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27話【出直し】ゲートのセキュリティ

18層から上の階層は、もはや俺にとって散歩と同じだった。

かつてなら死を覚悟した中層のフロアボスも、今の俺が放つ【災厄の威圧(ディザスター・オーラ)】だけで泡を吹いて気絶するか、本能的な恐怖のあまり自ら首を差し出す食材へと成り下がる。


(急ぐぞ……。今は比較的落ち着いているが、これ以上精神汚染がひどくならないとも限らない)


俺は【迅雷纏装(ボルト・アクセル)】を全開にし、一筋の銀光となって階層を駆け上がった。

積極的に人助けをする気なんてさらさらない。ただ、俺の進行方向に立ち塞がる邪魔な壁(魔物)を掃除するついでに、偶然居合わせた冒険者が勝手に助かっているだけだ。

だが、それが周囲の冒険者たちにどう映るかまで、俺は考えていなかった。


「あ、あれを見ろ! 魔王ニキ(まおうニキ)だ! 15層の主を一撃で……ッ!」

「なんて慈悲深いんだ……。逃げ遅れた俺たちの道を作るために、あんな神速で……!」


俺はただ、自己強化と、最短距離を通りたいだけだ。

だが、俺が腕を一振りして数百匹の魔虫を【地獄の業火(ヘル・ブレイズ)】で焼き払うたびに、背後から「魔王ニキ!」「抱いて!(野太い声)」という狂信的な歓声が上がる。


10層、5層、そしてついに――。

俺の視界に、人工的な光が差し込む『第1層:帰還ゲート』が見えた。


(……やっとだ。やっと、たどり着いた。……でも)


俺は【捕食者の潜伏(プレデター・ハイド)】を使用し、配信ドローンや冒険者たちの視界から完全に消失した。

誰にも気づかれぬまま、俺はエントランスへと繋がる巨大な魔法陣、帰還ゲートの前に立つ。

ここを潜れば、そこは新宿の喧騒だ。

俺を捨てた鉄魂(アイアン・ソウル)が、偽りの英雄として反吐が出るような人生を謳歌(おうか)しているであろう地上。


だが。


「…………ッ!?」


ゲートの一歩手前で、俺の足が止まった。

正確には、物理法則を無視した見えない壁に阻まれた。


――ブゥゥゥゥゥンッ!


ゲートの周りに設置された、魔導センサーが真っ赤に発光し、耳を(つんざ)くような警報音が鳴り響く。


『警告:未登録の個体を検知。種族:不明。進入を拒否します。セキュリティ・ゴーレムを起動します』


(やっぱりか……)


俺は【真理の眼(エピタフ)】を起動し、眼前のゲートを解析した。

視界に展開される魔力構造図。そこには絶望的な事実が記されていた。


(……チッ。あのゲートの心臓部は、現代の科学技術では解析不能なダンジョン由来の古代魔導回路で構成されている。超高精度鑑定センサーは、単なる魔力波形の上書き程度じゃ誤魔化せない。魂の固有振動数までを見抜く|《《》》神の鑑定|《《》》か……)


今の俺は、Lv 130に達し、種族も【銀灰の災厄種(ハイ・ディザスター)】へと変異している。

転移ゲートが使えなかった時点で、なんとなくそんな予感はしていたが、ダンジョンシステムにとって、俺は帰還する冒険者ではなく、地上へ侵攻しようとする災害個体として認識されているようだ。


『強制排除開始。周辺の冒険者は直ちに退避してください』


ゲートの両脇に設置された巨大なガーディアンが、重厚な腕を振り上げる。

今の俺なら、こんなガラクタを破壊することは簡単なことだろう。

だが、それをやれば新宿ギルドはパニックになり、俺は復讐を果たす前に討伐対象として世界中の冒険者やユニオンの執行官に追われる身となる。


(……まだ、ダメなのか。こんなに近くに、出口があるのに)


俺は、ゲートの向こうに見える新宿ギルドのエントランスをじっと見つめた。

手が届きそうなほど近いのに、今の俺にはその光さえ許されない。


「ッ……(出直しだ)」


俺は殺到するガーディアンたちを【停滞の領域ステイシス・フィールド】で一瞬だけフリーズさせ、そのまま影へと沈み込んだ。


***


数時間後。

俺は20層のセーフティゾーンにある岩陰で、自分の銀灰色に染まった掌を見つめていた。


(どうすればいい。今の俺は、この箱庭から出られない化物(バケモノ)だ)


重い沈黙が、俺の理性をじりじりと削る。

だが、絶望に浸っている暇はない。地上へ出られないなら、俺がゴウシ達をここに引きずり込むか、あるいはシステムを欺くほどの人間性を取り戻すしかない。


(力技での突破は悪手だ。Sランク冒険者のスキルは未知数だし、共闘されると、俺だって疲弊するかもしれない。そこをユニオンの執行官に強襲されたら、どうなるか分からない)


脳内に展開された【捕食進化ツリー(プレデター・グロース)】。今の俺の異常な魔力濃度を隠し通すには、並のスキルでは足りない。


(精神汚染度をある程度下げたうえで【特殊系】の次の進化を狙ってみるか、あるいは擬態に特化した魔物を乱獲し、スキルの位階を強引に引き上げるか。……完全に人間に擬態するしかない)


結論は出た。

俺は一瞬で思考を切り替え、中層の擬態種生息域への侵攻を開始した。

道中、モンスタールームで魔物を蹴散らし、囲まれて窮地に陥っていた冒険者たちを、意図せずに助けていく。

勘違いをして感謝を叫ぶ彼らを無視し、俺は効率よく獲物を仕留めながら移動していった。


(精神汚染度:92.5%)


霊力草(れいりきそう)の摂取と、人助け。このサイクルを繰り返すことで、俺はついに90%の大台を切る兆しを掴んでいた。


(待ってろよ、ゴウシ、ミサキ、タイガ……)


俺は、隠しポケットの中の予備ドローンに手を触れた。

その時だった。


ジジ……、ジジジ……!


(なんだ? 電池は切れているはずなのに。……そう言えば緊急用の非常バッテリーが搭載されてるんだっけ)


漆黒の闇の中、ドローンから投影されたのは、あの日、俺が弾き飛ばされる直前に書き換えた、緊急用回線のみに届く音声メッセージ。


『……カイト、聞こえるかな……?』


「……っ!?」


心臓が、否、魔力核が鋭く脈動した。

耳に届いたのは、鉄魂(アイアン・ソウル)の中で唯一、俺を見捨てることに抗おうとしていた少女――ユイの声だった。


『……届かなくてもいい。ただの独り言でいい。でも、言わせて。……ごめん。本当に、ごめん。……あの日のあなたの顔が、光の中で小さくなっていくあの絶望の瞳が、今も脳にこびりついて離れないの。

……カイト、もし奇跡が起きて、どこかでこれを聞いているなら……お願い、無茶はしないで。……私は、私のやり方で償うよ。たとえ鉄魂を、私自身の人生を壊すことになっても、あいつらに本当のことを吐かせて、証拠を揃えるから。……だから、それまで、どうか……どうか生きていて。お願い……カイト……』


ノイズと共に、通信が途絶えた。

俺は、静かに立ち上がる。

漆黒の騎士鎧の中で、俺の胸の奥の鼓動は、かつてないほど激しく脈動していた。


(……ああ、そうだったな、ユイ)


俺は、兜の奥で静かに目を閉じた。

脳裏に浮かぶのは、奈落の闇とは正反対の、陽だまりのような記憶。

向かい合わせの家。夕暮れのチャイム。

お前はいつも、俺のシャツの裾をぎゅっと握りしめて、影踏みをするみたいに俺の後ろをトコトコ付いてきていた。


俺が少し歩幅を広げて、その小さな手が俺の服から離れてしまっただけで。

お前は、この世の終わりが来たみたいにその場に立ち尽くして、大粒の涙を零して泣きじゃくっていたっけ。


「……まって、カイト、おいてかないで……っ」


そう言って俺の服を掴み直すまで泣き止まないお前に、俺は呆れながらも、歩みを止めて柔らかい髪をポンポンと撫でてやっていた。


(俺がボロボロになりながらもあの場所に居座り続けた本当の理由は、誰よりも危なっかしくて、自分を押し殺して笑うお前が、心配で仕方がなかったからなんだな)


俺の右手が、無意識に虚空を彷徨(さまよ)う。

先日30層で出会った双子の姉妹の頭を叩いた時の、あのリズム。

深層の絶望でも、魔物の本能でも塗り潰せなかった、あまりにも古い、魂の習慣。


「ガァ……(……ユイ。お前への復讐なんて、やっぱり俺には無理だ)」


お前が俺を見捨てた事実は消えない。

けれど、それ以上に積み重なった、俺の後ろを泣きながら付いてきたあの日々を、俺は否定できなかった。


(ただ証拠を突きつけて、ユイ以外のあの3人を法的に裁くなど、生ぬるい)


奴らが執着しているのは、偽りの栄光だ。

それらを、奴らが最も得意げにしている絶頂の瞬間に、俺自身のこの手で、地の底まで引きずり下ろし、絶望の中で全てを精算させてやる。


(……待ってろよ。お前たちが作り上げた、その吐き気のする砂の城を、一欠片も残さず()らい尽くしてやるからな)


復讐のプランを練り直そうと、俺が思考を深めたその時だった。

俺の【真理の眼(エピタフ)】が、上層から降りてくる、ある一団を捉えた。


(……? ギルドの連中か。それとも……)


そこにあるのは、これまで道中で蹴散らしてきた有象無象とは一線を画す、洗練された魔力の波形。

明らかに俺の、この禍々(まがまが)しい気配を追尾してきている。


(……面白い。俺を救世主だと信じて拝みに来た狂信者か、あるいは特級魔物として討伐しに来た処刑人か)


俺は顔を歪ませ、ゆっくりと立ち上がった。

銀灰色の流体金属が甲冑の隙間から溢れ出し、周囲の空間を【停滞】の波動でじりじりと侵食し始める。


(……歓迎しよう。お前たちが俺の敵でも、味方でもな)


俺は影の中に沈むのをやめ、あえて姿を晒したまま、その一団がやってくる通路の正面へと視線を向けた。

暗闇の向こうから、魔導ランタンの冷たい光が、俺の漆黒の騎士鎧を照らし出そうとしていた。

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