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さようなら

独身だったら、今頃、どうしてたかな?


きっと経理の下元くんに、デパ地下でちょっと高級なチョコレート買って、ウキウキで仕事終わりにデートしてたと思う。

いや、絶対そうしてた。うん。


独身の私は、もし結婚してたら今頃、どうしてたかな?って考えるのだろうか。


きっと経理の下元くんと、幸せなマイホームでチョコレートホンデュをしている姿をヨダレ垂らしながら妄想しているに違いない。うん。



しかし、現実は違う。


合コンでうっかり泊めてしまったスーパーのバイトの男が、なぜかそのまま居着いて、そのうっかりで妊娠して、結婚した。


そして、バレンタインデーの今日、もうすぐ臨月の私とスーパーのバイトの男……夫は近所のいつもの定食屋で、スタミナ定食を向かい合って食べていた。


「もうすぐだね、産まれたらつれといでよ」


定食屋のおばちゃんが私の膨らんだ腹を優しく撫でる。


「おばひゃん、男だと思ふ?女だと思う?」


夫が口の中に、まだご飯を詰めたまま喋りだす。


「……そうだねぇ……あんまり前に出っ張ってないから女かもね。ほら、赤ん坊を腰に持ってるだろ?」


「おばちゃん!ほんとに!」


夫がご飯粒を私のスタミナ定食に飛ばしながら、嬉々として叫ぶ。


「私が娘妊娠した時とおんなじ感じだからね。99.999パーセントお、ん、な」


おばちゃんはいい女ぶってウィンクすると、厨房へ戻って行った。


「ねえ、女だって!」


夫が目を輝かせ、私の皿に肉をどんどん乗せてくる。


「……あなたの分がなくなるじゃん」


「ほんとは焼き肉連れて行きたかったんだけど、ごめんね。給料日前で……」


しゅんとして、夫が箸を止める。


「いいよ、別に。ここのスタミナ定食おいしいもん」


「……ごめんね。俺なんかと結婚する羽目になって。ほんとは好きな人、他にいたのにね」


ドキン、と心臓が凍りつく。


下元くんのことは、夫に一言も言っていない。


「なにをバカなことを……」


私は肉を口に運ぶ。


「……いいんだ、別に。君の優しさにつけ込む感じで居候して、妊娠させて、結婚まで……じゅうぶんだよ」


「……なによ。なにが言いたいの?」


まさか、ここまで来て別れるなんて言うんじゃないでしょうね。


もし、そうなら……


「じゅうぶんだけど、まだまだこれから俺はやるよ!君と子供のそばに居たいからね!」


「……」


「と、いうわけで、正社員になりました」


「は?」


「店長から正式にお達しがありまして、来月から正社員です!」


「………」


「君の給料には程遠いけどさ、ボーナスも少し出るようになるし……」


私は止まっていたスタミナ定食を食べることを再開する。


「あれ?どうした?」


肉も野菜もご飯も口いっぱいに頬張って、尚、味噌汁に漬物を詰め込む。


「怒ってる?気に入らない?」


「む……ぅ……」


私は頭を左右に振り、なんとか咀嚼する。


……下元くん、さようなら。


私、この人がスーパーで認められたこと、どうやらすごく嬉しいの。


下元くん、さようなら。


私、この人がそばに居たいって言ったこと、すごく感動したの。


下元くんとの恋を夢見てた私……さようなら。


私、この人と子供と家族になること、やっと決心できた。


「……おめへとぉ……」


笑顔をごまかすためにほっぺたに食べ物を残したまま、お祝いの言葉を夫に伝えた。


「うん」


照れくさそうに夫は微笑み、膨らんだ私の頬へ指をつんつんした。


定食屋を出て、いつものコンビニで夫にチョコレートを買って、あげた。



さようなら、なんて言ったけど、この人と家族になる決心もしたけど、独身だったら、な私の万華鏡のようなきらびやかな「もしも」に、時々は癒されたいと思うのは、ダメだろうか……。


「この子が産まれたら二つに増えるー」


のんきにチョコレートを頬張りながら歩いている夫。


「男の子だったらどうすんの?」


「え?……俺があげる?」


「……12点」


「えー!じゃあ、じゃあ、俺と息子と二人で君にあげる?」


「……87点……」


「よしゃー!」


無邪気に喜ぶ夫に、不覚にもときめいてしまった。


もう、さようなら、さあ、さようなら。


お腹の中で二人の生命がグニャリと動いた。

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