うん」
黒目をキョロキョロと動かし、朝子は頷く。
「朝子、斎藤くんにチョコ、渡そうとしてたでしょ」
「……うん」
「義理?本命?」
「……本命」
どうして朝子は嘘をつかないのだろう?
ちょっとはあたしに遠慮して、とか思わないのだろうか。
「いつから?いつから斎藤くん好きなの?」
「え?……先週から」
「は?」
「先週の月曜日から」
あたしは確かにいつから好きなのか訊いたけれど、先週の月曜日から好き、とか初めて聞いたわ!
具体的すぎだよ。
好きってもっとふわっと淡い感じで、いつの間にか気がついたら……ではないのか?
「……どうして先週の月曜日から好きになったの?」
朝子はお嬢様育ちだから、世間とは少しズレていてもしょうがないのかもしれない。
そう自分に言い聞かる。
「え?翼が斎藤くんのためにチョコを準備してるのを見てたら、なんだか、ドキドキーっとして、胸がギューっと……」
「………」
あたし越しに斎藤くんを好きになったってこと?
もう、喉までこの言葉が出かかっていたけれど、思い込んだら一途な朝子だから、言ったところできっと斎藤くんを好きな気持ちは変えられない。
「翼、ごめんね」
朝子が上目遣いであたしの顔色を伺う。
「斎藤くんと翼、きっと付き合うと思う。だから、そうなる前に私の思いを伝えたかったの」
「……朝子」
「翼が知らないうちにパパッと終わらせるつもりだったんだけど、まさか、ばったり会うなんて、ね」
「うん」
「ごめんね、私、もうチョコ渡さないから」
「どうして?」
「だって、翼に嫌われたくない」
「……朝子」
女の友情なんて、男が絡めばうたかたより儚い。
二十年女やってれば、一度や二度、そういうことを経験したり、近くで見たりする。
「朝子、あたし、斎藤くんとどうなっても朝子と友達でいたいよ」
本心だった。
朝子は自分を飾らないで付き合えた初めての友達だ。
世間ズレしてるとこもほっとけないし、本屋でおすすめの本を開き、その一節を読み聞かせし始めた時は、衝撃だった。
小声で、でも、感情を込めてあたしに自分が感動したことを一生懸命伝えようとした朝子に、強く惹かれた。
「朝子が斎藤くんと付き合うことになったとしても、朝子とは絶対に友達でいる」
「……翼」
綺麗事だろう。
頭の隅で気づいていた。
朝子と斎藤くんが付き合ったら、あたし、嫉妬で狂うかもしれない。
でも、朝子も諦めたくない。
「朝子、斎藤くんの授業が終わったらチョコ、渡しに行こう」
「翼、いいの?」
「いいも、悪いも朝子の気持ち、あたしが無かったことになんてできない。斎藤くんにチョコを渡して思いを伝えるのは朝子の自由なんだよ」
「自由……」
「そう、自由に好きになって、自由に仲良くなって、あたしたち、楽しく生きていくんだよ」
未来が憎悪にまみれていたとしても、朝子の気持ちをあたしが決めることはやっちゃいけない。
「わかった」
素直で真っ直ぐな朝子。
きっと斎藤くん、気持ちを揺さぶられることだろう。
それでも、あたし、斎藤くんにチョコを渡すから。
どっちも選ばれなくても、どっちか選ばれても、それは斎藤くんの自由だ。
授業終了のチャイムが鳴る。
怖い。
朝子、あたしたちどうなっちゃうんだろうね。
知らず朝子の手を握っているあたし。
「翼、わくわくするね」
「……」
朝子が引きつった笑顔で、震えていた。
綺麗事だけじゃない未来が、艶めかしくおいでおいでしている気がして、あたしも朝子にうまく微笑むことができなかった。