人を殴るという事
息を吐く。
ビニール袋の中の空気は思いのほか出て行かない。
どんなにぺしゃんこにしたと思っても、残ってしまう物だ。それを丹念に畳んで、ゆっくりと押し出す。どんなに丁寧にやってもゼロにならないと知っていても、それを目指して祈るように押し込む。
そんな感じに息を吐く。
細く長くだ。
体の芯が降りていく。膝から腿にたまり根を張る。
グと足を捩じ込む。足のヒラの皺の一本一本を伸ばし、地を食い込む。
息を吸う。
腹を持ち上げるように、肩が上がり過ぎないようにだ。
理屈は判らないが、肩が上がると増長しているようで締りが悪い。
陶芸の土を練りこむように、擦り込むように身体を作っていく。
また、息を吐く。
もっと深く芯を落とす。体がぺしゃんこになるような感じで・・・
呼吸を繰り返す。
深く体が降りていく。
こうなると体のどうだかよく判る。
手を握る。そんな簡単な行為の意味がよく判る。
指を先から順に曲げ畳み込んでいく。掌の肉が爪から逃げた。
もう一度最初からだ。
作ったこぶしが平らにならない。
ピンと定規で引いたように平らにならない。
力任せに握りこむ。手がイタイイタイと涙を流す。
やり方を間違ったのか、問うて見る。
もう一度。
両の手を交互に握る。
ぼきぼきぼきと話しかける。巧くはいっていないみたいだ。
手の甲の人差し指と中指の間の筋が涙を流す。
今度は小指から握り込むタイラよりももっと抉るように、拳は酷く引きつった顔になった。だがその顔が気に入った。
その顔が話しかける。
「お前は向いていないんじゃないか?」
そうかも知れないな。お前で突き込んでやるよりも、歪んだ面で引っかいてやるほうがらしいかも知れない。
「そうそう」
でもそれは逃げじゃないのか?
「しょうがないそう出来て居ないのだから」
本当にそうなのか?
「知らんがな」
彼は私に興味が無いらしい。
拳が宙を斬る。
様々な線で移動する。
抉るように放つ。手ごたえは有る。だが気に入らない。
「何でだ?」
音がしないだろ?
「そういうものだろ?」
そんな事は決まってない。
俺は何も知らないし、僕はなにもしらない。
歪んだ面を握りつぶしてやれ。
ヒュッ
力みすぎ。
もう一度。今度は力を抜いて掌を開いた。
遅すぎる。
もう一度。今度は今までの行程を一息で、ただし乱暴な呼吸は控える。
もう一度。今度はサボっていたのはだぁれ?
肩、足首、腰、手首がおずおずと答えた。
右足の小指が小さく手を上げていた。気付いてやれ無くてゴメンな。
今度は小指で噛み、足首でねじり、腰で擦り込んで、肩で逃がさずに・・・
もう一度。思いのほかに小指が暴れた。力が膝で逃げていった。
それに・・・遅すぎる。悟られる。力みすぎ。自然に・・・
もう一度。
もう一度。
もう一度。
ぱん。
男は深く溜息を吐いてその日は立ち去った。
自分の下手さ加減に呆れたのだろう。
次の日。
男の前に男が一人蹲っていた。
男は冷淡にその姿を見つめていた。
人だった物を・・・