第47話 鳥醤(とりびしお)
わたしたちは一旦、宿まで戻った。「袋道亭」は事前に伝えておけば簡単な昼食も用意してくれるのだ。本館の扉を押すと、雀斑…ではなかったけれど…の笑顔が和む、上の娘のエプレさんに迎えられた。
「お帰りなさいませ。お好きな席にどうぞ。麦餅にお肉などを乗せただけのお品ですが…あ、あの、あたしが作ったので、お口に合わないかもしれませんが…」
「いえ、いつも美味しいお食事を作っていただいているお父上のご指導の下でしょうから、寧ろ楽しみですよ」
彼が笑顔で答えると、エプレさんは真っ赤に震えて顔を伏せた。バッギさんも微笑んでいる。わたしたちは適当な席に座ると、ほっと一息ついた。こちらの宿に移って三日目だけれど、何故だか落ち着く気がする。
他にお客さんは居なかった。エプレさんとバッギさんの視線を感じるので、彼は迷いながら食事や食卓や三人の手などを【浄化】していった。驚いた顔はされたけれど、気を悪くされた感じではない。そう言えばクンディ様からの紹介だし、彼が光魔術を操れることは知っているのだろう。
「パン…麦餅はいつものが一個分ね。お肉は牛頭鬼の薄切り茹で肉。チ…乾酪と、大きめに切った玉菜と玉葱が乗っている。生ではなく炒めてくれて良かった。それに、これは紫蜜柑よね?」
「どのお料理も北の宿とは違うよね。コクがあるというか旨味があるというか…」
「お出汁でも利いているような感じですよね」
北砦の宿は塩と赤椒と、せいぜい多少のハーブくらいで、素材の味に頼るというかシンプルというか、そういうお料理だった。そして肝心の素材が…野菜は草っぽくて苦くてエグ味が強いのよね。天然だの自然だのを有難がる人に現実を教えてあげたい。それでも「袋道亭」は手を掛けて調理している味なのだ。
「エプレさん、ご主人、ブイヨン…ええと、醤の類を入れているのですか?」
例によってサッサと食べてしまったモモが尋ねる。
「よく、お分かりですね。鳥醤を少しだけ。あとは豆の色利です」
「ああ、なるほど!」
モモが納得する。彼も大きく反応している。
「モモ、鳥醤って何? まさか鳥から作ったお醤…油?」
「リカ、実は正解。私の【調理】…ええと、最近知ったのだけど、この世…この辺りでは鳥のお肉と内臓を塩漬けにして発酵させた調味料があるのよね。幅広いお料理に使える、それこそお醤…みたいな万能調味料」
彼が身動ぎする。わたしたちは待っていました、と笑顔で続きを促す。
「…前の場所でも、歴史的には鳥醤を使っていました。醤油が広まったのは…江が付く…その辺りですから。それまでは魚醤とか肉醤とかです。魚醤は…こちらにもあるな。実は伊豆諸島では戦後まで、オオミズナギドリ、所謂カツオドリを使った鳥醤が作られていたそうですよ」
相変わらずのショウペディアね。カツオドリって…鳥が鰹を餌にするのは難しいだろうから、まさか鰹の味がする鳥? もっと詳しく聞きたいところだけれど、こちらの人には意味不明な単語が飛び交ってしまうし、聞き耳を立てられている状況では話し難い。紫蜜柑をいただこう!
「硬い皮は赤みが勝っていて…あ、中の房も赤色、というか紫色ね…酸っぱいけれど、味がしっかりと濃い…」
「苦味はあるけど…グレープフルーツは無いのね…みたいに後味が残らない。これはまさにブが付く、紫蜜柑ね」
「大銅貨の昼食で出るからには高くないのでしょう。買っておきますか?」
う~ん、不自然な会話。でも本当に地球と大きく変わらない惑星で良かった。というより、寧ろそっくりな部分が多くて驚くことの方が多い。魔物さえいなければ観光気分を味わえそうなくらい。
「午後は、予定のひとつに入れておいた魔具店に行くことでいい?」
「うん!」「そうしましょう」
バッギさんとエプレさんにお礼…「ご馳走様」ではなく「美味しかったです」だ。これはもう慣れてしまった…を言って宿を出ると、例のフリゾルさん情報で知った、中年の女魔具士兼薬術士が経営しているというヴェイザ唯一の魔具店へと足を向けた。道々、わたしは宿では聞けなかったことを確認した。
「そう言えば、お醤油やお味噌はあると思う? 言語の反応では微妙よね?」
二人は顔を見合わせてから発言を促し合い、結局モモが先に話し始めた。
「私の【調理】だと、無いみたいだけど…」
「…言語の反応だと、「穀醤?」と返ってきますよね。確かに醤油も味噌も分類としては穀醤ですが…」
「あっても、珍しいのかもね。いつかお米の産地に行ったら探してみようね」
魔具店は、代官屋敷なども近いヴェイザの中枢地区にあった。この世界の魔具術は錬金術とは全く違うけれど、錬金術のイメージを引き摺っていたのか、怪しげな場所にあるものと勝手に思い込んでいた。庇には、渦巻きに両手を副えている看板と、大小三つの瓶が並ぶ看板の二つが下がっていた。彼が扉を開けて支えてくれようとしたので、慌ててわたしとモモが代わり、彼を先に入店させる。
店内にも怪しい雰囲気は無い。手前は待合室みたいになっていて、カウンターを挟んで奥の右側には薬瓶が並んでいる。帝国には透明で形も整った硝子瓶が普通にある。砂魔術があるからね。左側は雑貨か家電みたいな器具が並んでいる。魔具だ。そして小柄な中年女性がカウンター正面に座ってこちらを注目していた。
「魔術士のお嬢さん、何の用かな?」
ここは勿論、第二段階魔具士でもある、わたしの出番ね。
「はい。わたしは魔具術の勉強中で…製作道具は置いてありませんか?」
店主が眉を上げる。目付きが鋭くもないし、鷲鼻でもない。至って普通の中年女性という感じ。服装が暗灰色のローブというところを除けば、全然、魔女っぽくない…わたしったら錬金術のイメージを引っ張りすぎね。
「…そりゃ、道具は揃っているが。あんた…まさかヴェイザで商売を始めるつもりじゃないだろうね?」
「いえ、違います! 飽く迄も自分たち用で…」
「それでも、その分はうちの売り上げが減っちまうよ」
「そ、それは、そうかもしれませんが…」
「…失礼します。彼女は勉強中ですので魔銅板などの部品は幾つも購入させていただきますし、魔具の容器部分などは全てこちらにお願いすると思います。なんとか売っていただけませんか」
彼がフードを降ろして頭を下げて頼んでくれた。わたしとモモも倣う。
「…こ、これは…失礼を申しまして…」
女性店主は絶句した後、わたしとモモを交互に見て納得顔で頷いてから続けた。
「なるほど。側近候補の修行中で、若様の身の回りの道具をお作りなさるのかね?…そう言えば、森人の光魔術士がヴェイザを訪れているという花粉が舞っていて…もしや、あなたさまで?」
「他に森人の光魔術士がいなければ、そうだと思います」
「神官補様だけでしょう。承知しました。魔術士で魔具士見習いのセルウァさん…何がご入用かな?」
わたしは精一杯の笑顔と共に心から彼に感謝を捧げて、必要なものを挙げていった。魔角粉を少し混ぜて魔力の通りを良くした魔銅板と魔導墨。魔石を嵌め込む電池入れみたいな魔石箱。魔石粉を混ぜて魔性を付与した魔鉄針。簡単な工具。これが魔具士の基本セットになる。
魔鉄針で魔銅板に一筆書きで魔法陣を線彫し、魔導墨を流して【定着】させると魔法陣が完成する。魔石箱を接続して、それぞれの魔具の容器にセットして、杖使いの【魔法】と魔具士の【定着】を同時に魔法陣に流すと、魔具が起動するのだ。なんだか電気製品みたいと言えなくもない。
価格自体は高くなかった。魔銅板と魔石箱が一組で銀貨3枚。魔鉄針が銀貨2枚。魔導墨の小壺は銀貨1枚。工具一式が銀貨8枚。いずれも小さいものだし、何より魔具士と杖使いが揃わないと話にならないものね。魔具の価格は殆ど人件費と魔石代だろう。尤も基本魔具ならば、直径1cmの小鬼の魔石で足りる。
魔銅板と魔石箱は三組、魔石箱は小型用と中型用を混ぜた。魔法袋を試す際には、単機能の「拡張袋」や「軽量袋」から始めるからだ。魔具の価格も確認した。第一段階の基本魔具「種火」「水筒」「送風」「産砂」が銀貨30枚。「白灯」は銀貨60枚。魔石代は別。但し魔具の起動に協力すれば手数料を引いてくれる。
わたしたちは、彼の光と水と風、わたしの火で協力できる。彼の時空とモモの砂は秘密だ。それに、是が非でも魔具の起動操作をこの目で見ておきたい。三人は暫し額を寄せ合って何を買うべきか相談し、「白灯」魔具を購入して、その場で女魔具士さんと彼に起動を試してもらうことになった。
豊山 恵子『近世の八丈島における食生活に関する一考察』




