第10話「一瞬で永遠の素敵な思い出」 4(完)
「フィルは悪くないの! 私を助けてくれたの! 私はどうなってもいい、だけどフィルは咎めないで!!」
「……メルティナ、こう呼べるのはこれが最期だ。その望みは聞き入れよう。だが、そなたは別だ。もはや人ではない『ジンガイ』の身にアセリアの姫を名乗る事は許されぬ。この言葉の意味は分かっておるな」
「……分かりました。父様にはご壮健であらせますよう。ただ……フィルが私に会いたいと言ってくれたなら、できるだけのご配慮を」
「それも承知した。……さらばだ、メルティナ、我が娘」
――それが父と娘の最期の会話で、約束だった。
廃教会の事件から1ヶ月――――。
突入した兵士と異端教徒の間で激しい戦闘になり、双方全滅。
突入の時点でメルティナ姫は殺害されていたと、援護に入った兵士が虫の息の者から伝え聞いたという。
犠牲者は兵士15名、異端教徒18名……そしてメルティナ姫。
それが国の公式発表だった。
国王ザレイン三世はメルティナ姫の国葬の後、異端教徒の徹底的な弾圧を行なうと告知した。
そして国民は、深い悲しみに暮れると共に、異端教徒を滅する意志を示した国王を熱狂的に支持したのだった。
* * *
――――アセリア城の地下最深部。
ごく一部の者しか知らない場所に、その牢はあった。
そこに足を運ぶフィルの手には、まだ朝露に濡れる摘んだばかりの花がある。
鉄格子の前に立ち、中で寝ているに者に声をかける。
「おはようございます、姫様」
「……ん、誰だ?」
寝ぼけまなこを左手でこすってぼやく風情はとても姫のそれではないな、とフィルは苦笑する。
「フィ、フィル!?」
「そうですよ」
「く、来るなら来るって前もって言え!」
「毎朝、登校前に寄ってるんですから必要ないでしょうに」
「だからって……」
ああ、可愛らしいな、と毎朝思う。だから毎朝来てしまう。
「今朝、来る途中で見つけました。多分、今年初のアゼリアの花です。どうぞ姫様に」
「――私はもう姫ではない」
「ぼくにとって姫様は姫様です」
「こんな無様な姿でもか?」
無様……確かに、その姿は姫と呼ぶには似つかわしくなかった。
身体に纏っているのは華やかなドレスではなくボロボロの布。
右手首には身の丈ほどの銀の十字架が枷のように付けられており、両足首は鎖で床に繋がれている。
「はいっ、もちろんです」
そのマイペースさにメルティナは少々呆れ顔だ。
「で、どうですか? 特注の十字架の具合は」
「大丈夫。おかげで何とか『人の姿』でいられる。けど……」
「……けど?」
「――……右手をこっちにかざして」
「え?」
「いいから早く」
「こ、こうですか」
鉄格子越しにフィルがかざした右手。
そこに自分の左手を出して掌を合わせるメルティナ。
ほぼ同じぐらいの大きさだ。
「……ひと月も経つのに爪も髪も全然伸びてないでしょ。私だけ時間が止まったみたいに」
「あ……っ」
「廃教会での傷だって治ってるし、まるで……不老不死みたいな」
「不老……不死……」
「きっとこの手だって、今は同じぐらいでも……やがてフィルだけが大きくなっていく」
「姫様……」
「嫌だよ……私だけ置いてきぼりなんて」
フィルがメルティナの手を握り締め、そっと抱きしめる。
そうしなければメルティナの心が砕けそうに思えたから。
「人間に戻れる方法はきっとあります。だから諦めないで下さい」
一瞬の出来事に、頬を赤くするメルティナ。
そして、フィルの優しい言葉に静かに目を閉じて頷いた。
「――……うん」
その言葉を確認したフィルは小さく微笑む。
「じゃ、学校行って来ますね」
「ああ、励め」
「はい!」
答えてフィルは階段を駆け上っていき、振り向きざまに叫んだ。
「僕は姫様と一緒に歳を取って一緒に死にたいです!」
「わ、私もフィルと一緒がいい! 朽ち果てるのも絶対に一緒だぞ!」
かつての姫は、ただただ満面の笑顔で格子の向こうから見送る。
それが2人だけの思い出。2人の約束。
――――メルティナ姫が外の世界に出るのはそれから5年後のお話。
* * *
地下牢での会話は続く。
「まさかオマエが身代わりを申し出ようとはな」
「姫様を外の世界に出していただき、陛下の計らいには感謝しております」
「別に逃がした訳ではない。自らの手で人に戻るのなら、こちらの手間が省けるというだけの話だ。それにオマエという人質もいる」
「それでも、『十字架』まで用意して下さいました」
国王の表情が少し穏やかになった。フィルにはそう見えた。
「アレは……人に戻れたなら喜んで自分の首を差し出すと言った。そしてオマエまでも」
「私は、姫様と一緒ですから」
「フン、度し難いほどの大バカ者だな。……だが、オマエ達の覚悟に報いたいと思ったのも確かだ」
「陛下……」
「おしゃべりが過ぎたようだ。これで帰るとしよう」
城に戻ろうとする国王をフィルが呼び止める。
「最後にひとつだけお聞かせください。どうして姫様が外の世界へ出る事を許して下さったのですか?」
少しの沈黙の後、国王の口がゆっくりと開いた。
「せめて……身の処し方だけは、娘の望むとおりにさせてやりたい。余も度し難いほどの大バカ者という事だ」
その背中に国王としての威厳は無く、娘を失ったひとりの親がいるだけだった。
そして、国王の足音はどんどん小さくなり地下牢には静寂だけが残った。
少し間が空いてしまいましたが、これにて思い出編終了です。
次回より通常営業になります。
それにしても男同士の会話は華が無いですね(笑)