走り出せ!【木村】
こうして目を閉じていると感覚が研ぎ澄まされたような気分になる。視覚を遮断しているから他の機能で補おうとするからかなと勝手に解釈する。
微かに吹く風、草や花のそよぐ音、土の匂い、何かが川に落ちる音。
……。何かが川に落ちる音?
それに伴い子供達が何か騒いでいる声が聞こえる。
俺は目を開けゆっくりと上体を起こした。するとさっきまで鬼ごっこをしていた子供達が集まって川に向かって何か叫んでいる。子供達が叫んでいる方向に視線をやると川から飛び出した巨大な岩に必死にしがみついている少年が見えた。
まずい!
記憶が確かなら川の水深は俺の腰あたりだろうか。だが小学生だと十分に溺れる危険性がある。川の流れはそう早くは無いが小さな子供の体力を奪うには十分だ。しがみついていられるのもそう長くはもたないだろう。
俺は急いで立ち上がり土手を下り川に向かって猛スピードで走った。
集まっている子供達の所へたどり着く。一人の女の子が近寄ってきた。
「鬼ごっこしてたら川に落ちちゃったんです」
女の子は不安そうな表情で俺を見つめる。他の子供達はどうしたらいいのかわからずオロオロとしている。
「わかった。絶対助けるよ」
子供達の不安を和らげるため俺はそう笑顔で言い切った。
時間が無い。スマホと財布だけズボンから抜き取り俺は服を着たままザブザブと川の中へ入って行った。夏とはいえ水温は低い。あまりの冷たさに思わず身震いする。水深はやはり腰の高さほどだ。これなら俺が溺れることは無い。
岩にしがみつく少年は必死に歯を食いしばって堪えている。
「頑張れ!すぐ助けに行く!」
少年を勇気付けるため俺は叫んだ。後ろから子供達が「頑張れ」と声援を送る。
服が水を吸い体が重い。そう遠く無い距離だが川の流れも合わさり思うほどスピードが出ない。だが、
ランニングで鍛えた足腰舐めるな!
水を裂くようにグイグイと進んでいく。
もう少し。
もう少しで手が届く距離まで迫った。だが、少年の握力に限界が来たのか岩を掴む手がするりと抜けてしまった。
「ゆうとー!」
見ていた子供達が少年の名前を叫ぶ。
少年は一気に水の中へと引きずり込まれた。
くそっ!諦めてたまるか!
俺は自分の持てる力を全て足腰に集中させ少年が沈んだ所へ飛び込んだ。体全体が水に浸かる。泳げない訳ではない。水中で目を開けると一瞬手のようなものが見えた。それを無我夢中で掴み自分の所へ抱きよせ水中から体を出す。
「ゴホッゴホッ」
少年は水を飲み込んだらしく激しくむせているがすぐに目を開け自分が助かったことを確認している。
岸にいる子供達から歓声が上がった。
良かった…。間に合った…。
俺は安堵の表情を浮かべ少年を抱き抱え岸へと向かった。
岸にたどり着くと子供達が一斉に集まってきた。助けた少年はあれだけ怖い思いをしたにも関わらずしっかりと俺を見て「ありがとうございました!」と言った後深々と頭を下げた。それを追うように子供達も「ありがとうございました!」と口々に言う。
ここまで感謝されると何だか照れくさくなるな。
「いやいや、助かって良かった。今度川の近くで遊ぶ時は注意するんだぞ」
俺は何だか無性に恥ずかしく照れている事を必死に隠しながら言った。
女の子の一人が助けた少年に泣きながら駆け寄った。どうやら最初に話しかけてきた子だ。
「うぇぇぇん!もう会えないかもしれないと思ったよぉぉぉ!」
少年が恥ずかしそうに笑う。
あれ?この光景どっかで…。
俺はふと考え込む。
『うわぁぁぁん!真司にもう会えないと思ったよぉぉぉ!』
そうか。美香が小学生の頃迷子になった時に言った言葉だ。
あの時自転車で七夕市中を探し回ったな。結局隣町に近い駄菓子屋で保護されててそれまで泣いてなかったのに俺を見た瞬間べそかきながら抱きついてきたんだった。
懐かしい記憶に思わず口元が緩む。
中学生の記憶だろうと小学生の記憶だろうと美香との思い出なら鮮明に思い出せる。それはなぜか…。
「お兄ちゃん?」
子供達の一人が心配そうに俺の顔を覗き込む。どうやら俺は一定時間フリーズしていたようだ。俺は慌てて取り繕う。
「ごめんごめん!俺はもう行かなくちゃいけないんだ。今度からは気をつけるんだぞ」
そう言うとスマホと財布を拾い子供達に背を向け全身濡れているのも構わず星空学園の方向へと走り出した。
このまま何も言わずさよならなんて出来るかよ!