ウィラルテの神話:その参 テアクレオスとティシア
「テアクレオス様。ローパロ殿も身罷りなさいました…」
「なんと、偉丈夫ローパロ殿まで…」
「わたくしの技が至らぬばかりに。申し訳も…」
「ティシアよ。そなたは精一杯、努めておる。相済まぬ…」
ここは後に「蛟龍場」と呼ばれる「震慄の森」のほとり。白み始めた曙刻です。ひとつの焚火を囲む者たちの姿がありました。あれ程までに煌びやかな威容を誇りし「英傑テアクレオス」の軍団も今や拾隊にすら届かず、只ひとつの焔の周りに座していたのでございます。
「テアクレオス様。魔力の戻りは如何ほどでございましょう」
「…聖剣は五秒と保つまいな」
「「「…………」」」
この頃には「復調」魔具はございません。そも、第六の聖なる技の使い手は、テアクレオス様お独りでしたから。
「テアクレオス様。わたくしの魔力がございます」
復調の技の使い手、「美しのティシア」様は、そのご尊顔に決意を籠めて夫君を見上げました。
「…ティシアよ。魔力の尽きしのち、そなたを護る者が居らぬ」
既に姫の頼れる従者らは皆、盾となって命を散らしていたのでございます。
「何を仰いますか。見事テアクレオス様が龍鬼を祓われるのですから、何の障りもございません」
「「「「…………」」」」
最後まで残った者たちは、黙して顔を見合わせました。もはや他に手立ては残っては居らぬ。それでも誰一人として、敢えてそれを口の端に上らせる者は在らなかったのでございます。
グロアアアアアアアッ!!!!
寒々とした朝靄を吹き飛ばす叫の音が響き渡りました。遂に呪うべき龍鬼、此度の大漲溢で生き残りし巨大な呪酷龍鬼が動き出したのでございます。
「さあ。暇はございません」
「…………」
ティシア様は反論の隙も与えずにテアクレオス様に御手を副えられ、最後の魔力を注がれました。
(あなた…お待ちしておりますが、どうか遠き日の再会となりますように…)
(…ティシア。待たせはせぬ。次は魔物なき世で生を共に)
麗しき姫は深き眠りに入られました。そのお窶れになった御顔は、それでも根ひと筋の瑕瑾もなく夫を想う気高き犠牲に満たされ、光り輝いておりました。
「グロアアアアア!」
「テアクレオス様! 我が引き付けます!」
「我も!」「お任せあれ!」
「…頼んだぞ!」
節士テラポン様が飛び出します。豪腕ツェクリ様も。丈高きロンヒ様も。テアクレオス様は愛剣ドラコンフォノスを掲げ、後に続きます。聖なる光を灯す機会を慎重に計らねばなりません。
「グラア!」
「ぐわあッ!」「テラポーン!」
最後の龍鬼は4mを超える巨鬼でございました。一幹討千揃いのテアクレオス様の側近たちといえども、僅か三名ではとてもその凶撃を防ぐことは適わなかったのでございます。それでもツェクリ様の捨て身の突撃の影から飛び込んだテアクレオス様の渾身の一撃が、その鉄壁の鱗皮を切り裂いたのです。
「ぐふ…」「ロンヒ!」
「グラ、ア、ア、ア…!」
終にテアクレオス様のみとなってしまいました。呪うべき酷き龍鬼は勝ち誇るように吠えました。テアクレオス様は大盾を放り、両の手で龍殺しの名剣ドラコンフォノスを構えました。
「ふん。儂を誰と心得る? 空も飛べぬ紛い物には負けぬ! 負けはせぬぞ!」
「グロアアアアッ!」
最後の一騎打ちは詳らかにされておりません。遥か遠き村に、森を揺るがし川を沸き立たせし轟音が響いてきたことが語られるのみでございます。それでもテアクレオス様が龍鬼を祓われたことに違えは無いのです。
やがて遅きに失した増援が来りしは二日後のこと。龍鬼の骸は魔石もそのままに横たわっておりました。「蛟龍場」という言葉が現れましたのは、この時からでございます。そして蛟鬼龍鬼との戦いを経し偉大なる戦士を「蛟龍場を潜りし者」と称えるようにもなったのでございます。
不思議なことに、テアクレオス様もティシア様も、その御姿は何処にも見当たりませんでした。英傑の中の英傑にして龍殺したるテアクレオス様と、美しの君にして癒と薬の導き手たるティシア様の御望みが叶い、共に魔物なき世に旅立たれたに違いありません。ト・アペイロン!




