第65話 返事は二回
悶々としながらも、いつの間にか寝落ちしたらしい…ふと、物音を感じて目が覚めた。まだ夜中の筈なのに、部屋の中が仄かな光で照らされている。顔を巡らせると、開いた格子戸の窓枠を埋める人影の脇から月の光が漏れ込んでいた。ショウくんが窓際のベッドに腰掛けて窓の外を眺め、物思いに耽っているようだ。
モモのベッドを確かめると、頭まで毛布に包まって寝ている。今がチャンスね。とても怖いけれど、彼の気持ちを、彼の言葉で確認したいもの…。わたしはそっとベッドから抜け出すと窓に近付き、ショウくんの傍に腰を下ろした。慎重に座ったつもりなのにギシリと音が鳴ってしまい、思わずモモの方を窺う。
「起こしてしまって申し訳ない。寒かったですか?」
「ううん、わたしも眠れなかったから。…月は同じ大きさに見えるけれど、白くて模様が無いよね」
「衛星全体が、地球の月の裏側みたいにクレーターで覆われて「海」が無いのかもしれません。地球の月も、ほんの数十万年くらい隕石落下が長く続けば、表裏が同じだったそうです」
「月まで殆ど同じなんて…あ、でも逆なのかな?」
「…巨大な衛星の存在が、生命の発生や進化に大きく関わっているという説が有力らしいですからね。月が在ることで、地軸が適度に傾いて自転速度が遅くなるから気候が穏やかなのだとか、潮汐力が生物の陸上進出を促したのだとか。僕たちは生命の進化について、決定的な証拠を目の当たりにしているのかも」
「N=2だけれどね。そもそも地球に伝えることができないしね」
相変わらず尽きることを知らないショウくんの知識と、その分かり易い解説。娯楽もない、毎日を生きるために精一杯のこの世界に転生して此の方、あなたにはどれだけ助けられてきたことか。
「…あの。やっぱり、董ちゃんのこと考えて…よね?」
「…元々、董は長くないと分かっていました。生まれ変わりを選んだのは残念ですが、董の選択ですから…申し訳ない。家族を失ったのは僕だけではないのに」
「そ、そんなこと…わたしたちの家族は向こうで生きているし…わたしが死んで悲しませたのは申し訳ないと思っているけれど、それは三人とも同じだし…ごめんなさい。わたしこそ、蒸し返してしまって…」
「それに、きちんとお礼を言っていませんでした。董はお二人に会うのを心待ちにしていて、二人のことばかり聞かれましたよ。元気だったら、それこそ姉のように慕っていたと思います。董にとって掛け替えのない思い出となったに違いありません。本当に、本当に、有難う…」
ショウくんが頭を下げる。わたしはしどろもどろに答えるしかなかった。
「そ、そんな…わたしだって、董ちゃんと知り合えて…絶対に忘れないから…」
リカ、何をやっているのよ。却って気を遣わせて…さあ、聞くのよ、リカ!
「…あの。あの。ショウくんと、モモって。その…あなたは…モモのことを」
やっとそれだけのことを絞り出すと、後は二の句が継げなくなってしまった。深々とした紫の瞳が、じっとわたしの顔を見詰める。思わず目を伏せてしまった。言わなければ良かった。心臓の鼓動が高まっていく。
「…最初は、正直なところ、妹のように思っていました。董が元気だったら、こんな風に僕にと。でも、いつしか本当に大切な宝物になりました。そう、逆なのだと。大切な存在だからこそ、僕の大切な妹のように感じるのだと。モモの想いを受け止めて、それ以上に彼女を想いたい。今は心からそう想っています」
ああ、やっぱり。よかったね、モモ。あなたの一途な気持ちは、ショウくんにしっかり届いているのよ…わたしの胸の奥の閊えがどんどん大きくなる。胸が潰れてしまいそうなくらいに。二人を祝福しないと。せめて、少し遠くでいいから、傍にいさせてね。でも、こんなに辛いなんて…。
「それでね。リカ、さん。僕は大変に不謹慎で、厚かましくて、そして酷い男です。僕はリカさんのことも、ずっと前から、とても大切に想っています」
…え? 今、なんて言ったの?
「リカ…さんも。僕にとっては…そう、共に人生を歩んでいきたい女性です…リカと助け合い、支え合いながら、共にこの世界で生きていきたい。僕は…二人とも等しく愛している。どちらか一人を選ぶなんてことは、できない!」
頭の中が真っ白になる。ドク、ドクとわたしの心臓が跳ね続ける音が耳元で聞こえる。ああ、これって…告白どころか…これって…でもそんなこと…。
「僕は…モモの気持ちはよく分かっていた。でもね、リカ。リカの気持ちも分かっていた。リカだって僕のことを憎からず思ってくれていたよね?…でもリカも、モモを慮って、自分の気持ちに蓋をしていた」
そう。わたしの想いが隠しきれるは訳がない。ショウくんが、これだけ他人の気持ちに敏いあなたが、わたしの秘めた思いに気付かない筈はなかったのだ。
…リカのその優しさが好きだ、いつも感謝を忘れないその気立ても、密かに揺るがずに想い続けてくれたことも…と続く告白を、わたしは夢の中を漂うかのようにふわふわと聞いていた。
「僕は、モモのことも本当に愛おしい…それでもあちらでは、モモとの仲が進まないように、二人きりにはなるまい、指一本触れるまいと決めていた。リカの想いと、自分の想いに嘘を吐くことはできなかったから」
わたしはモモを応援しているつもりで…でも、いつもあなたが「真榊さんも一緒に」と誘ってくれたから、内心では嬉しくて断ることもできずに…そう。自分でも分かっていたのだ。あなたが、ずっとわたしに好意を向けてくれていることを。わたしを愛してくれていることを。
「僕は、あのまま時が過ぎていたら…二人とは距離をとるしかないと考えていた。二人を傷付けてしまうかもしれない。それでも少なくとも、リカとモモは親友のままでいられると思うから。だから、僕はね。死んで転生して良かったとすら思っている。我が儘で、酷い男だよね?」
「そ、そんなこと…あなたはいつも、わたしたちのことを気遣ってくれて…いつもあなたの気持ちは後回しで…いつも…あなたは…あなたこそ、わたしの…」
「そうかもしれない。でも、僕も今度こそ、自分の気持ちに正直でありたいと思う。リカ。こちらでは、こういう関係も許されるのは知っているよね。…リカ。三人で生涯を共に生きていこう!」
ショウくんはベッドを降りて片膝で跪くと、わたしの手を取ってキスをしてくれた。その瞬間、何も見えなくなった。わたしの手と、そして心までもが眩い光に包まれたようだったから。ああ! ショウくん!!
胸がいっぱいになってしまって一言も返せないまま、トイレに行くと呟いて出ていった彼を見送ったわたしは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。…ふと、気配を感じて慌てて振り向くと、モモが自分のベッドの上で正座をしている!
「モ、モモ? お、起きていたの? あの、わたし、わたし…」
モモはどこから聞いていたのだろう?
「…私、とっくに知っていたよ。分かっていた」
「え…?」
「ショウにとって私は妹枠で、本命はリカだってこと。最初からリカもショウのこと大好きだったってことも」
「!!!…………」
「だって、私が誰よりもショウと、リカのことを見ていたから。二人は、私とショウの何倍も会話していたのよ? 時には言葉すら必要とせずにね。いつも二人の視線は互いを探していて…」
「で、でも! ショウくんはモモのことも、とても大切な宝物だって…」
「…リカ。ショウは、いつから私を愛するようになったかは言わなかったよ。優しいから。知っているでしょ」
「…………」
「リカ、ごめんなさい。…何もかもリカに敵わないと分かっていたのに。リカこそショウの隣に相応しい女性だと分かっていたのに。私が、私が身を引いていれば、とっくに二人は…ごめんさない…」
「モモ…そんな…わたしは…」
「で、でも! どうしても止められなかったの! 魂が揺さぶられるようにショウのことが好きで、大好きで、愛していて! とても諦められなかったの!」
「モモ…分かるから…わたしだって…」
「でも、今は平気よ。私もショウに愛されているから」
「あ、愛されているって、モモ、あなたまさか…」
「え?…やあねえ。まだ、キスもしていないよ? あの、あのね。最初の晩の他にも…リカが知らない時にも、たまに、そっと抱き締めてもらっているの。言えなくて、ごめんね。でも本当にそれだけなの」
…ショウに優しく抱き締めてもらうと、心の底から安心して幸せを感じるの。モモはうっとりと続ける。そう。わたしも知っている。魔法袋の起動操作で感じるあの感覚。あれが、あれこそが彼の愛の証。わたしもまた彼の愛を直に感じていたのだ。わたしは気付かない振りをしていただけ…。
「で、どうなのリカ。返事は決まっているでしょ?」
「…………」
「プロポーズの返事」
「!!…そ、それは…あれは…」
「リカ、本当に自覚が足りなさすぎるよ。イエス以外にあるの? それともお洒落なセリフを考え中?」
「…………」
「私たち、絶対にうまくやっていけるよ。リカだってそう思うでしょ…董ちゃんとの約束を果たす時がきたのよ」
「…うん…」
そう、返事は決まっている。それ以外にある筈がない。でも、でも、わたしたちはもう既に一つ屋根の下で暮らしているから…イエスのその先は…。
「リカ。私はとっくに覚悟を決めているつもりだけど、いざ、その時が来たら怖いと思う。だからリカの心配は分かる。でも、当分の間、そんなことにはならないのよ。戦力を落とす訳にはいかないもの。もしかすると、ずっと寸止めで…ひょっとして、お預けになるのが辛いの?」
「ちょっ…な、何を言うのよ!」
モモったら時々、大胆になるのよね。…そう。図書室で出会ったショウくんに声を掛けたのは、誰あろうモモなのだから。わたしには出来なかったことだから。
「…モモに、任せてもいい? 二人で同じ返事をしたいから」
「ふ~ん。そうね、プロポーズの返事を二回もするというのも、乙なものかもね」
ええええっ~! モモ、いつの間に!! 一体いつなのよ!!!




