3話※【偽りの英雄】
今から30年前、世界は一変した。
各地に突如として出現した巨大な穴――《ダンジョン》
そこから溢れ出した未知の怪物は、瞬く間に既存の軍事バランスを崩壊させた。
当初、大国は近代兵器の火力を以てこれを制圧しようと試みた。しかし、結果は無残なものだった。
中層以上から這い上がるモンスターたちは、その体表に魔力による常時発動型障壁を纏っていたのだ。超音速の弾丸は衝突の瞬間に魔力によって運動エネルギーを霧散させられ、下層のモンスターは更に濃密な魔力障壁に守られており、ミサイルの爆風すら魔力の渦に飲み込まれた。
銃火器が通用するのは、精々が上層の、魔力濃度の薄い雑魚モンスターまで。
それ以下の階層へ挑んだ各国の正規軍は、最新兵器をただの鉄屑に変えられ、一方的な蹂躙を許すこととなった。
絶望が世界を覆う中、唯一の希望として現れたのが《覚醒者》――ステータスとスキルに目覚めた人間たちだった。
彼らが振るう剣や魔法だけが、魔物の障壁を内側から中和し、その肉体を断つことができた。
各国の正規軍が疲弊した時代において、一個人のスキルが国家の防衛力を左右する究極の兵器へと取って代わったのである。
日本は当初、この混沌の中で世界トップクラスのダンジョン先進国として君臨していた。
理由は皮肉なものだった。日本人はアニメや小説、漫画を通じて、古くから、ダンジョンやモンスター、スキルという概念に慣れ親しんでいたのだ。
未知の怪物に対する心理的な忌避感が少なく、ファンタジーなシステムに対する適応力が異常に高い。攻略のセオリーを娯楽として予習済みだった彼らは、他国が混乱に陥る中でいち早く効率的な育成体制を確立した。
さらに、ダンジョンから産出される《魔石》は、既存の化石燃料を過去のものにするほどの莫大なエネルギーを秘めていた。資源貧国だった日本は一夜にして、魔導エネルギー大国へと成り上がり、法整備が追いつく前に、一攫千金を夢見る若者たちが競うように深淵へと身を投じた。
しかし20年前、その栄華は唐突に終わりを告げる。
新宿ダンジョン45層。当時の日本が誇る最強のSランクパーティー2組、計10名が挑んだ深層遠征。
そこで彼らが遭遇したのは、後に《死神ギロチン》と呼ばれる絶望の化け物だった。
攻略は壊滅。生き残ったのは、わずか2名のみ。その際、ギロチンから溢れ出した膨大な魔力はダンジョン全体の構造を歪め、モンスターを凶暴化させ、攻略の前線を数十層も押し戻した。この大惨事を境に、日本のダンジョン攻略は停滞し、他国に大きく後れを取ることとなったのである。
それでもなお、現代の若者はダンジョンに潜り続ける。
少子高齢化と閉塞感に満ちた社会。地道に働いても報われない時代において、ダンジョンは唯一、学歴も家柄も関係なく「スキル」一つで人生を逆転できる場所だからだ。
新宿駅西口から徒歩数分。
空を突くようにそびえ立つ全面ガラス張りの超高層ビル――それが、日本のエネルギー供給と経済の心臓部、日本最大の冒険者ギルド新宿総本部だ。このビル一つで東京都の全電力を賄う新エネルギーの聖地だが、その恩恵の裏には、文字通り命を燃料にする若者たちの屍が積み上がっている。
その最上階にある重厚なギルドマスター室に、わざとらしい啜り泣きが響いていた。
「……信じられません。あんなに弱かったカイトが、俺たちを逃がすために一人で……ッ!」
ゴウシが顔を覆い、肩を震わせる。その隣ではミサキがハンカチで目元を抑え、真っ赤に腫らした(ように見せた)瞳でうつむいていた。
目の前に座る、傷だらけの巨漢――ギルドマスターの蔵善は、苦虫を噛み潰したような顔で報告書を見つめている。蔵善の左腕は、精巧な魔導義手だ。それは20年前、彼がまだ最前線にいた頃に失ったものだった。
「転移トラップを踏んだのは俺の不徳です。でも、あいつ……カイトは最期に笑って言ったんです。『幼馴染を守るのが、俺の仕事だろ』って……!」
ゴウシの迫真の演技。実際は、仲間に裏切られ、呆然とするカイトを自分のブーツで蹴り飛ばし、生贄に捧げたというのに。撮影ドローンがすべて破壊されたのをいいことに、彼らはカイトの献身的な英雄的死を完璧に捏造していた。
「(……ギロチン・レクスか。情報の閲覧は禁止されていたはずだが)」
蔵善が、義手の指を軋ませながら重々しく口を開いた。
「20年前、まだ日本がダンジョン攻略世界最高峰と呼ばれていた頃の亡霊だ。当時のSランクパーティーが壊滅し、俺と……凛の二人だけが生還した地獄の元凶。
俺のこの腕を喰ったのも、そいつだ。まさかそこに飛ばされるとはな。」
この世界において、銃火器や近代兵器はダンジョン内の高濃度マナによって爆発・機能不全を起こす。
ゆえに、この義手のように《魔導》によって動く技術こそが最先端であり、それを扱えるスキル保持者こそが現代の特権階級なのだ。
「あの怠惰な死神は、動くことすら億劫がるが、動き出せば一撃ですべてを終わらせる絶望の権化だ。その前でよくぞ10秒間も持ち堪えた。……カイトという少年は、真の英雄だ。彼が時間を稼いでくれなければ、現代の希望である君たちAランクパーティー・鉄魂は全滅していただろう」
蔵善は、目の前の若き生還者たちを労わるように目を細めた。
蔵善にとって、彼らは単なる冒険者ではなく、国の経済を回す《金の卵》――配信サイト『ダンジョンTUBE』を通じて国民に希望を与えるスターなのだ。
「……あいつの死を、無駄にはしません……っ!」
ゴウシが拳を握りしめる。
その直後、ギルドから貴重な深層情報の提供と、九死に一生の生還に対する報奨金として、三千万という破格の小切手が差し出された。
***
ギルドギルドマスター室を退出し、エレベーターの扉が閉まった瞬間に、ゴウシの顔から涙が消えた。
「――っし! ちょろすぎだろ蔵善のオッサン! 三千万だぞ、三千万!」
「ちょっとゴウシ、声が大きいわよ。……でも本当に、カイトが最後に役に立ってくれて良かったわね。あんな不気味な鱗、配信の邪魔でしかなかったし」
ミサキが鏡を取り出し、崩れたメイクを手際よく直していく。その瞳には、一秒前まで流していた偽物の涙の欠片もない。
「タイガ、腕の方はどうだ?」
「ああ、カイトから分取ったバッグに入ってたエリクサー級の特効薬のおかげで完璧だ。ミサキの回復魔法で治らなかったときは焦ったが、おかげで傷一つ残ってねえ。あいつ、無能のくせにいいモン溜め込んでたな。……置いてくる前に、装備品も剥ぎ取っておけばよかったぜ」
大盾使いのタイガが、完治した右腕をぶんぶんと回しながらゲラゲラと笑う。
カイトがいつかパーティーが窮地に陥った時のためにと、血の滲むような思いで貯めた金で用意していた秘蔵の薬。それを、自分を見捨てた男が平然と消費したのだ。
「ガハハ!それは欲張りすぎだろ。あいつのおかげで俺たちの、ダンジョンTUBE、同接も登録者も爆増だ。スパチャだけで高級車が買えるレベルだぜ」
スマホの画面には、カイトの死を悼む視聴者からの高額投げ銭が、虹色に輝きながら止まることなく流れ続けていた。
コメント欄には『カイトさん、自分の身を犠牲にして仲間を守るとかかっこよすぎだろ!』『カイトさんの遺志を継いで!』『鉄魂、最高!』といった善意の言葉が溢れているが、彼らにとってそれは、ただの換金アイテムに過ぎなかった。
なぜ、若者は命を懸けてダンジョンに潜るのか?
答えは簡単だ。このスマホの画面の中にある。
地味な努力を積み重ねて定年まで働くより、ダンジョンで映える戦いを見せ、一瞬で人生を《勝ち確》させる。それが、今の若者の、そして現代社会の正解だった。
「お荷物を一人捨てるだけで、名声も金も手に入る。……最高のリサイクルじゃねえか」
ゴウシの言葉に、ミサキとタイガが同調して笑う。
その輪から少し離れたところで、風魔法使いのユイだけが唇を白くなるまで噛み締めていた。
赤ん坊の頃から一緒に過ごしてきた、優しいカイトの笑顔。
彼を突き飛ばしたゴウシの足。
自分もまた、恐怖に震えて帰還石を握りしめ、彼を見捨てて逃げ出した。
(ごめん、カイト……ごめん……)
胸の中で繰り返す謝罪。
彼女は自分の取り分である報奨金を、後で匿名でカイトの両親へ届けることを決めていた。そうしなければ、自分が自分でいられなくなりそうだったから。
だが、それでも自分があの場で見捨てた事実は変わらない。自分も、あいつらと同じ、薄汚い人殺しだ。
「さあ、祝杯だ! 今夜は新宿で一番高い店を予約しろ。あ、カイトの分も乾杯くらいはしてやるよ。あいつがいなきゃ、この金も手に入らなかったんだからな!」
ゴウシの勝ち誇った声が、夜の新宿に響く。
彼らはまだ知らない。
自分たちが踏みにじり、地獄へ突き落としたはずの男が。
人であることを辞め、あらゆるスキルを喰らい尽くす、最強の復讐者となって、ゴウシ達の足元まで這い上がろうとしていることを。
「……次のお荷物、募集かけちゃう?」
ゴウシの冗談めかした一言に、ミサキたちが笑い声を上げる。
だがその時、ゴウシのスマホに一件の通知が届いた。
ギルドの公式探索者ランキングの更新通知だ。
「あ? なんだ、バグか?」
画面を開いたゴウシの顔が、わずかに強張った。
通常、死亡が確認された探索者はグレーアウトされ、順位が固定されるはずだ。
だが、そのリストの最下層。
死亡扱い(グレーアウト)となっているカイトのレベル表示が。
【Level 40】――から、【Level 41】へと。
静かに、しかし確実に上昇していた。
「……レベルが、上がってる……?」
それが、これから始まる極上の地獄への、最初のカウントダウンだということに、ゴウシたちはまだ気づいていなかった。




