第52話 黒毛猪(くろいのしし)
「クンディ様、予想通り貴族家出身だったね」
「まだ、お若いのに未亡人だなんて。やっぱり魔物の対処は命懸けね…」
「本当ですよね…グラフェル男爵家からネップ郷士家へ。資料室の「貴家収攬」には郷士家は載っていませんが、グラフェル家については確認しましょう」
転生十六日目。朝の治療を終えた後は「玄奥の森」ではなく北門の南側に広がる草原に入った。五日前に「赤い棘」と「網頭茸」狩りに出た際には小さい茸は採らなかった。網頭茸は高価なので、育っていたら確保しようと思ったのだ。結果は概ね狙い通り。小さかった茸も順調に生育していて、30本程を採集できた。
更に新しい茸は生えていなかったのは、気になるところ。わたしの【薬術】の知識には詳しい情報が含まれていないけれど、一度取ってしまうと簡単には生えてこない茸なのかもしれない。そして茸狩りをしながら、昨夕の伝言の流れでナナさんに教えて貰ったクンディ様の出自などを話題にしていたのだ。
少なくとも銀貨20枚を超えるだろう臨時収入に気を良くして町へと戻る道すがら、突如としてショウくんがモモとわたしを制した。続いて彼が示す方角を確かめたモモも、そっと頷いた。
(なに? はぐれの沢小鬼?)
(いや、これは動物ではないかと…)
(大きい「黒毛猪」がいる。ほら、あそこ…)
本当だ。この辺りは既に疎林になっている。下生えもそれなりに茂っていて見通しが良くないけれど、黒々とした毛並みの猪っぽい動物が見えた。熊のように大きくて角耳があって長い牙が目立つ以外は、地球の猪にそっくりだ。
(…どうやって狩る?)
わたしの火魔術は「駆鳥」と「跳兎」の二回とも失敗している。もっとも魔法の真の使い方?が分かったから、三度目の正直で挑戦したい気もするけれど…明らかにモモがやる気になっている。
(…モモ、いける?)(ここは任せて)
(モモさん。くれぐれも気を付けて。猪は鋭く向きを変えることもできる筈です)
(ショウくん、有難う。牛頭鬼も突進するから、いい予行になると思う)
モモが音もなく移動を始める。わたしは杖を構えた。隣でショウくんも棒投剣を手に持っている。
あ、猪がモモに気付いた?と思う間も無く、彼女に向かって突進を開始する! モモは抜剣すると丸盾を左手で突き出した。軽やかなステップで右に躱した瞬間に一条の光が煌めき、猪が翻筋斗を打って岩に激突して停止した。鮮やかに頸動脈を断ったらしい。赤い血が噴き出るのが見える。
いつの間にかわたしの前に立ち塞かっていたショウくんが振り返る。目顔で促すと、美しい笑顔で頷き返した彼はモモの元へと急いだ。わたしも深呼吸をして動悸を抑えつつ、その後ろ姿を追う。
「モモさん、怪我はありませんか。返り血を…【清浄】。大丈夫そうですね。さすが天下無敵です!」
「うふふ、有難う。さっさと解体しよう。ええと…吊るした方がいいから…」
モモは大きな枝が張り出している木を物色し、えいや、と猪を担いでその根元に運び、毛皮を剝ぎ始めた。
「わたしにも手伝わせて。ショウくんは警戒してもらった方がいいから…」
沢小鬼の後頭部を暴いての魔石取りは何度も経験している。跳兎の解体も見た。わたしも少しでも役に立てるようにならないと。まだこの臭いには勿論、グロにも慣れないけれど。ゆっくりと新呼吸して…。
「モモさん、リカさん、その…疲れたら交代しますから」
ショウくんの配慮は嬉しいけれど、ここは頑張りどころよね。
結局、わたしはほんの手伝いだった。モモが血抜きしつつ皮を剥いで頭を落として、切り込みを入れて、足を縛って吊るすときは彼が木に登って固定してくれたから。内臓を取り出した後にやっと出番が来た。彼が出した水流を端から【加熱】してお腹の中を洗浄したあと、直ちに【冷却】で肉を冷やしたのだ。
そして縦半分に切った枝肉の半丸の状態で、【拡張】と【軽量】を付与した「実用袋」に入れる。ブレながら袋の中に消えていった。
「この猪、何kgくらいあったの?」
「よく分からないけど…かなり大きかったから、枝肉になって50kgくらい?」
「容量40倍で重量1/40の筈ですから…確かに軽いです。片手でも余裕です」
ショウくんが片手で持った「実用袋」を軽々と上下させる。
「この立派な牙も売れるのよね?」
黒毛猪の頭を横目で見ながら確認したところ、二人は顔を見合わせた。
「僕の【医学】は主に人間の歯の知識ですが…犬歯である牙は、見えている部分よりも歯根が長いのでは?」
「うん。私の【狩猟】には猪の知識が一応あるけど、顎の骨に深く埋まっているから簡単には抜けないよ。半日くらい茹でて組織を壊さないと、駄目みたい」
なるほどね。頭をそのまま組合に持ち込めばいいのかな?
「…ホホとコメカミとタンは切り取って、宿へ持ち込んで調理して貰わない?」
モモが提案する。タン…舌のお肉…は固そう。でもモモなら余裕だろうし、薄切りにして貰えれば、わたしたちでも大丈夫かな。結局、モモが頬肉などを切り出して、残りの頭と一緒になるべく冷やして「実用袋」に入れ(ギリギリで袋の口を通った)、まだ午前中だったけれど、北砦に戻って換金することにした。
「今回は他の魔物狩には会わなかったね。でも組合には「実用袋」を持っていることは伝えた方がいいよね?」
「そうよね…ショウくん、どう思う? クンディ様だと配慮してくれるかな?」
「クンディ様や組合には兎も角、他の魔物狩には知られたくないですよね」
わたしたちは北側の出張所に黒毛猪の肉を卸し…茸は出張所で鑑定できないのでまだ持っている…宿で昼食をいただく前に部屋に戻って相談していた。
北砦の出張所の解体場入口は建物の陰になっているし、昼間は人通りが殆ど無い。そこで【探知】で気配を探りつつ、誰もいないタイミングを見計らって直前に「実用袋」から取り出したのだ。でも、今後の牛頭鬼狩りの卸しでは、他の魔物狩と搗ち合うことも多くなるだろう。
とは言っても、結論は決まっている。昼食を済ませてから、クンディ様に告げようと組合に赴いた。ちなみに宿への黒毛猪のお肉の持ち込みは歓迎してくれた。今回も「魔焜炉」に魔力を追加して、厨房全体も【清浄】の振りの【浄化】をして、調理代の上乗せ無しに明日にでも出していただけることになった。
「…「実用袋」ですか。他の魔物狩には所持していることを秘密にされたいと。ショウ様であれば、「完全版」も所持していると思われていそうですが。敢えて公言する必要はありませんね」
三人は応接間で緊張した面持ちでクンディ様と向かい合っている。わたしとモモはソファの後ろに立った。貴族かもしれない「ショウ様」が、架空の実家から持ち出して来たものだと仄めかすため、でもある。クンディ様は面白そうな表情を覗かせたけれど、立ち位置については何も言われなかった。
「分かりました。わたしどもから秘密が漏れることはありませんので、ご安心ください。但し、解体場が混み合っている場合は出直していただくこともあると思いますので、そこはご承知置きください」
「勿論です。宜しくお願いします」
「お手数をお掛けして申し訳ありません」
「…申し訳ありません」
「ふふ…いえ、このくらいは通常業務の範囲ですから」
クンディ様はいつも以上の笑顔で請け合ってくれた。わたしとモモは「ショウ様」よりも深く頭を下げることを意識しながら、右腕を畳んで左胸に掌を当てる、こちらの挨拶をした…やっぱりクンディ様の視線を感じる。
この日は再び狩に出たりせず、資料室で「貴家収攬」と「魔具心得」などを確認してから、「登仙楼」で仕上がっていた衣類と預けていた神様の服を受け取って帰ることにした。ちなみに黒毛猪は肉が銀貨12枚、頭はほぼ牙4本の値段で銀貨2枚。網頭茸は銀貨28枚と大銅貨6枚だった。
「登仙楼」では、スイヤさんのお化粧は控え目で野次馬もいなかった。受付はクライアさんという黒髪が綺麗な子だったけれど、彼を見ないよう努力していたからモモも上機嫌だった。わたしは…平静を装いながら胸の疼きと闘っていた。「魔具心得」の読み飛ばしていた部分には、こんなことが書いてあったから。
「…杖使いとの関係が深いほど魔力を感知しやすい故、近親者の魔力を感知する訓練から始める。感知できるようになった後も、最初は関係の深い杖使いとしか起動操作は行えない。どの杖使いとでも起動操作を行えるようになると第二段階となり、杖使いの魔力の多寡をも感じ取れるようになる。特別に相性が良い場合は、第二段階から杖使いの気質や心情を感じ取れることがある…」




