第53話 離れ
「これはもう、家を借りるっていうことだね」
「借りようよ、リカ。ショウ…様、是非、お借りしましょう!」
「そうですね。寝室を分けられますしね…えっ? ええと…」
自分の発言に正反対の反応を示した二人に戸惑ったショウくんが固まる。わたしたちは宿の女将エンディルさんに「袋道亭」自慢の離れを案内されていた。
その名の通り「袋道亭」は小道の突き当りにある。宿泊用の主館とそれに接続しているバッギさん一家の住居の他に、昔は倉庫として使っていた建物を改装した二階建ての離れがある。一週間の前払いで宿泊していた分が切れたので朝食後に延長しようとしたところ、エンディルさんから離れの利用を提案されたのだ。
離れの壁は漆喰みたいな素材で覆われていて日本の昔の倉のよう。一階の入口を開けると土間になっていて、二階へと幅広の壁内煙突が伸びる暖炉がある。暖炉端では調理もできる。土間の続きは洗濯場兼物置で、奥には配管が無い「浄化便所」。そして階段脇は上がり間で仕切られて半開放の応接間になっていた。
階段を上がった二階には部屋が二つ。方向を転じて手前の「控え間」を通り抜けないと奥の部屋に入れない。奥側は「主寝室」で、ベッド(寝台)が二台置いてあり、ソファセット(卓椅子組)に鏡台まであった。手前の部屋にもベッドが二台あり、こちらにはクローゼット(衣装間)が付属。四人利用が基本なのね。
そしてベッドのマットレス(寝台敷)も、今までは「袋道亭」の本館も含め全て藁が入った布袋で、正直なところ寝心地は良くなかった。でも、この離れのベッドは藁袋の上に薄いながらも綿入りの敷物が乗っている。そしてショウくんとわたしは寝室を分けられることに安堵したのに…モモは違った。
「ショウ様、酷いです。私に『独りで寂しく寝ろ』と言われるのですか?」
彼は何とも言えない顔で言葉に詰まった。モモったら、この宿ではそんな従者仕草をしていなかったでしょう? でも今までも三人一室で宿泊しているし「一人で寝るのは僕ですから」と返すのは不自然かも、と逡巡しているのだろうな…と思っている間に、エンディルさんがモモの思惑通りの反応をしてしまった。
「おや。今晩までに控え間の寝台を一台、主寝室にお運びしておきますよ。狭くなりますので、卓椅子組を控え間に移しますか? それとも寝台をくっつけて…」
「いえ、卓椅子組を控え間に移してください」
わたしは止むを得ずに最悪の事態だけは防ぐことにした。紫の瞳は、わたしとモモの間に視線を彷徨わせて口を開けたり閉じたりするばかり。モモは為て遣ったり、という顔…覚えておきなさいよ!
お値段の方は離れの貸し切り料金が一泊二食付で銀貨24枚。一週間分、六日で合計銀貨144枚から、まとめ借りをすることでも安くなるのだけれど、「浄化便所」などの魔力補充をわたしたちが行い、厨房も毎日【清浄】する(実際は【浄化】ね)という交換条件で、銀貨90枚にまで値引きしてくれた。
そもそも「袋道亭」は主に商人相手の宿で、魔物狩は紹介がないと泊まれない。そして恐らく魔物狩としては大変に行儀が良い、わたしたちの振舞が合格して、特別室である離れを使わせてもらえることになったのだ。クンディ様に紹介していただいて本当に良かった。何か、お礼をしたいところだけれど…。
「…あの、後で寝台を控え間に移動して僕はそちらで…」
控え間のもう一台のベッドは「主館で使います」と言われてしまったのだ。
「駄目よ! 控え間は暖炉の煙突が通っていないから寒いのよ?…これから暖かくなるけど。ええと、ほら、宿の方はお昼間にお部屋の点検に入るのよ? ショウくんが控え間で寝ていると分かったら変に思われるよ」
「…ええと…その……」
彼がモモの勢いに気圧されて言葉に詰まってしまったので、説得を試みる。
「モモ、主館で二部屋とれば、お金も…」
「リカ! ショウくんを男どものフロアに放り込む気なの?…それに、私もまだお腹が調子悪くなることあるし、初日のように間に合わなかったら…私は恥を掻けば済むけど、結局ショウくんに余計な手間を取らせるのよ」
最近知ったのだけれど、中級以上の宿は男性客と、女性客や夫婦客とで宿泊階を分けることが義務付けられていた。道理で北砦の宿では満室でもなさそうなのに、いつも三階の四人部屋しか空いていないと言われる訳だ。いずれにせよモモに「私が恥を掻けば」と言われたら、彼はそれを避けるべく全力を傾けるだろう。
「リカ。ショウくん。今のままだと落ち着かなくて…家を借りると、やっとこの世界で生きていく実感が湧くような気がするの。それに荷物だって増えてきたし、魔法袋の製作とか魔法の練習とか、控え間は作業場として使えるじゃない。そうそう、アイロンも買わない? それにあの広い洗濯場…大きな盥を買ってお風呂場にできるかもよ? いくら青光魔術があると言っても、お風呂に入りたくない?」
モモが少し苦しいながらも離れの利点と「同衾」の理由を並べ立てる。
確かに、お風呂は魅力的だしアイロンも必要ね。それに寝室とそれ以外で居住空間を分けるだけでも、この世界に「暮らす」感覚が生まれるかもしれない。何しろ転生してきたこと自体が未だに不思議で、「間借り」して生きているという意識が抜けないから…それに、彼とは今だって同じ部屋で寝起きしているもの…。
「…確かに、良いことも多いかもしれないね。三人で同じ部屋で寝るのは、今と変わらないのだし…」
「で、でしょう? リカ…わ、私、もうショウくんと…か、片時も…」
モモが唇を噛んで俯く。噓泣きなどではない、心からの訴えだ。
「リカさん…」
紫の瞳は懇願と謝罪の間で揺れていた。勝負ありね。彼の目が謝罪の色合いに染まる。ううん、わたしも本当は嬉しいの。ショウくん、これからも一緒よ…。
「そろそろ森に入ったね。初めての牛頭鬼狩り、頑張ろうね!」
「そうね、モモ」「…ハイ」
上機嫌なモモに相槌を打つ。離れを案内してもらったので、朝の治療仕事はタイミングを逃してしまった。それでも骨折した魔物狩さんが二人も辛抱強く待っていて、大銀貨2枚になった。そして、わたしたちは初めて、ここヴェイザ周辺のメイン狩場である「玄奥の森」へと踏み込もうとしていた。
いつも「私設野外診療所」から遠目に眺めていた「玄奥の森」は黒々と不気味に鎮座しているように見えていた。でも近付いてみると、いきなり森が始まっている訳ではなかった。木々が少しずつ間隔を狭め、背が高くなり、色濃くなり、気が付くと森の中に抱かれていた。
最初は足首ほどだった下草もどんどん背を伸ばし、藪や茨が増えている。でも森の其処此処には空き地が点在して陽の光が梢を照らしながら差し込んでいるので、暗くは感じなかった。枝葉を揺すりつつ吹き抜ける風は、爽やかな緑の香りとともに甲高い鳥の鳴き声も運んでくれている。
「あの「闇の森」みたいな、暗くて恐ろしい感じではなくて助かったよね」
「まだ浅層ですからね。深層は相当に凄いらしいですよね」
「ね、ショウくん。まさか、とても大きい蜘蛛なんかは出ないよね?」
「…【博物学:第一段階】の範囲では」
「昆虫型の魔物は?」
「顔が昆虫っぽい、人型魔物が…この辺りには出ないといいですね」
「ごめん。聞かない方が良かったかも…遭遇しませんように」
「玄奥の森」の浅層では、藪小鬼と牛頭鬼が出る。藪小鬼は体毛が殆どなかった沢小鬼と違って、頭から背中にかけて茶色い毛が生えているらしい。小鬼なので大きさは同じく1mくらい。採れる素材は魔石と魔角だけで肉も皮も利用できず、その価格も沢小鬼と同じく合わせて銀貨2枚と大銅貨1枚だ。
牛頭鬼は、所謂ミノタウロス。人型で身長は2mくらい。がっしりした体格で突進してくるのが特徴。魔石と牛みたいに湾曲した大きな魔角に加え、わたしたちの防具にも使われている頑丈で加工し易い皮、それに牛肉っぽいお肉が100kgくらい獲れる。この町ではお馴染みの食材で、特産物と言っても良いだろう。
木の幹にナイフで傷を付けて目印としつつ、足元に注意しながら進んだ。時には絡まった藪を切り払い、あまり深く潜らないように気を付けて徘徊しているうちに、彼の【探知】の反応より早く「ゲシャアア!」という耳障りな小鬼の声が聞こえて来た。声がする方角に剣と杖と投剣が向く。
「小さな反応が3つ、藪小鬼でしょう。しかし予想外…いや、予想通りかな…もう1体、大きな反応が…」
ショウくんの報告が終わらないうちに、立ち木の陰から羊歯の茂みを掻き分けるようにして3匹の藪小鬼が飛び出してくる。そして、その後ろから猛然と姿を晒す大きな影。牛頭鬼だ! 藪小鬼は牛頭鬼の餌なのだ。
そして、わたしたちに気付いたのだろう。一斉に向きを揃えて、こちらに向かってくる。そう。魔物は魔物同士でも食い合いを繰り広げるけれど、一番の餌は、大好物は、人間なのだ。この惑星「我等世」の食物連鎖の頂点に君臨するのは誰なのか、その決着は未だ付いていない…。
J.R.R.トールキン『ホビットの冒険』(闇の森)




