友チョコをあげない
バレンタイン用のラッピングをはしゃぎながら選ぶ女子高生が溢れかえっている100円ショップで、ゾンビのごとく死臭を漂わせ、ぼうっと突っ立っている紅原を見つけた。
マスクをつけているが、明らかに暗い表情で目は澱んでいる。
一回家に帰ったようで、制服でなく黒のニット姿に、髪をざっと一つに束ねているだけの彼女は、周りの女子高生と同類とはとても思えないほど若さがない。
「紅原」
私は無視することもできない位置に来るまで彼女に気づかなかったので、しょうがなく声をかける。
「宮下」
紅原は少しだけ目を見開いてこちらを向いた。
「なに?紅原もバレンタインの買い物?」
できるだけ明るく訊いた。
「……妹の付き添い」
紅原の目が完全に死んだ。
「……妹、小学生だっけ?」
「うん」
「そっか、大変だぁ……じゃ私はこれで……」
私は早々に退散をしようと片手を上げた。
「待って」
紅原が私の腕をがっちりつかむ。
「……待たない」
私は一応、拒否した。
「知ってますか?人間の価値は優しさと思いやりだって」
「………」
紅原、それ私が昔、今よりどうしようもなかったあんたに言った言葉だよ。
「もう30分以上待ってる。限界。トイレ」
紅原の目が血走っていた。
嫌な予感はしたが、トイレと言われたら断わり辛い。
案の定、紅原は私に妹を押し付け逃亡した。
半泣きで姉の姿を探す妹は、紅原とは正反対に純粋で可愛らしい。
自宅まで妹を送り届けると、紅原はまだ帰宅していなかった。
もし会えば文句がいくらでも出るところだったので、無駄な労力が削減されたと考えておこう。
しかし帰る途中、自分の買い物をしていないことを思い出し、紅原に対してムカムカと怒りが湧いて来る。
紅原……あんたはいつもいつも私をいいように利用して、私がいつもいつも黙ったままだと思ったら大間違いだ。
私はバレンタインに、紅原用の友チョコをあげない選択を取ることに決めた。
「宮下」
紅原が大通り沿いの本屋から出て来て、明るく声をかけてくる。
「……」
私は無視してそのまま歩く。
「ごめんごめん!急に調べたいこと思い出しちゃってさー、家から宮下が妹送ってくれたって連絡あった。ありがとー」
「………」
「あれ?宮下?みーやさん!」
早歩きのスピードを落とさない私の横を必死でついて来る紅原の目は、三日月型に変形する。
きっとマスクの下は笑っているに違いない。
そうやって自分の都合が悪くなった時だけ笑う紅原。
「もう絶交だから」
私は真っ直ぐ前を向いたまま紅原に言う。
「……宮下」
紅原のスピードが遅くなる。
もう知らない。
私を利用する紅原なんて、もう友達じゃない。
「宮下!」
紅原がマスクをあごの下へ引き下ろしながら私の目の前へ回り込んだ。
街のざわめきが不意に止まる。
点滅していた歩行者用の青信号が、いつまでたっても赤に変わらない。
吹きつけていた冷たい風が、紅原の身体で遮られる。
空が回転する。
ビルが押し寄せる。
周りの無数の目が刺す。
今までマスクの下であたためられていた紅原の唇が、私の荒れて冷えた唇を湿らせる。
「絶交なんて……言わないで」
少しだけ唇を離した紅原が、潤んだ目を私の目に映す。
ずるい。
私は紅原のその目が好きでたまらない。
助けを求める純粋さに、心を打たれる。
「私は紅原の都合のいい存在なんかじゃない」
心を打たれながらも、今までの不条理を無かったことにはできない。
「……うん。そうだね。これからは宮下を怒らせるたびに、こうして……」
紅原は再び唇を重ねてくる。
「……ね?」
唇を離して紅原が私の機嫌を伺う。
周りの人のことなど、まるで気にしていないようだ。
紅原らしい。
「……足りなくなったらどうするの?」
私は震える身体をいつの間にか紅原に支えてもらっていた。
この体勢だと、まるで私が甘えるように訊いているみたいだ。
「足りなくなったら、もっとすごいことしちゃいましょうかね?」
「………バカ」
私は恥ずかしくなって、紅原の胸に顔を埋める。
あーあ、これはもう許したことになっているのだろうな。
紅原のことだから軽い気持ちでキスして、調子いいこと言ってるに違いないのだろうけれど、私はすっかり骨抜きだ。
でも友チョコをあげないことは変更しない。
あげるのは本命チョコ。
私は紅原の胸の中でそう決めた。
紅原……覚悟なさい。
私を利用するとどうなるのか、思い知らせてあげる。