第24話 溢れ鍋亭
「光魔術士の森人さま、本日も、お疲れ様でした!」
「ショウくん、今日も本当に有難う!」
「いやいや、お二人のお役に立てるくらい、嬉しいことはありませんから」
もう、橘花くんったら。真剣に言うから、モモがこんな含羞みの表情を…。
わたしたちは「溢れ鍋亭」で夕食を囲んでいた。宿の構造はそっくり同じ。昨日と同じように階段下のテーブルに陣取った。今日の宿の夕食は少しだけ充実している。大きめの深皿に肉野菜シチュー、別皿でパンとチーズと野菜煮込みというところは同じなのだけれど、具材が増えているのだ。
牛頭鬼のお肉の量は相変わらず少ない。でも一緒に煮込まれている野菜が、韮葱と白い根菜に加えて、黒い根菜と朝食に出た黒目豆も少し入っている。野菜煮込みも韮葱が刻んで入っている。味付けは同じく塩と「赤椒」だ。それでも、昨日の夕食より明らかに美味しく感じられた。
「…使われている食材は殆ど変わらないのに、お料理の腕の差って、あるよね」
「ほんとよね。わたしのお料理なんて…」
「…………」
すっかり料理上手になったモモに触発されて、わたしも頑張ってみた。でも、とても橘花くんに食べさせる勇気は湧かなかった。
何しろ、ご両親が留守にすることが多い彼は、料理まで熟せるのよね…。モモがお弁当を作ってあげると恐縮してしまって、お返しにと言って、美味しく食べられるお弁当をわたしの分まで作ってくれるのだ。こうなると、モモも彼の負担を恐れてなかなか作ってあげられない。
「黒い根菜は芯に白い環があるね。味は人参みたい。形は昨日も食べた白い根菜と同じね。色違いの野菜みたい…」
「こちらの人参は、黒人参と白人参とか? 【調理】や【博物学】で分かる?」
「そう言われると、ありますね。でも白人参と聞くと、どこかで…」
「ショウくん、地球の人参の原種はノラニンジンで白っぽい根だって聞いたことがあるよ。でも現代でも白人参があったような…あっ、確かパースニップよ。『ドリトル先生』のオランダボウフウ!」
「わたしも覚えている! ブタのガブガブの大好物よね?」
「僕も思い出しました。パースニップは日本では白人参と言われることもあって…確か欧州では元々パースニップがジャガイモのように使われていて、ジャガイモを食べるようになってからは消費が減った作物だったと思います」
「ショウくん、イタリア料理のバーニャカウダ、ハンガリー料理のグヤーシュなんかは、今でもパースニップよ。日本ではジャガイモで代用することが多いけど」
モモは代々続くお医者さんの一人娘だ。ご両親の趣味ということで、各国料理のレストランに当たり前のように通っている。料理上手になる筈だ。実は、わたしも結構、お相伴させてもらっている。最近は彼も一緒のことも増えたけれど。わたしが入れるのはドリトル先生の話題だけね。
「パースニップのこの独特の甘みと香りと食感が、ガブガブを虜にさせたのねえ」
「本当にこの世界の白人参がパースニップに近いかどうか、まだ分かりませんけどね。僕は実際に食べたことはなかったです。モモさんはどうですか」
「…私も一回か二回だから…こんな味だと言われればそうかも、というくらい」
この日の夕食も、わたしと橘花くんがモモにお裾分けをした。
まだ二日目だけれど、この世界の食が許容範囲で助かった。マナー面は気になる。食べ物を口に入れたまま喋るから飛び散って汚いし、ゲップは当たり前だし、食べ物を触った手をあちこちに擦り付けても平気だし…。少し離れている席で良かった。そしてモモが食べ終わる頃合いを見計らって橘花くんが切り出した。
「ええと。今日の稼ぎは締めて銀貨38枚でしたから、残金は…銀貨44枚、大銅貨13枚、銅貨5枚でしょうか」
「しっかりと黒字になったね。明日はどうしようか?」
橘花くんは笑顔でモモに発言を譲ってくれる。
「ショウくん、有難う。朝は北門の外で待機するとして。お昼は南側の本町に行ってお買い物をしてみない?…実際に買えるかどうかは、お値段次第と思うけど」
「早急に要るのは…モモの靴下、お裁縫セット、部屋着三着、男性用の肌着ね」
「あの、僕の肌着は後回しでも…」
案の定、橘花くんは遠慮してきたので、ここはきっちりと否定しておく。
「駄目よ。神様の衣服を少しでも長持ちさせるという目的もあるから」
「ショウくん。遠慮するところではないのよ。あと、狩りの道具と武器も、お値段だけは確認したいかな」
「組合前の広場に武器屋とか道具屋とか、並んでいたよね? 覗いてみようか」
「そう言えば、リカさん。【薬術】で今の時期に採集できる薬草木は分かりますか? 僕の【医学】には採集や製薬に関する知識は含まれていないので…」
「そうね。正直、春先だと限られるの。基本的に根や樹皮は秋冬、茎や葉は初夏から、花は開花時期だし…年中取れる葉を使うもの以外は、蕾や若芽や若草を使うものかな。春に咲く花と、その球根もいけるかも。この辺りにあるのかどうかは、組合で教えてもらえると思う?」
「恐らくは。では、朝は北門、その後は南側に移動してお店を覗いて、組合で情報収集して、夕方は…渡しが動いているのは、夜明け後から日没前でしたよね」
「南門は狩りに出る人が少ないらしいから怪我人は期待薄よね。少なくとも明日はもう一泊、北側で過ごす予定で早めに宿をとって…「溢れ鍋亭」でいいよね? 夕方前には、北門で待機しようか」
「うん、私もそれでいいと思う。お買い物や情報収集が順調だったら、明後日には南門から狩りに出てみてもいいかもね」
「それでは、明日はそんな予定で行きましょうか」
方針が定まったところで、わたしたちは部屋へ引き上げることにした。
ここ「溢れ鍋亭」は「踊る跳兎亭」と双子のように似ている。二階まではL字型で三階は一辺だけ。三階の廊下の扉の並びを見ると、四人部屋が二つで二人部屋が四つかな。「浄化便所」が各階にあるのは助かる。部屋の中も殆ど同じだ。幸い二日目の晩は、モモの体調も悪くならなかった。わたしとモモは、毛布の下でキュロットとスラックスを脱いでレギンス姿になって寝た。
「この世界で初めての果物ね。黒いけれど…」
そして三日目の朝。いつもの階段下のテーブルに座ったわたしたちは、皮が黒く変色した丸い果物を前にしていた。朝食は、深皿に黒目豆がいっぱい。白人参と黒人参と韮葱という具は昨晩と同じ。前日の夕食の残り物を利用するのだろう。茶色の焼き立てパンとチーズも同じ。でも果物が一人一個ずつ付いていた。
「皮は黒いけれど…蜜柑よね?」
早速、皮を剥いてみた。中のオレンジ色の房はどうみても蜜柑だ。言語対照も「蜜柑」で同じなのね、橘花くん?
「蜜のように甘い柑橘だから「蜜柑」という語源が同じなのでしょうね。柑橘類はそれなりに利用されているみたいです」
「私の【調理】でも反応する。ショウくん、黒いのは食べても大丈夫なの?」
「地球でも、皮が黒くなった蜜柑はありますよ。日本では見ませんが…僕は子供の頃、父親に付いていって東南アジアに住んだことがありますが、田舎ではそれこそ黒い皮の蜜柑ばかりでした。確か、日焼けでも害虫でも黒くなりますが、平気で食べていましたよ。中の房が綺麗であれば【浄化】で大丈夫と思います」
橘花くんのお父様は著作も多い文化人類学者で海外在住中。彼自身も途上国の滞在経験がある。お母様も海外派遣経験の豊富な看護師だ。そんな家庭環境だから、異世界の異文化に接しても割と平気なのかな…いえ、差別とか不平等とか思い込みとかと無縁な、彼の真摯で誠実な人格が大きいよね。
「かなり酸っぱいし、水気も抜けているけど…甘さを感じるよね」
「…胃にしみ渡るよねえ。まだ三日目だけど、昔の人の甘味が果物頼りだったのが、よく分かる…」
「南側に行ったら、果物も探しましょうか」
朝食を終えた三人は、女将さんに今晩のお部屋もお願いした。幸いなことに同じ部屋を確保できた。
「ああ、蜜柑かい? もう最後だから奮発したのさ。甘かったろう!」
女将さんに果物のことを尋ねると、快く教えてくれた。
「そうだねえ。密柑はお終いだね。そろそろ紫蜜柑とか苺とかが並ぶ頃さ。あとは干酒実が残っているかねえ」
「有難うございます。お店を覗いてみます。では今日もパ…麦餅を」
言語対照によると「干酒実」は干葡萄らしい。葡萄が酒実なのだろう。するとワインは…「赤酒」「淡酒」か。お酒と言えばワイン、ということね。今朝はパンを三つだけ購入して北門の外へと向かった。女将さんは「昨日の麦餅で悪いけど、獣人のお嬢さん用に」と言って、もうひとつお負けしてくれた。
H.J.ロフティング『ドリトル先生シリーズ』(オランダボウフウ)




