第35話 香り草入り跳兎シチュー
転生して七日目。この世界、少なくとも四協帝国は六日で一週間、五週でひと月、十二か月で一年なので二週目に入った。どうやら三番目の月である「華月」の朔日に転生したらしい。朝晩の冷えからすると、東京の三月よりは寒いかな。でも、単に都会と田舎の違いで寒く感じるのかもしれない。
いつもの朝の仕事を熟してから本町の南側の草原に入った。「赤い棘」には出会わなかった。旅の直後だし、お休みするのだろうか。あまり奥に行かないようにしながら、彼が武具店で約束の【清浄】をした際に、銅貨だからとサービスしてくれた木剣や木棒でモモに稽古を付けてもらうつもりなのだ。
「ショウくん、私の振り方を見て同じように素振りしてみてくれる?……ええと。そうね…ゆっくり振るから真似て?」
わたしは杖を構えた状態で周囲を警戒しつつ、横目で稽古風景を眺めていた。うん。モモと比べるのは酷だけれど、彼にも苦手なことがあると分かって、逆にホッとしてしまった。手が届かない存在だと悲しいもの。それでも素振りを続けていると、彼の動きは辛うじて様になってきた。
次は本職の【探知】持ちの彼に警戒役を交代してもらって、わたしもモモに棒術をみてもらうことになった。ひと通り振って見せると、モモが「貸してみて」と言って木棒を受け取り、つい先ほどのわたしの動きを真似て、完璧な模範演技を披露してくれた。見惚れるほどに恰好良かった。
「…わたしたち、先は遠いね」
「…申し訳ない。本当に…」
「ショ、ショウくん。私だってスキルをとったから、だもの…少しずつ、やっていこうね。リカは、基本ができているから実践あるのみよ? さあ振って!」
モモ先生、二人の扱いに大きな差がある気がします。わたしは苦笑しながらも大人しく素振りを続けた。
今日は草原を渡る風が意外と暖かい。南門の先では相変わらず誰にも会わない。でも北門の先だって、ここ数日の様子からすると、狩りに出ている魔狩隊はいつも数組だ。意外と森の中で搗ち合うことは無いのかもしれない。ひと段落ついたところで、せっかくだからと薬草木の採集を兼ねて軽く狩りをすることにした。
モモが彼と示し合わせながら、角耳を意識して気配を探っている。木々が減って少し開けたところで…いた! 20mくらい先だろうか。耳が垂れているけれどウサギっぽい。でも違和感がある。角耳の所為ね。堂々とこちらを見ている。モモと視線を交わし、速度を重視した【火矢】を放とうと魔力を練った。
バシュン!
「ああっ!」
その瞬間、見事な垂直跳びで避けられてしまった。さすが「跳兎」ね。着地した瞬間に後ろに逃げるだろうから、奥の方に向けて二の矢を放てば…なんと逆にこちらに向かって突進してくる!
「ちょっと、馬鹿にして!」
跳兎は数m手前までジグザグにダッシュしてくると、またもや素晴らしいジャンプ力を見せてわたしたちの脇を擦り抜けていこうとした。でも、それは悪手よ。憐れな小獣は、モモの居合切りで首を飛ばされた。
「ごめんね。わたしの【火矢】、また駄目だった…」
「う~ん。角耳のある動物は、魔力の動きに敏感なのかもしれませんね」
「下手に魔力を練らないで、さっさと撃った方がいいと思う?」
「…動物の狩りだと、寧ろ弓矢の出番なのかもね」
モモが手早く兎の足を縛り上げ、近くの木の枝にぶら下げて血抜きを続けながら答えた。うっ…で、でも、これはお肉だから。美味しいジビエなの!
「この兎どうする~? 偶々ローリエとタイムはあるし、何故か塩と、玉葱一個に白人参、パースニップも一本、買ってあるけどね~?」
モモがいい笑顔で聞いてくる。
「聞くまでもないでしょ!」
「サムが果たせなかった、「じゃが」と玉葱の入った「香り草入り兎肉」ならぬ「香り草入り跳兎シチュー」ですね!」
モモが跳兎を解体している間に、わたしと彼は警戒しつつも落ち葉などを集め、焚火台を組み立てた。そして彼に魔法の水を鍋に注いでもらい、【加熱】してから【火種】で火を点けた。あっと言う間に沸騰だ。火付けに苦労しないだけでも、魔法の有難さを実感してしまう。
皮を剥いて一口大に切ったパースニップと櫛切にした玉葱とハーブ類を入れ、再度沸騰させたら解体した兎肉を切り分けて鍋に投入する。モモが鍋を掻き回しながら灰汁をとり続ける。わたしは火の番をしながら、鍋を【加熱】して沸騰状態が続くよう気を付けた。周囲を警戒している彼を背中に感じながら尋ねる。
「確か、『指輪物語』の「じゃが」は原語では「tater」だったよね?」
「そうですね」「そうね、リカ」
「サムの田舎言葉を表現するために「potato」を「tater」にしたのかなと思っていたけれど…「tater」は実はパースニップだったりする?」
「教授に聞かないと分からないですが。設定次第というか。でも、『指輪物語』は「古代の書物を発見したので翻訳して紹介しますよ」という体裁ですからね。中つ国の「じゃが」は、新大陸産のジャガイモよりも、欧州に古くからあったパースニップの方が相応しいという気もするなあ」
「私も、その方が何というか、教授らしいと思う…」
「うん、お肉は淡白で硬めだけれど、美味しいよ。モモ、有難う!」
「サムと同じくスープストック、ないからね。兎の骨と塩とハーブだけの味付けでごめんね。…スープストックに関しては気になる物が【調理】で反応するから、そのうち探してみたいな」
「モモさん、十分ですよ。久しぶりの違う肉というだけで、感激です」
わたしたちは小一時間ほど煮込んで完成した「香り草とパースニップ入り跳兎シチュー」をパンと一緒に堪能していた。いつもの豆スープもあったので、お腹いっぱいになった。片付けをしながら、彼がしみじみとした表情で口を開く。
「モモさん。リカさん。まさかこの兎肉シチューを実現できるとは夢にも思いませんでした。僕は今日という日を忘れません。そしてこれからも、こんな掛け替えのない大切な記憶を重ねていきたいです!」
「…あの、私も同じ…い、いつまでも…その…」
「…うん。これからも…お願い…」
太陽の光が目に入ったみたいで、反射的に彼の顔から視線を外してしまった。気の合う大切な…友人と共通の趣味の会話をしながらご飯を食べるって幸せよね。本当に二人と一緒に転生できて良かった。さあ、町に戻らないと。太陽は中天を過ぎたと思うけれど、何時頃なのかな。
ヴェイザ本町南門に差し掛かったところで、昼三の刻の鐘の音が響いてきた。やはり調理まですると時間が足りない。それでも、今日は何というか「心の洗濯」になったと思う。彼の言う通り「香り草入り兎肉シチュー」を兎狩りから自己調達して再現するなんて、日本にいたら有り得なかったもの。
悲しいけれど、いずれ日本のあらゆる記憶は全て…家族のことも、学校のことも、大好きだった本たちの記憶さえ…朧に薄れ、ついには忘れ去ってしまうかもしれない。それでも「どうか少しでも長く、このささやかな会話を続けられますように」と恒神様に願わずにいられなかった。
「それでは、本日は薬草類が銀貨8枚と大銀貨3枚。跳兎の皮1羽で大銅貨3枚…状態が綺麗でしたね。モモさんの手際の良さと、ショウ様の【清浄】ですか。沢小鬼は出ませんでしたか?」
「奥に行かないようにしたので、遭遇しませんでした」
今日はクンディさんと会うことができた。逆にフリゾルさんを見掛けなかった。
「そうそう、フリゾルから聞きました。人目につかずに武術を訓練できるような場所がないかとのことですが。利用していない時間帯に限りますが、解体場をお貸しすることはできます」
「場所代は、お幾らになりますでしょうか?」
「前例が無いものですから。ご相談ですが、支部にある「浄化便所」などの魔具に魔力を追加していただくというのは如何でしょう。リカさんでも可能と思いますので、治療のお仕事のための魔力にも響かないかと」
そう。稼働中の魔具の魔石に魔力を追加するだけなら、効率は落ちるものの属性の違う杖使いの魔力でも良いのだ。それにしても、こちらの事情に配慮した提案をしてくれて助かる。クンディさんの優しさに感謝ね! 今日のところは取り敢えず解体場を確認しただけで、組合をお暇した。
夕方の治療仕事にも間に合った。残念ながら爽やかな春の涼風に吹かれて気持ち良く…とはいかなかった。風向きが悪くて、本町の北側の川沿いを少し下ったところにある革の鞣し場からの強烈な渋臭が漂ってきたから。川に流れ込む水道の排水口もある筈だけれど、意外なことにそっち系の臭いはしない気がする。
今日の稼ぎは、朝夕の治療を含めて銀貨30枚ほどだった。支出は宿代と食材くらい。でも、装備を少し整えるだけでも銀貨は数十枚単位で消えていく。気が急いてしまうものの、明日はモモの革服を受け取って、空いていれば解体場で軽く慣熟訓練して、資料室で残りの書籍でも読もうということになった。
J.R.R.トールキン『指輪物語 二つの塔』(香り草入り兎肉シチュー)




