第22話 二日目の朝
(リカ、リカ…起きれそう? それとも、もう少し寝る?)
「…んん…」
ママ、もう朝なの? 今日は学校に行く日だっけ? 昨日は大変な目に遭ったの。修学旅行から帰ってきて…違う、帰れなかった…そうだ、こ、こ、は! 目を開けると、わたしの顔を覗き込むモモの顔が、完璧な造形なのに天使よりも可愛らしくて、それでいて直ぐにモモと分かる顔があった。
「モモ! あ、あなた大丈夫?」
わたしはガバっと身を起してモモの体調を確かめた。
「平気よ…それより、ショウくんが一緒なのだから、気を付けて起きてね」
た、橘花くんが? 気を付けるって…はっと確かめるとキュロットが脱げてしまっていた。鉄砲水のように色々なことが頭に溢れ出す。そうだった、未だに信じられないけれど異世界に転生して…。
焦りながら毛布の中に潜り込むと、ごそごそとキュロットを履き直して、改めて起き出した。橘花くんは…板戸が開け放たれて、葡萄色の夜明けの光が差し込む窓の方を向いてベッドの縁に座っている。寝顔、見られなかったかな。寝起きの顔、どうしよう。鏡もないから…。
「リカさん、おはようございます。それとも、疲れているようでしたら少しゆっくりしましょうか?」
橘花くんは窓の外を向いたままだ。なんだか悪いな。
「ううん、わたしは大丈夫。モモ、本当に何ともないの?」
「うん、もうおトイレにも行ってきたけど、完全に治っているの。私、ショウくんが濡らしてくれた手拭で顔を拭いてから【浄化】してもらったのよ…リカも同じようにしたら?」
寝起きの顔…と思ったけれど、橘花くんは窓の方に体を向けたまま、後ろ手で杖を軽く動かしている。わたしはモモから受け取った布で顔を拭くと、彼のところに近付き、杖を誘導して顔に当てて全身を【浄化】してもらった。本当に気配りが利く男性。そんなこと十分に分かっていた。それなのに、わたしは…。
「有難う。…わたしがおトイレに行かせてもらってから、食事にしましょうか。時間を無駄にできないよね」
浄化便所は、ちょうど入れ違いで使えた。夫婦らしい中年の男女と廊下で擦れ違ったので軽くご挨拶をしたけれど、かなり注目されてしまった。密々と何やら話している。用を済ませて部屋へ戻ると、モモが自分のベッドの上で正座をしていた。橘花くんは所在無げにベッドの縁に腰掛けている。
「…あの、リカ。昨夜は本当にごめんなさい」
「何を言っているのよ? 食中毒なのだから、モモの所為じゃないでしょ」
「…そうではなくて。私、取り乱してしまって…リカに申し訳なくて…」
「あれくらい、本当に迷惑だなんて思っていないから。わたしたち、親友でしょ。三人の大切な…パーティ仲間になったのだし。それこそ『旅の仲間』みたいな」
「………そう。そうね。差し詰め、私は…」
「モモみたいな剣の達人と言えば、アラゴルンよね。モモ、活躍し過ぎて王様になったりしないでよ?」
「…ふふ。リカ、あなたは…私、お腹が空いちゃった。朝食に行こうか?」
わたしとモモにしては、珍しく会話が擦れ違っているような気も…しないでもない。橘花くんに聞かせたくないことでもあるに違いない。うん。疑問を押し殺すようにしながら、ブーツを履いて荷物を背負い、マントやローブを着ると、ランタンと鍵を持って階段を降りて行った。
食堂はまだ暗かった。昨夜と同じ階段下のテーブルに座り、ランタン(角灯)を二つ直ぐ傍の壁の金具に引っ掛けて、ひとつはテーブルに置く。下働きの男性が角灯に油を足して火を点けた。ご主人が朝食を運んでくる。
「おう、頭巾付き懸布はあったよ。朝食が終わったら店の方で声を掛けてくれ」
「「「有難うございます」」」
さて、朝食は何だろう? 夕食と同じ深皿にシチューが入っている。お肉は入っていないけれど、昨夜と同じ白い人参みたいな根菜と韮葱、それに白い豆がたくさん。そして香ばしい香りが立ち昇る茶色の平たい丸パン。チーズがひとかけら。橘花くんがテーブルと食事とわたしたちの手を【浄化】してくれる。有難う!
「白い豆は臍に黒い縁取りがあるから、元の世界だとササゲだけど…私の【調理】ではササゲは無さそう」
「ああ、これは地球の知識でも、こちらの【博物学】でも分かりますよ。翻訳も同じで「黒目豆」です」
「そう言われると、黒い目があるみたいに見えるね」
「北アフリカ原産のササゲの一種です。欧州では大航海時代に入ってきた隠元豆が主役の座を奪ったので、今ではあまり食べられなくなってしまった豆ですが、本来は欧州の主要な豆のひとつだったそうです」
「いつも思うけれど、よく豆のことまで知っているのね…」
「偶々ですよ。大航海時代が旧世界に与えた影響のレポート課題の時に、金銀やジャガイモでは面白くないと思って、豆をテーマに調べたことがあったので…そう言えばこの世界、トマトも無さそうです」
「トマトが無いのは悲しいかも…でも、ササゲも無さそうなのよね?」
橘花くんがモモと顔を見合わせ、頷き合う。お互いの知識で確認したのだろう。
「ササゲと訳すと、僕たちはお馴染みの赤茶色の豆を思い浮かべますからね。恐らくこの世界のササゲは黒目豆が基本で、赤茶色のササゲは無いか、低段階の【調理】や【博物学】の知識には含まれないくらい珍しいか、なのでしょうね」
「…ホクホクした食感で煮崩れていないし、味もササゲと同じだと思う。パン…「麦餅」も今朝はモチモチして美味しいね。焼き立てだからなのかな…?」
モモが嬉しそうにパンを頬張っている。わたしも千切って口に入れてみた。うん、これなら普通に食べられそう。
朝食後、わたしたちは宿に併設されている雑貨店に赴いた。広くもない空間にぎっしりと商品が詰め込まれている。野営用品や狩猟用品など、魔物狩向けの道具が多いように感じる。他のお客さんも店内を物色していた。既に宿のご主人がフード付きマントを出して待っていてくれた。
「おう、これだぜ。牛頭鬼革の頭巾付き懸布だよ」
「有難うございます。試してみても?」
「ああ、構わないよ」
モモがマントを肩にかけてトグルボタンを留め、フードを被ってみる。神様のマントより少し丈が長かった。
勿論、古着だし、布端などは少し擦り切れているものの継当などは無い。十分だろう。橘花くんが魔法水用の甘苦茶を見つけて、ひと束購入しようとしたら、お負けしてくれた。解体刀などは朝の治療の稼ぎの様子を見て検討することにして、銀貨4枚を支払い、マントと甘苦茶の葉を持って店を出た。
早速、北門へ向かおう、というところで二人を呼び止める。
「今晩の宿、確保しておいた方がいいよね? どこも満室だと困るから…今朝のパン、美味しかったし、もう一軒のパン屋併設の中級宿に行ってみない?」
「そうしましょう。今なら二部屋空いているかもしれませんし」
「ううん、ひと部屋にしようよ」
わたしの決意を籠めた声色に、二人は目顔を交わしながら遠慮がちに答えた。
「リカ、あの…」「リカさん僕は…」
「駄目よ。節約しないといけないし、モモがまた具合悪くなるかもしれないし。寧ろ気を遣わせてばかりで申し訳無いくらいよ。…同室でお願いできる?」
「そ、それは勿論…こちらこそ…その…」
(…リカ、有難う)(当然のことよ。空いているといいね)
パン屋が併設された北砦内のもう一軒の中級宿「溢れ鍋亭」からは、焼き立てパンの香ばしい香りが漂っていた。商人風の男性がパンを背袋に入れながら出てくるのと擦れ違う。中に入ると、麦の粉で染まったエプロンをしている、艶々と血色の良い中年女性が立っていた。女将さんかな。
「すみません。今晩のお部屋、三人部屋などは空いていませんか?」
「三人部屋なんて無いよ。あんたたち三人で泊まるのかい? なら三階突き当りの四人部屋だね。一人銀貨4枚に大銅貨1枚で夕食付。明日の朝食と角灯三つに油一刻分と「浄化便所」代は込だよ」
「では、それでお願いします。大銅貨は新造ですよ!」
わたしは昨日の稼ぎの銀貨と、神様の大銅貨で支払った。
「へえ、初めて見たよ…部屋に入れるのはお昼過ぎになるけど構わないかい?」
「はい、これから北門に向かいますので。このパン…いえ、麦餅は持ち帰りで売っていただけるのですか?」
「ああ、あたしが焼いた自慢の麦餅だよ。うちのお客の魔物狩さんなら、大負けに負けて銅貨2枚だ。銅貨5枚で牛頭鬼の干肉を一枚。牛乾酪も量り売りするよ?」
(…二人とも、どうする?)
(昔の干肉は、ものすごく塩分が濃いと聞いたことが…)
(まだ食べていないから、干肉を一枚だけ試そうよ。チーズは朝食と同じ種類だと思うから、次の機会で)
「では、麦餅を三つと、干肉は一枚でお願いします」
J.R.R.トールキン『指輪物語』(旅の仲間、アラゴルン)
J.K.ローリング『ハリー・ポッター・シリーズ』(漏れ鍋)




