■第十一話 一万個作ったら、今度は材料が足りなくなった
「……一万個?」
王都店から届いた注文書を見て、沙樹は固まった。
目の前には、アルベルト商会のアルベルト。
その手には、一枚の注文書。
「はい」
「一万個?」
「はい。一万個です」
「……石鹸が?」
「石鹸が一万個です」
沙樹は注文書をもう一度見た。
間違いではない。
普及石鹸。
一個、一銅貨。
それを一万個。
「一週間で?」
「正確には、十日以内です」
「…………」
沙樹は天井を見上げた。
「私、何か悪いことしました?」
「むしろ、何か良いことをした結果だと思いますが」
「そういう意味じゃないんです」
トーマが横から注文書を覗き込む。
「一万個か……」
ガルドも覗く。
「一万個……」
二人とも黙った。
沙樹は腕を組む。
「今の工房で、一万個作れる?」
トーマが首を横に振った。
「石鹸そのものは、頑張れば何とか」
「頑張れば?」
「ただし……」
「ただし?」
「材料がありません」
「……」
今度は沙樹が黙った。
アルベルトが苦笑する。
「実は、それを伝えに来たのです」
「材料のことを?」
「はい」
アルベルトは注文書を机に置いた。
「普及石鹸は安い。だからこそ売れています」
「ありがたい話ですね」
「ところが、安いということは、一個あたりの利益も大きくありません」
「そうですね」
「そのため、一万個という数量になると、原材料費が非常に重要になります」
沙樹はうなずいた。
今までは少量生産だった。
材料は、その都度買えばよかった。
植物油。
薬草。
香り付け用の素材。
水。
容器。
包装紙。
少量なら、それほど問題にはならない。
しかし。
一万個。
話が変わる。
「……油」
沙樹が呟いた。
「はい?」
「植物油、今どのくらいあります?」
トーマが在庫表を確認する。
「普及石鹸を一万個作るなら……全然足りません」
「どのくらい?」
「今の在庫だと、千個も作れません」
「千個……」
沙樹は頭を抱えた。
「十倍必要じゃん」
「そういうことです」
「薬草は?」
「こちらも足りません」
「容器は?」
「足りません」
「包装紙は?」
「足りません」
「人手は?」
「足りません」
「……」
沙樹は机に突っ伏した。
「工房を大きくしたのに……」
トーマが言った。
「材料を置く場所は増えましたけど」
「材料そのものが増えてない……」
「はい」
「……盲点だった」
沙樹はゆっくり顔を上げた。
これまで自分は、
「どうやって作るか」
ばかり考えていた。
だが。
一万個作るなら、
「何をどれだけ仕入れるか」
のほうが重要になる。
「よし」
沙樹は立ち上がった。
「仕入れを変えます」
「仕入れを?」
「今までみたいに、その都度買うのをやめます」
アルベルトが興味深そうに聞く。
「では?」
「材料を作ってもらいます」
「作ってもらう?」
「はい」
沙樹は紙を広げた。
まず、石鹸に必要なものを書き出す。
植物油。
薬草。
香り用の花。
水。
それから包装用の紙。
「油は農家さんに作ってもらう」
「油を?」
「油になる植物を育ててもらうんです」
この世界にも油を取れる植物はある。
ただし、多くは食用として使われていた。
そのため、石鹸用として大量に確保するのは難しい。
「でも、農家が作ってくれるでしょうか?」
トーマが尋ねる。
「買い取り価格を決めればいいんじゃない?」
沙樹はあっさり答えた。
「収穫したら、一定量を必ず買う」
「必ず?」
「はい」
沙樹は紙に数字を書いた。
「市場価格が下がっても、一定価格で買います」
アルベルトが少し驚いた顔をした。
「それは農家にとって、かなりありがたい話ですね」
「でも、私にとってもありがたいんですよ」
「なぜです?」
「材料が安定して手に入るからです」
沙樹は続けた。
「農家さんは売り先を探さなくていい。私は材料を探し回らなくていい」
「なるほど」
「お互い楽になるなら、それでいいじゃないですか」
アルベルトが笑った。
「沙樹さんらしい考え方ですね」
「そうですか?」
「ええ」
その日の午後。
沙樹はさっそく農村へ向かった。
案内役はアルベルト。
最初に訪れたのは、植物油を作っている農家だった。
「石鹸用の油を?」
農家の男が首を傾げる。
「はい」
「食用ではなく?」
「石鹸用です」
「そんなに使うのか?」
「今は少量ですが、今後かなり使います」
「どのくらい?」
沙樹は答えた。
「毎月、一万個以上です」
農家の男が固まった。
「……一万?」
「はい」
「毎月?」
「できれば」
「そんなに石鹸が売れるのか?」
「売れています」
男は腕を組んだ。
「だったら、こちらとしても悪い話ではないな」
「では、契約しませんか?」
「契約?」
「一定量を作ってもらいます。その代わり、私が一定価格で買います」
沙樹は簡単な条件を書いた。
必要数量。
納品時期。
品質。
買い取り価格。
不作の場合の扱い。
そして前払い金。
「前払いまでしてくれるのか?」
「種や道具を買う必要があるでしょう?」
農家の男は驚いた。
「そこまでしていいのか?」
「ちゃんと作ってくれれば大丈夫です」
男は紙をじっと見つめた。
そして。
「分かった」
契約が成立した。
次は薬草。
薬草を扱う村人とも話をする。
「毎月、一定量買い取ります」
「本当に?」
「はい」
「今までは、採れた分を市場へ持っていっても、売れるかどうか分からなかった」
「それなら、私が買います」
「多少形が悪くても?」
「石鹸に使える品質なら」
「……ありがたい」
こうして。
少しずつ材料の仕入れ先が決まっていった。
帰り道。
アルベルトが言った。
「思ったより簡単に決まりましたね」
「そうですね」
「しかし、これで本当に一万個作れるのでしょうか?」
沙樹は少し考えた。
「材料が揃えば」
「揃えば?」
「次は工房の問題です」
「……」
アルベルトが苦笑する。
「まだあるのですね」
「ありますよ」
工房に戻る。
沙樹は作業場を見渡した。
今までは十分広いと思っていた。
だが。
一万個という数字を知ってから見ると。
狭い。
ものすごく狭い。
「石鹸を作る場所」
「乾燥させる場所」
「切り分ける場所」
「検品する場所」
「包装する場所」
「完成品を置く場所」
沙樹は指を折っていく。
「全部足りない」
トーマが苦笑する。
「また工房を大きくしますか?」
「……そうなりそう」
「今度は最初から大きくしましょう」
「そうですね」
沙樹はうなずいた。
そして、ふと気づいた。
「待って」
「どうしました?」
「工房を大きくするだけじゃ駄目だ」
「え?」
「倉庫が必要」
「倉庫?」
「材料を大量に買うなら、保管する場所が必要でしょ」
トーマが黙る。
ガルドも黙る。
アルベルトまで黙った。
三人とも、同じことを考えていた。
「……また仕事が増えた」
沙樹が呟く。
しかし。
今回は少し違った。
以前なら、自分が全部やろうとしていた。
でも今は。
農家が材料を作る。
薬草を採る人がいる。
商人が運ぶ。
工房では作業員が加工する。
店員が販売する。
沙樹が全部やる必要はない。
「……これなら」
沙樹は小さく笑った。
「私、ちゃんと楽できるかもしれない」
その翌日。
工房の隣にある空き地を見ながら、沙樹は新しい計画を書き始めた。
材料倉庫。
乾燥庫。
油の保管庫。
包装資材倉庫。
そして。
大量生産用の石鹸工房。
紙の一番上には、大きくこう書かれていた。
『一万個生産計画』
沙樹は満足そうにうなずいた。
「これで大丈夫」
しかし、その日の夕方。
王都店から新しい手紙が届いた。
リナからだった。
沙樹は封を開ける。
そこには、たった一行。
『普及石鹸、王都店だけで月三万個売れる見込みです』
「…………」
沙樹の手から、手紙が滑り落ちた。
「三万?」
トーマが拾う。
「三万個……?」
ガルドが覗き込む。
アルベルトも読む。
そして。
四人で顔を見合わせた。
沙樹はゆっくり呟いた。
「……一万個で材料が足りなかったのに」
少し間を置いて。
「三万個って……」
工房の中に、静かな沈黙が落ちた。
そして沙樹は。
「……農家さん、もっと増やしてもらわないと」
頭を抱えた。
こうして「石鹸を作る仕事」はいつの間にか
「材料を生産してもらう仕事」へと変わり始めていた。




