表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【R15版】徨う花の物語(さまようはなのものがたり)  作者: 紫瞳鸛
第一部 転生 第2章 赤い棘

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/72

第62話 白油

 いつの間にか朝になっている。わたしは慌てて周りを確かめた。ショウくんはいつも通りに起きていて、窓の外を眺めている。モモも目覚めたばかりらしい。示し合わせたように同時に起き出して鏡台へ向かった。幸い二人とも酷い顔はしていない、と思う。無言で髪を梳かし、水が張られている小盥と手拭で顔を拭いた。


「…お二人とも、おはようございます」

「お、おはよう…ショウくん…」

「あの…おはよう…ショウくん…」


 三人とも声が小さかった。何も無かったのに、どうしてこんなに恥ずかしいのだろう。わたしは心の中で激しく頭を振った。彼を支えないと。一番悲しいのは彼なのだ。董ちゃんとの約束を果たさないと。


「ショウくん、【浄化プルガーテ】をお願いね」

「ショウくん…いつも有難う」

 二人して傍に寄って光魔術を使ってもらう。昨日からお互いの顔を見ながらになっている。まだ照れてしまう…。


「ごめんなさい。寝坊しちゃったから、治療には間に合いそうにないよね」

「ショウくん、リカ。今日は狩りも控えた方がいいと思う」

「いや、僕は…申し訳ない。朝食をいただいて、訓練だけはしましょう」


 会話の少ない朝食を済ませ、装備を整えて離れの陰でいつもの日課を熟した。今日は今にも降り出しそうな曇天だった。ひと休みした後、南門の先で魔法の練習でもしようということになり、組合前の広場に到達したところで雨粒が落ちてきたので、仕方なく重い扉を押した。


「おや、皆さん…?」

 クンディ様は不審そうな表情だ。いつもと違う雰囲気と思われたのかな…。

「雨が降ってきましたので」

 ショウくんが努めて普通の声音で伝える。

「ああ、そうでしたか。…今日は狩りに出る隊も少ないでしょう。応接室で一緒に休憩しませんか?」

 クンディ様が笑顔で誘ってくれる。ここは有難くお誘いに乗ろう。


「…いえ、お恥ずかしいことに、広いばかりの弱小男爵家で。大綿(おおわた)に甘苦茶に…せいぜい堅果や竹製品が特産とは言いましても、どれも安値です。蜂蜜は少量ですし。砂地や石灰岩の土地が多いので売るほどは穀物を収穫できなくて…」


 わたしたちは応接室で、防水の装備について聞いた後…マントやフードに油を塗ることが多いらしい…クンディ様のご実家であるグラフェル男爵家の話を伺っていた。わたしとモモはソファの後ろに立っている。


 グラフェル家は「貴家収攬」に拠ると、魔物の大発生からの復興などの功績で叙された新興の男爵家だ。叙爵されて百年くらいで、領町の他は三十四の村を統治しているらしい。「うちは男爵家としては最小ですから…何しろ神殿に神官補ディアコヌスさえ常駐していませんからね」と彼女は自嘲気味に付け足した。


 資料室の「貴家収攬」には明記されていないけれど、クンディ様の口振りから判断すると、帝国の男爵家は平均で五十程の村を治めているらしい。そして領地貴族家の数だけでも八百近い。四協帝国クアドリオンは大国とは思っていたけれど…ローマ帝国どころではない、欧州全土とか中国大陸とか、そういうレベルかもしれない。


「…そう言えば、この町の灯火油や食用油は菜種の種油たねあぶらだと思いますが、綿実油わたみあぶらは使わないのですか?」

 ショウくんが興味深げな笑顔でクンディ様に尋ねる。

「ええ、ご存じの通り、綿実油は赤黒いですし灯の付きも良くないですから。領内で使うくらいですね」


「この世界…失礼、この辺りでは、綿実油の脱色技術は知られていないのかな。簡単に脱色できますよ。琥珀色の種油などよりは、ずっと透明になります」

 彼が何気なく言った言葉に、クンディ様は大きく反応した。

「な、何ですって!…失礼しました。ショウ様、あ、油が…綿実油が透明になるというのは本当ですか!?」


「……ええ。極薄い黄色に、ですが。アルカリ…その、消石灰を混ぜればいい筈です。もし、ご領地に白い粘土質の土があれば、より効率的に脱色できる可能性がありますが。まずは石灰で試されては」

「と、透明な植物油が有れば、どれ程の…!」

 クンディ様が驚愕されている。透明な油って、少なくとも帝国では珍しいのね。


「しかし…こ、これは森人の秘法ではありませんか? 他家に…普人に漏らされては、ショウ様のお立場が…」

 わたしはモモと目配せし合う。エルフと音訳される森人は、やはり優秀で且つ閉鎖的な人種なのかもしれない。

「秘法かどうかは分かりませんが、単なる科学サイエンスですから問題ありませんよ」

「…さいえん?」

 ショウくんは少し考えを巡らせてから、いつもの笑顔で続けた。


「…そうですね。こうしてください。蔵に綿実油の壺を保管していた。その隣に蔵の壁を塗り直すために積んでいた消石灰の袋が、夜の間に崩れて油壺の中に入ってしまった。翌朝、油壺を見ると透明になっていた。驚いて綿実油に消石灰を混ぜる割合を色々と試して、脱色技術を確立した。…ただの偶然の出来事です」

「ショ、ショウ様…!」


「油に対して百分の一くらいから試すのが良いですね。種油より遥かに透明になりますから、「白油しろあぶら」とでも名付けられて売り出されては如何でしょうか」

「…な、何故、ここまでわたしに…」

「…クンディ様には大変にお世話になっています。それこそ命の恩人とも…そして厚かましいことですが、姉のようにも慕っております。ほんの細やかではありますが、少しでも恩返しをさせていただきたいのです」


 ショウくんは丁寧に例の挨拶をした。慌ててわたしたちも倣う。ソファから降りて跪いて挨拶を返してきたクンディ様を立たせて、それでも頭を下げたままの彼女に驚きつつ、三人は資料室に向かった。


「ね、ショウくん…あれは…」

「申し訳ない。却って恩着せがましくなってしまって。でもクンディ様には何かお礼をしたいと話していましたし…」

「ううん、恩着せがましいなんてことはないと思う」

「私、感動しちゃった。でも、どうして?」

「…僕たちはこの世界では異物ですから、影響を与えない方が良いのかもしれませんが。でも、綿実油の脱色は江戸時代初期に発見されたものですからね。この世界でも既に誰かが思い付いていても、不思議は無いくらいでしょう」


「江戸時代か。いつも思うけれど、よく、こんなことまで知っているのね?」

「…偶々です。本当にクンディ様に伝えた通りのエピソードで発見された技術です。それなのに百科事典サイトには記載が無くて、英語版でも19世紀に米国で初めて商業利用が始まった、と間違っていたので、記憶に残っていただけです」


「…これって、異世界あるあるの「現代知識無双」?…江戸時代知識だから違うかな。ううん、あなただからこそ、よね、ショウくん。ね、リカ。クンディ様へのお礼として丁度良かったよね?」

「うん、そうね…有難う、ショウくん」


 江戸時代は、菜種油…「水油」と呼んでいたそうです…の大量生産に加えて、綿実油…本当に「白油」でした…の脱色に成功したからこそ、広く油を使えるようになって天婦羅の屋台なんかも出るように…脱色すると灯の付きもよくなって臭いも煤も減りますから、高値で売れると思いますよ…等と更なる知識を披露してくれるショウくんに脱帽しながら、わたしは昨夜のことを思い返していた。


 あなたの頭を掻き抱いて泣いていた筈が、いつの間にか二人ともあなたの胸に顔を埋めて咽んでいた。そして、それに気付いたことで涙が止まった。恥ずかしさに打ちのめされながらも頭を起こし、三人で何度も謝罪とお礼の言葉を交わし…気が付くと部屋を静寂が支配していた。


 そっと優しく二人の背中を撫でてくれていた両の手も、とっくに離れている。あなたが何かを迷っているのを感じた。何かを。そう、あなたとだって二年近い付き合いがあるのだ。わたしもモモも、ひたすらあなたに恋焦がれてきたのだ。それくらいは分かる。起動操作の触れ合いなど無くとも…。


 やがて、部屋の空気が変わろうとした瞬間。モモが跳兎はねうさぎのように自分のベッドに飛び込み、あっという間に毛布に包まってしまった。わたしも弾かれるように離れて自分のベッドに駆け込んだ。心臓が凄まじい速度で走っている。モモは角耳まで真っ赤に違いない。わたしもどこまで赤いのだろう。


 ショウくんが無言で部屋を後にする音が聞こえた。わたしは中々寝付かれなかった。もし、あのまま傍にいたら…もし、二人だけだったら…モモをあなたの元に残していたら…あなたが何かを迷わなかったら…部屋に帰って来る音を聞いた記憶は無い。あなたは、ちゃんと自分のベッドに戻って寝たの…?



 東京油問屋市場『百万都市江戸の灯を支えた油問屋』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ