怠け者と追放された聖女は敵国で破滅を待つ
大陸北部に位置するガルドルド王国は、世界最大の魔石鉱脈を抱える資源大国だ。
険しい山々に囲まれた広大な国土は天然の要塞であり、幾度となく侵略者を退けてきた歴史を持つ。その軍事力は、周辺諸国を圧倒する。
侵攻の標的となったのは、南に広がる大平原の覇者、フェルディナ王国。
数多の大河がもたらす豊かな土壌と、見渡す限りの黄金色の畑。世界最大の糧食庫と謳われる農業大国である。
開戦当初は誰もがガルドルド王国の一方的な勝利を予想していた。
けれど、戦火は一年で終わらなかった。
二年、三年……。
ガルドルド軍は平原を制しても補給線を断たれ、フェルディナ軍は幾度敗れてもなお立ち上がる。
誰もが短期決戦を信じた戦争は、互いの国力を削り続ける消耗戦へと姿を変えていた。
圧倒的強者のはずだったガルドルド王国に、フェルディナ王国が対抗できた最大の理由が、聖女の存在である。
聖女シエル。
命ある者ならば、どれほど深い傷であろうと癒してしまう奇跡の乙女。 腕を失おうと、腹を裂かれようと、息さえあれば聖女の癒しは肉体を完全に修復する。
──それなのに。
聖女シエルはフェルディナ王国から追放された。
理由は、癒しの力を使うことを拒んだからだ。
それまで数年にわたり人々を癒し続けたシエルは、ひと月あまり力の行使を拒否し続けたその果てに。
怠け者の役立たずであると、国や兵を見捨てた裏切り者であると、母国から追放されることとなったのだった。
それから更に、ひと月あまり。
シエルは現在、ガルドルド王国にいる。
フェルディナ国兵に捨て置かれた山中で倒れていたところを、ガルドルド国兵に拾われたのだ。
とはいえ、シエルの素性はすぐに知られることとなり、決して丁重に保護されるようなことはなかった。
拘束され、ガルドルド王宮へと連行された。
──敵国の憎き聖女。
散々にガルドルド兵を苦しめる要因となったシエルは、憎悪の目に晒され、罵声を浴びせられた。
更に牢に入れられたシエルを待っていたのは、辛い尋問。フェルディナについての情報を吐くよう強要され、黙秘を貫けば手を上げられ、食事を抜かれる。
敵国への恨みや怒りを、誰もが躊躇いなくシエルにぶつける中、たった一人。仇としてではなく、一人の人間として接してくれる人がいた。
ガルドルド王国第一王子、ルシアンである。
「君の話を聞かせてほしい」
彼は決してシエルを罵ったりすることはなく、ただ彼女自身について問う。
その異質さに戸惑うばかりだったが、ルシアンはたびたびシエルのもとへ訪れた。
そのうちに少しずつ、唯一ルシアンとだけは、言葉を交わすようになっていた。
やがてルシアンから、核心に触れる質問が投げかけられた。
「長らくフェルディナと戦ってきた私たちだからこそ、君の献身的な働きはよく理解している。国のために癒しの力を使い続けた君が、突然それをやめたのはどうして?」
「……それは……。言えません」
「もしかして、力を失ったから? ……それとも」
俯くシエルを、ルシアンは探るようにまっすぐに見つめる。
「激しい戦火の最中だ。君の置かれた環境も、過酷だったんだろう。酷い扱いを、受けていたんじゃないのか……?」
シエルが驚いたように顔を上げた。
ルシアンの労わるように細められた目と目が合って、シエルの肩が震える。それから堪えていたものが決壊したように、シエルの瞳から涙が一粒、ぽたりと落ちた。
「……すまない。嫌なことを思い出させてしまったね」
ルシアンの言葉に、シエルは首を横に振った。
そして記憶を辿るように、ぽつぽつと語り出す。
「……私……生まれは平民なんです。癒しの力があるとわかって、聖女と呼ばれ、国のために一生懸命働いてきました。……でも……」
シエルが言い淀む。
言葉にならない思いの先には、これまでの苦労が透けて見えるようで……。
ルシアンは続きを促すことはせず、優しく目を細めた。
「君は私たちガルドルドの厄介な敵だったが、国のために力を尽くしていた君をフェルディナが粗末に扱ったのならば、それは到底許されることではない。私なら、そんなことはしない。決して」
ルシアンの言葉は、忠実に守られた。
シエルの部屋は、牢から客室へ。食事の質も良くなり、身の回りの世話をするメイドもつけられた。
もちろん待遇は良くなれど、シエルに向けられる目が好意的なものに変わることはない。メイドも監視役の騎士も、シエルの処遇には納得できないようで、常に冷え切った目を向けられる。
それでもルシアンの厳命により、シエルが冷遇されることはなかった。
そうして改善された生活がしばらく続いた頃。
変わらず定期的に顔を見せるルシアンに、シエルは意を決したように切り出した。
「ルシアン様。……お願いがあります」
シエルの瞳には、強い意志が滲んでいる。
「傷ついた兵士の皆さんを、治療させていただけませんか」
「! だが、君はフェルディナの……」
「あなた様のお役に立ちたいんです」
ルシアンはわずかに戸惑う様子を見せたものの、すぐに笑顔で頷いた。
「ありがとう。君の力に、どうか頼らせてほしい」
◆
負傷した兵たちの治療院。痛みに呻く兵たちが溢れかえるその場所には、フェルディナ王国への恨みと憎しみが満ちている。
そこへ突如現れた、敵国の聖女。
シエルが治療院に足を踏み入れた瞬間、幾人もの騎士が剣の柄に手をかけた。激痛に喘いでいた傷病兵たちすらも、シエルを認識した途端に憎悪の眼差しを向けてくる。
彼らにとってシエルは、何人もの仲間を討ち取ったフェルディナ兵を陰で生かし続けていた元凶そのものなのだ。
一触即発の空気を制したのは、ルシアンだった。彼はシエルをかばうように前に立つ。
「控えよ。彼女への無礼は許さない」
王子の一言に、場が一瞬で静まり返った。
冷えた空気の中で、刺すような視線を一身に浴びながら、シエルは一人の兵士が横たわるベッドへと歩み寄る。
そこにはまだ年若い兵士。
右足が太ももから潰れ、傷口は激しく抉られ、骨が覗き見えるほど。全身が血と泥にまみれ、青白い顔で息も絶え絶えの重傷だった。
シエルは兵士の傍らに立つと、躊躇うことなくその汚れた傷口に白い手を差し出した。
「……っ! やめろ、さわるな……!」
兵士が拒絶の言葉を絞り出した、その時。
シエルの手元から、柔らかな光が溢れた。美しく優しい光が、兵士の傷口を包み込む。
次の瞬間、とても信じ難い光景が広がる。
はじめに耳に届いたのは、骨が、肉が蠢くミシミシという不気味な音。同時に、傷口から見え隠れするそれらが、自ら重なり組み合わさっていく。その上から真新しい皮膚が伸び、みるみるうちに傷を覆った。
「……!!」
その場にいた誰もが息を呑む。
あまりに桁外れな力はいっそ恐ろしいほどで、シエルを見る彼らの視線に含まれるのは、畏怖ばかりでなく、まるで化け物を見るようなものもある。
瀕死の重傷がすっかりと消え失せた当の兵士は、驚愕に目を見開いたままにゆっくりと起き上がった。
「……痛くない……。足が、動く……」
「傷は完全に治したので、もう大丈夫です。でもどうか、ご無理なさらず」
シエルが慈悲深い笑みを浮かべる。
憎むべき相手に救われた戸惑いと、強大すぎる力を目の当たりにした驚き。
治療院はしんと静まり返り、息苦しいほど張り詰めた空気が満ちる。
そんな中、ルシアンはシエルの手をそっと取った。
「奇跡の力だ……。聖女の名に相応しい……!」
「ありがとうございます。お役に立てたなら、良かったです」
「もちろんだ。君の力は、本当に素晴らしい」
ルシアンはそう言うと、包み込んだシエルの手を慈しむように優しく握りしめた。
その光景を呆然と見つめていた兵士たちや周囲の騎士たちの間にも、少しずつざわめきが広がっていく。
憎悪や敵意が消え去ったわけではない。しかし、死の淵から一瞬で引き戻された男の姿を目の当たりにして、彼らの瞳に宿る色は確実に変わりつつあった。
──この女は、味方にすればこれ以上なく心強い存在なのではないか、と。
「シエル」
ルシアンがシエルの顔を覗き込むように、そっと囁く。
「君の力を、ガルドルドのために……いや、私に貸してくれないか。君を追い詰めたフェルディナとは違い、私は君を正当に評価し、大切に扱うと誓う。どうか、私とともに歩んでほしい」
それはシエルを認める甘い言葉。けれどどこか、拒絶を許さない響きを含んでいた。
シエルはそれに気づていながら、知らないふりをした。一瞬だけ目を伏せると、ゆっくりと顔を上げる。頬をわずかに染め、無垢な笑みを浮かべて。
「はい。あなた様のためなら、喜んで」
そう頷いたシエルに、ルシアンは満足気に口元を綻ばせた。
その日から、シエルは献身的に兵たちの治療にあたった。朝から晩まで治療院にこもり、一日に何十人もの負傷兵の傷を癒す。
シエルの力によって、重傷者すら瞬く間に戦列へ復帰するようになった。
ガルドルド軍は一気にフェルディナを攻め落とすと思われたものの、侵攻は思うように進まない。
むしろ日に日に負傷者の数は増え、シエルの負担は増すばかりだった。
そんなシエルの身を気遣い、ルシアンも頻繁に治療院に顔を出す。
「シエル、少し無理をしすぎじゃないか」
「平気です。傷を負った兵の皆さんがたくさんいらっしゃいます。放ってはおけません」
「しかし……君が倒れては、元も子もない」
「私の力は、一晩休めば回復します。痛みに苦しむ方々の治療を放棄することはできません」
ルシアンが休息を促しても、シエルは頑なにそれを拒む。
「……心配なんだ、君のことが。フェルディナにいた頃の二の舞になって欲しくはない」
「ルシアン様……。こうして、私を想ってくださるあなた様がいるから……。精一杯、力を尽くしたいんです。ルシアン様のために」
健気に微笑み、身を削るように治療にあたるシエルを前にして、ルシアンはぐっと拳を握りしめた。そして、声を張り上げる。
「皆の者! 聖女シエルの献身に、恩に報いよ! 傷が治った今、戦の最前線に戻り、国のために忠義を果たすのだ!!」
兵たちを鼓舞する声は治療院に響き、彼らの肩を震わせた。
◆
若き兵ロイドは、意識混濁の中にいた。
明瞭としない思考の中で、死が近づいていることを悟る。
ロイドはこの戦争でこれまでに二度、酷い傷を負い、それでもまた戦場へ舞い戻っている。
一度目は、肩に敵兵の矢が命中した。
その矢は味方の手ですぐに引き抜かれたが、傷の痛みは強烈で、意識を飛ばしそうになった。
呻くロイドを救ってくれたのが、聖女シエルだった。
彼女の力で痛みはすぐさま消え、傷は綺麗になくなった。本当に、奇跡みたいだった。
翌日には、戦の前線に戻された。
ロイドも命を助けてくれた聖女に恩義を感じ、力を尽くすつもりだったのだ。
──けれど。
傷は治っても、あの痛みは確かにロイドが感じたものだ。
敵を前にすれば、どこからか矢が飛んでくれば、一度味わった強烈な痛みの記憶と恐怖が襲ってくる。
体が強ばって、足がすくんだ。
自分の体なのに思うように動かず、戦場で前にも後ろにも進めない。
そんなロイドが、肩に傷を負ったたった数日後に再び負傷するのは、当然のことだった。
二度目は、敵兵に切りつけられ、右腕を負傷した。
命に関わる怪我ではなかったものの、やはり痛みは激しく、血がたくさん出た。
利き腕をやられたので、ロイドは剣を握れない。前線から離脱できた時は、正直ほっとした。
しかし治療院へ送られれば、聖女がいる。
たちまち怪我を治され、そしてまた翌日に最前線へと向かうことになったのである。
聖女の癒しを受けておきながら、兵の役割を拒むことなどできはしない。
けれどもう、ロイドは戦場に立ちたくはなかった。死ぬことよりも、何度も繰り返し味わう激痛と、恐怖に震える毎日の方が、余程恐ろしく感じ始めていた。
こんなことなら、もういっそ、ひと思いに──。
とうとうロイドは敵軍の中に、身を守ることなく飛び込んだ。
腹に鈍い痛みが走って、倒れ込む。這いつくばって、敵のものとも味方のものともわからない何本もの駆け回る足を眺めているうち、目の前がだんだんと暗くなって、意識が朦朧としてきた。
もう痛みもわからない。
ようやく、楽になれる。
この地獄から抜け出せる。
目を閉じて、ただじっとその時を待った。
しばらくすると、優しく温かい光が瞼の裏を染めた。これが天国の光なのかもしれない。
安らかに死を受け入れたロイドは、しかし腹の底から湧き上がる強烈な違和感に息を詰まらせた。
腹の中で、肉が、内臓が激しく蠢く。体の中を無理やり書き換えられるような、おぞましい感覚が全身を駆け巡る。
「……ぐっ……!!」
乱暴に強制的に覚醒させられた意識。
ロイドは弾かれたように目を開いた。
白い光の中で、見覚えのある淡い金の髪が揺れ、その下の慈愛に満ちた瞳が見下ろしている。
「危ないところでしたね。でも、もう大丈夫ですよ。明日にはまた、戦場に復帰できます」
声にならない悲鳴が、ロイドの口から漏れた。
聖女シエルの美しく優しい微笑み。
けれどロイドにはそれが、逃げられない地獄へと陥れる恐ろしい化け物にしか見えない。
◆
聖女シエルを迎えてから、ガルドルド軍の損耗率は劇的に改善した。
瀕死の兵ですら翌日には戦列へ復帰する。兵の離脱が激減した今、戦況は確実に優勢へ傾くはずだった。
けれども前線は押し返され続けていた。
戦場から届く報告書を前に、ルシアンは眉をひそめる。
「なぜだ……」
兵の数に不足はないはずだ。負傷した兵たちは次々と治療され、再び剣を取っている。
それなのに、前線が維持できない。
報告書に記載されているのは、第三陣地の後退。更にフェルディナ軍の押し戻しに耐え切れず、戦線は下がり続けているという。
「一体、どうなっている……!」
苛立ちと焦りの滲むルシアンの声に、軍の司令官が苦い顔で告げる。
「兵たちの動きが、日に日に鈍くなっております」
「……何?」
「命令には従います。しかし敵を前にすると、動きが鈍い。過度に恐れ、そうかと思えば、自ら敵の剣へ向かって飛び込む者もいます。気が狂ったように、殺してくれと叫ぶ者まで……」
「馬鹿な!」
「兵の脱走も相次ぎ、兵数は減っているのです。敵のフェルディナ軍へ寝返り、投降する者が後を絶ちません」
ルシアンは言葉を失った。
一体、何が起こっているというのか。
ガルドルドは兵を大切に扱っている。どんな傷を負おうとも、聖女シエルが完璧に癒しているのだから。
それなのに、どうして五体満足の兵たちが、戦うことを恐れるのか。何度も命を助けられて尚、敵へ寝返るという裏切り行為に走るのか。
ルシアンの立ち回りは完璧だったと自負している。
初心で従順なシエルをうまく手玉に取り、自主的にガルドルドに尽くすよう仕向け、そして不滅の軍を手に入れた。
シエルさえ手中にあれば、勝利は間違いないのに──。
「……っ、くそ……! とにかく、あの女には引き続き治療にあたらせ、私も治療院に顔を出す。兵どもが裏切ることのないよう、私自ら釘を刺す……!」
「はっ」
「……それから、このことは陛下の耳には入れるな。病床の身でお気を病ませ、心理的負荷を与えるようなことになってはならない」
ガルドルド国王陛下は、開戦一年後に病に倒れた。このことは決して外に漏れぬよう、厳重に情報統制している。
だからこそ、ルシアンが王国へ勝利をもたらさねばならないのだ。
ルシアンは焦燥にかられ、手元にある情報を精査することなく、判断を誤った。
それから間もなく、ガルドルド王国はフェルディナ王国に降伏することとなる。
◆
ガルドルド王国の最後は、あまりにも呆気なかった。
堅牢を誇った山岳要塞は次々と明け渡され、城門には白旗が掲げられる。多勢のフェルディナ軍を前に、近衛兵も戦意を喪失し、王宮は難なく制圧された。
実質ガルドルド王国トップとしての役割を果たしていた第一王子ルシアン。そして、敵兵を癒し続けた裏切りの聖女シエル。
二人は身柄を拘束され、フェルディナ王国兵に占拠された王宮内の一室にいた。
共にフェルディナ兵たちから憎悪の目を向けられ、乱暴に床に転がされている。
耐え切れない屈辱をどうにか紛らわせるように、ルシアンは一方的にシエルを罵った。
「おまえのせいで……! 聖女とは名ばかりの毒婦め! おまえがガルドルド軍に毒を撒き、狂わせ、壊したんだ! おまえさえいなければ……!」
ルシアンが、兵たちの異常の原因はシエルにある──とようやく思い至った時には、既に手遅れだった。
寝る間も惜しんで働き続けたシエルは、ルシアンの罵倒を聞いているのかいないのか、ぼんやりと空を見つめている。
そこへ現れたのが、フェルディナ軍総指揮を務める、将軍アルフレッド。
ルシアンは思わず口を噤んだものの、自身を見下ろす彼を忌々しげに睨みつけた。
しかしアルフレッドはルシアンを一瞥すると、すぐにその隣のシエルの前に跪いた。
「シエル様、よくぞご無事で」
「遅いです、アルフレッド様。本当に見捨てられたのかと思いました」
「申し訳ありません。あなたに関することは秘匿していたために、兵たちが無礼を」
謝罪を口にしながら、アルフレッドがシエルの拘束を素早く解き、助け起こす。
ルシアンは驚愕に目を見開いた。
目の前で起こっていることが、とても信じられない。
これでは、まるで……。
「シエル! おまえ、騙していたのか! フェルディナと内通し、癒しの力と偽ってガルドルド兵を洗脳し、操っていたのだな!?」
アルフレッドの手を取り立ち上がったシエルは、ルシアンを見下ろすと、不思議そうに首を傾げてみせた。
「おかしなことをおっしゃいますね。私、ルシアン様のお望み通り、治療をしていただけですよ?」
「そんなはずはない! おまえの力は、たしかに兵を狂わせた!!」
ルシアンの言葉に、シエルとアルフレッドが顔を見合わせる。それから揃って笑みを漏らした。
「ああ、たしかに。この男の言う通りだ。本当に、お見事な手腕です。シエル様」
「うまくいって良かったです。私も追い詰められてて、ずっと怖かったんですよ。結果を出さなければ、ただの反逆者ですから」
フェルディナで働いていた頃、一部の兵たちの異変に真っ先に気が付いたのは、直接彼らと接するシエルと、彼らの上官であるアルフレッドだった。
このまま対策を怠れば、最悪の場合、軍が崩壊する──。
にわかには信じ難い進言も、国王陛下は無下にすることなく耳を傾けた。
一切の治療を拒否し、傍目には怠慢にしか見えないシエルを非難する声はあまりに大きかったが、かと言ってシエルとアルフレッドの危惧していることをそのまま公表すれば、大きな混乱を招くことはわかり切っている。
表向きは追放したことにして、シエルがガルドルドに潜入する──。
それは、ある意味賭けだった。
とはいえ、シエルは割と早い段階で勝利を予感していた。
フェルディナ王国においては、癒しの対象は重傷者に限っていた。治癒後も、十分な休息を与えてからの戦場復帰だった。
対してガルドルドは、成果を急ぐあまり、平気で兵を使い潰していたのだから。
「ルシアン様。ご自分以外をただの駒としか認識していないあなた様にはわからないでしょうが、兵にも心があるんですよ。体の傷は治せても、心は簡単にはいきません」
「……馬鹿、な……。そんなことで」
「そんなこと、という考えだからだろう。シエル様がこうしてガルドルド軍を内側から崩壊させるに至ったのも、フェルディナ国王陛下が俺たちの言葉を、シエル様を信じてくださったからだ。愚かな誰かさんと違ってな」
「……っ、貴様!!」
ルシアンが怒りに任せ、半身を起こそうとする。その太ももを、アルフレッドが躊躇なく剣で貫いた。
「!! ぐぁっ……!!」
ルシアンの周囲が、大量の血で真っ赤に染まる。強烈な痛みに、ルシアンの目の前は真っ暗になる。なりふり構わず絶叫しのたうち回る様子を見て、アルフレッドが呟いた。
「しまった。やりすぎたか?」
「大丈夫ですよ」
慈悲深い笑みを浮かべ、シエルが歩み寄る。癒しの聖女へルシアンは縋った。
「ああ、シエル……! たすけて、くれ……。痛い! 痛いんだ!!」
「はい。もちろん、治して差し上げます。たとえアルフレッド様の手が滑って、繰り返しルシアン様を傷つけようとも……命ある限り、何度でも」
聖女シエルの美しく優しい笑み。
彼女の癒しが地獄への入り口であることを、ルシアンは今になってようやく思い知る。
絶望と恐怖に染まった男の叫び声が、王宮内に響き渡った。




