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第9話 代わりはいる


 その日、自分は少し遅れて教室に入った。


 理由は特別なものではない。

 電車が一本遅れただけだ。



 すでに作業は始まっていた。

 机の配置も、役割分担も決まっている。


 一瞬だけ、

 視線がこちらに集まる。


 「おはよう」


 返事は返ってくる。

 でも、手は止まらない。


 自分の席は空いているが、

 そこに「欠け」が生じている感じはしなかった。



 代わりに、

 別の人が自然に間を埋めていた。


 声のトーン。

 話のまとめ方。

 どちらでもいい、という言い方。


 少し違う。

 でも、

 大きな問題はない。



 席に着く。


 「ごめん、遅れた」


 誰かが言う。

 「大丈夫だよ、もう進んでるから」


 責める響きはない。

 同時に、必要とする響きもない。



 自分は、

 余った作業を引き受ける。


 調整役ではなく、

 処理役。


 それでも、

 場は安定している。



 違和感は、

 静かに生まれた。


 以前なら、

 自分が座っているだけで成立していた沈黙が、

 今日は別の人によって維持されている。


 自分がいなくても、

 空気は壊れなかった。



 昼休み、

 いつもの相手とは別の席で食べる。


 偶然だ。

 たまたま、そうなっただけ。


 目が合う。

 軽く頷く。


 それで終わる。



 午後、

 誰かが言った。


 「〇〇いなくても、割と回るね」


 冗談のような言い方だった。

 悪意はない。


 笑いも起きる。


 「ね」


 と、誰かが相槌を打つ。



 その言葉は、

 否定する必要のない事実だった。


 自分自身も、

 同じことを思っていたからだ。



 役割は、

 専有されていなかった。


 代替可能。

 入れ替え可能。


 それは、

 制度としても、人間関係としても、

 健全な状態だ。



 放課後、

 残る理由がなくなった。


 声をかけられることもない。


 帰っていい。

 いてもいい。


 どちらでもいい位置に、

 自分は移動していた。



 昇降口で、

 恋愛的に近かった相手とすれ違う。


 向こうは誰かと話している。

 楽しそうだ。


 こちらに気づいて、

 一瞬だけ手を振る。


 それ以上はない。



 外に出る。


 夕方の空気は、

 少し冷たい。


 胸に何かが残る、

 ということはなかった。


 寂しさとも違う。

 焦りとも違う。


 ただ、

 確認が一つ済んだ感覚。



 自分は、

 必要不可欠ではない。


 それは、

 悪い評価ではない。


 誰かに縛られない。

 期待も背負わない。


 安全で、

 正しい位置だ。



 家に帰り、

 バッグを置く。


 今日も、

 特に問題はなかった。


 人間関係は円滑。

 衝突はなし。


 代わりがいることも、

 特記事項にはならない。



 ベッドに横になり、

 天井を見る。


 もし、

 本当にいなくなったらどうなるか。


 その問いは、

 途中で止まる。


 考えなくていい。


 考えたところで、

 処理する項目ではない。



 自分は、

 うまく編集されている。


 だから、

 欠けても問題が起きない。


 それは、

 誇ることでも、

 悲しむことでもない。



 ただ、

 今日も一日が終わった。


 特記事項は、

 やはりなかった。


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