第55話 ネギ塩「猪」タン
「う~ん、正直、硬いけれど甘味があるね」
「モモさん、どんどん食べてくださいよ」
「ショウくんも、ほら、遠慮しないで?」
わたしたちは「袋道亭」で調理をお願いしていた「黒毛猪」のお料理を堪能していた。舌肉は調理法をリクエストして、塩味を基本として微塵切りの韮葱を薬味にして薄切りで焼いてもらった。いわゆるネギ塩豚タンだ。猪だけれど。頬肉とコメカミは、お任せで煮込みにしてもらっている。
「タン塩は鳥醤が隠し味よね? 内臓も一緒に発酵しているって聞いたから、もっと癖があると思ったけれど…」
「リカ、魚醤もそうだけど、直接舐めるなら兎も角、お料理に使うと意外と平気なのよ。それに例えば…発酵こそしていないけど、カオマンガイなんか、リカも好きだったでしょ? あれも本格的なお店は鶏を丸ごと使ったお出汁でご飯を炊くから、内臓や骨の複雑な風味が加わるのよ」
カオマンガイは、鶏の出汁で炊いた白飯に茹で鶏肉が乗ってきて鶏ガラスープが付く、鶏尽くしの辛くないタイ料理だ。わたしもショウくんも、モモのお薦めのお店で一緒にいただいてから大好物になった。
「煮込み皿も、いつもの倍はお肉が入っていますし、コリコリしている分、食べ応えがありますよね…牛頭鬼の頭の肉は放置してきましたが、勿体なかったかな?」
「今日は初めてだったし、余裕なかったものね。これからも少しずつ持ち込みで調理をお願いしようか?」
「バッギさんに確認してみようね」
いつもの煮込み料理だと、お肉はほんの二、三切れしか入っていない。今日はわたしとショウくんは勿論のこと、モモまでもがビルボの誕生日の宴会みたいに「五臓六腑に詰め込んだ」大満足の夕餉となった。
「そう言えば。ショウくんにはベッドやソファの中まで含めて離れ中を【浄化】してもらったし、モモにも【消砂】してもらったけれど、二人とも魔力は平気そうね。やっぱり魔法を使えば使うほど、魔力総量は増えるのね」
「…ショウくんが一番、魔法を使っているよね」
「家具はリカさんに先に【加熱】してもらいましたから、ダニとかが死んで魔力消費が少なかったのかも。そう言えばモモさん。初日でも【硬化】で椅子二脚と診療台を作れましたから、バスタブを作れませんか?」
モモはいつもの可愛すぎる小首傾げで頭の中で計算をしながら答えた。
「ええと、容量から考えると…私、できるのかな?」
「そうですね…椅子と診療台で1立方メートルくらいかな…周囲の地面も【硬化】したからもっと多いかもしれませんね…バスタブの大きさにも依りますが、少なくとも二回に分ければ大丈夫では」
「私、やってみるね。でもエンディルさんに、洗濯場にバスタブを作ってもいいか聞くのが先よね」
続いて離れでの靴の脱ぎ方の相談に移る。
「サンダルは土間に置いて、一階の上がり間から素足で過ごすことでいいよね? あ、でもエンディルさんたちもお昼間に離れに入るのよね。そうすると、上がり間の床にサンダルを置いておいて使ってもらった方がいい?」
「こちらの人は部屋の中でも裸足にならないものね」
お皿を下げに来たエンディルさんに「最高のお料理でした!」と感謝しながら確認したところ「ああ、森人ご一行様ですからね。わたしどもが離れを清掃する際には、持参した裸履きに替えて上がりますよ」と笑顔で返された。わたしたちはもう一度お礼を述べてから、食堂を出て離れへと戻った。
どうやら森人の文化では室内で靴を脱ぐらしい。こういう生活習慣は言語対照でも分からない。辞書ではないから。本当にまだまだ、わたしたちはこの世界では「お客さん」だ。それでも、モモはこの四協帝国の片隅で生きていく覚悟を決めようとしている。言うまでも無くショウくんも。だって…。
「…いずれ小さくてもいいから「魔焜炉」を買ってお料理もしたいな」
「モモさんのお料理、絶品ですからね。僕にも作らせてください。ハンバーグくらいなら…味には自信ありませんが」
「ショウくんのハンバーグ、美味しかったよ?…そう言えば、挽肉系のお料理、出ないよね。やっぱり挽肉は屑肉で作るイメージがあるのかな」
「可能性はありますね。でも、これは下手に確かめない方が良さそうですよね…」
二人の楽しそうな会話を聞きながら、わたしはモモの「お帰りなさい」を振り返っていた。彼女はショウくんを見て二度目の「お帰りなさい」を言いながらも照れて顔を伏せてしまった。わたしには、それに続く筈だった言葉が分かる。モモとは小六から続く大親友だもの…そう、「お帰りなさい、あなた」だ。
臺高に入学して彼と出会って以来の、彼女の密かな夢。彼のお嫁さんになる夢。今や間違いなく叶いつつある夢。そして、彼は何の躊躇いもなく「ただいま」と返した。続いて「モモ」と呼び捨てにしかけて、言い足した。二人の仲は一歩ずつ近付いている。モモの夢の成就に向かって。
わたし? わたしの夢は…ポケットの中にそっと仕舞い込んだ夢があった、かもしれない。膨れ上がろうとするのを必死に抑えて詰め込んだままになっている夢が…向き合うには大き過ぎるから、目を背けて、そして心を塞いで…。
「ちょっと、リカ、聞いているの~?」
「…ごめん、モモ」「…………」
我に返ったわたしに、大親友が少し呆れたような笑みを向けている。彼は…何故か紫の瞳を迷うように震わせながら俯いたようだった。
「もう!…やっぱり治療しないと稼ぎが少ないから、明日は治療もして、もう一回、牛頭鬼狩りでいい? 「玄奥の森」での薬草木収集は、危ないよね?」
「う、うん。道すがら簡単に採れるものを、わたしが採るくらいが無難だと思う」
「稼ぎが良かったら、明後日くらいには「完全版」の準備に入ろうか?」
「…うん、そうね!」
わたしは自然に明るく答えることができた、と思う。
「…収納に余裕が生まれましたし、新しい服の注文などしても…」
彼には、わたしの動揺はお見通しだった。少しでも後回しにしようと気遣ってくれた。いつも優しくて頼れる男性…。
「…ショウくん…ひょっとして…可愛い下着?」
「あっ…違いますよ! ほ、ほら、モモさんにも、魔術士服のような普通のブラウスがあってもいいかな、ということです! 少しお洒落なデザインで…」
そうそう、金銭的には余裕が出てきたし、お洋服を増やしてもいい頃よね。
「ふふ、そうね。魔術士服のブラウスは制服みたいにシンプルだしね。襟の形を変えたり、フリルを加えたりするだけでも…リカの分と二着いるね。…ねえショウくん、私のボディス姿、見たいの~?」
甘い声になったモモが小悪魔っぽく…悪魔にしては可愛すぎるけれど…少し前屈みになって、そっと彼を見上げる。
「い、いや、そういう意味で言ったのでは…見たくないという訳では無く…魔物狩服だって…いや、何でもないです! そもそも、獣人の杖使いと疑われる可能性はなるべく排除した方が…」
ショウくんが益々動揺している。わたしもクスリとしてしまった。
「その辺は、スイヤさんに聞いてみてからよね」
「そうね。一番、大事なところよね」
わたしたちが笑顔でブラウスのデザインを相談し始めたのを見て、彼がほっとしている。有難う、ショウくん、そしてモモも。でも、二人に起動操作を躊躇っている理由を聞かれたら、何と答えればいいのだろう。正直に?…それでは動揺している理由が、まるでわたしと彼の相性が…わたしは…。
その晩はお腹がいっぱいだった所為で、なかなか寝付けなかった。ショウくんが窓際のベッドで、モモが真ん中、わたしが鏡台側だ。モモは猫のように丸くなって、わたしの方を向いて幸せそうな寝息を立てている。あれだけ「同衾」を主張しながら、恥ずかしがって彼の方を向いて寝ることすらしないのよね。
彼も窓側を向いて寝るのだけれど。それどころか寝室に入ると、わたしたちが声を掛けない限り、窓や壁の方を向いて存在を消そうとしてくれる。初日からずっと変わらず…そして、相談ごとには的確に答えを返し、相変わらずの豊富な知識と鋭い考察を披露して、わたしたちを慰めてくれるのだ。
本当に気を遣わせてばかり。それでなくともあなたの光魔術に、あなたの深い洞察力に裏付けされた行動指針に頼り切っているのに。有難う。わたしも、あなたの役に立てるよう頑張るから。「魔法袋」の起動操作だって…もう、眠ら、な、い、と…翌朝、わたしはまた寝過ごしてしまって、天使に起こされることになった。
J.R.R.トールキン『指輪物語』(ビルボの誕生日の宴会)




