第20話 青い光
「森人ご一行さん。そろそろ、灯りを消す頃合いでね…」
宿のご主人が話し掛けてきた。周りを見渡すと、いつの間にか他のテーブルは空になっている。そう言えば、この席は階段を上がる音と振動が響いて埃も落ちてきて、道理で空いていた筈だ、と思っていたのよね。灯りは燃料を消費するものだし、夜遅くまで食堂を開けることはないのだろう。
「ごめんさない。もうお部屋に引き上げます…ご馳走様でした」
わたしたちは慌てて席を立った。
「いや、ウチの料理なんざ、ご馳走とは言えないがね?」
あっ…日本語との言い回しの違いで固まってしまったけれど、橘花くんが空気を変えるべくご主人に尋ねてくれる。
「ご主人、ひとつだけ。魔物狩用の…頭巾付の懸布の在庫はありますか? お値段もお聞きしたいのですが」
「魔物狩用というか、まあ普通の頭巾付き懸布はあった筈だ。銀貨4枚。明日の朝食後でもいいかい?」
「はい、有難うございます」
ご主人は、卓上と席の傍の壁に引っ掛けていた、わたしたちのランタン(角灯)三つに「宿泊代込なのは、一刻分までだ」といって油を足してくれた。部屋へ引き上げて机の上に角灯を置いたけれど、三つ灯していてもかなり暗い。壁に映る三人の影が揺れている。緊張感が漂う。
「仕方がないけれど、暗いね。でも油が意外と臭くなくて良かったよね」
わたしは重い空気を振り払うように、わざと明るい声音で話した。
「これでも反射板がありますし、明るい方だと思いますよ。油は、動物脂だと臭くて煤も出て大変ですが、植物油なのでしょうね。何の油の臭いなのか分かりませんが…【博物学】だと何種類かの植物油を使っているみたいです」
「あの、ショウくん。青い光は、服を着たままで体まで作用させられるの?」
相変わらずの適切な解説に感心していたら、モモが大事な事を尋ねてくれた。
「僕の習得段階は第四なので、第二の【清浄】と第三の【解毒】なら大丈夫そうです。第四の【浄化】は基本技しか使えないので、非生物と生物、要するに衣服と体を別々に掛けた方が確実という気がします」
最初は自分に当ててみます、と言った橘花くんは、体のどこに杖を当てるか少し迷ったあと、結局、頭に杖を当てた。杖からポウっと青い光が溢れて頭を包んで広がり、首から下は衣服の下を通ったらしく、一瞬後に手足の先から光が微かに覗いたと思ったら霧散するように消え失せた。
「さっぱりしました。口の中まで…これは凄い。歯磨きも必要ないですね」
橘花くんが、頭や歯を触って感心している。続いてフードを被ってから、再び頭の上に杖を当てた。今度は服の外を青い光の輪が包むように足元まで流れて消えた。橘花くんが足を上げて靴の裏を確かめると、砂粒が落ちた。
「靴底は…ある程度きれいになったという感じですね。すると無機物は消えないということかもしれません」
「そうなのね。砂とか石を消すにはモモの【消砂】が必要?」
「ショウくんと私が別々に魔法を使えばいいのね。ショウくんからお願い」
わたしとモモは順番に橘花くんに頭を差し出し、二回ずつ全身を【浄化】してもらった。不思議な感覚だった。【浄化】の青い光が通り抜けた瞬間に、さっぱりとするから。仕上げにモモに【消砂】してもらう。靴底もピカピカになった。
「申し訳ないけれど。わたしたち、着替えたいので、席を外してくれる?」
「勿論です…あ、その前に寝具も【浄化】した方がいいですね」
橘花くんは、少し時間を掛けながら三台のベッドを寝具ごと【浄化】したところで、ふらついてしまった。
「ショウくん! 大丈夫?」
モモが慌てて声をかける。でも差し出した手はぎゅっと握って引っ込めた。
「座り込むほどではなさそうです。確認がてらトイレに行ってきます。戻ってきたら部屋の外で待っていますので、着替え終わったら声を掛けてください」
橘花くんは、トイレの鍵と角灯をひとつ持つと普段と変わらない感じで歩いて出ていった。大丈夫そうかな。
「よし。モモ、急いで肌着を替えようか」「うん」
わたしたちは服を脱いでいった。衣服を確かめると、元々そんなに汚れてはいなかったと思うけれど、全く臭いはしないし、綺麗になっている気がする。ただし皺などはそのままだ。これは仕方がないよね。わたしは靴下を履いていたのに、モモは足に布を巻いているだけだった…この差は何?
そして、そして、衝撃の事実が発覚してしまった! 慌てて手足や他の敏感な部分も確かめる。う、産毛すら消え失せたような…。
「モモ、その、わたし…」
「ひょっとしてリカも?」
「「………」」お互いに顔を見合わせる。
「お、お手入れをしなくて良いから、有難いのかも…」
「こっちの世界の人はみんな…って、そんな筈ないか。森人も同じだと思う?」
「リカが聞いてくれる?」
「き、聞ける訳ないでしょ!…取り敢えず、この件については保留よね」
「…う、うん…」
それにしても…。
「モモ、本当に…元の世界なら「超」がいくつも付く人気グラドルになれるよ…」
「ちょ、ちょっと、リカ、触らないでよ。リカには敵わないよ?」
「な、何を言っているのよ!…そう言えばモモ、全然筋肉がついている感じは無いのね。腹筋も割れていないし。でも明らかに力が強くなっていたよね」
「…うん。正直、ホッとした。【俊敏】が第二段階で【剛力】は第一段階だけど、アスリートのひとたちくらいになるのは仕方がないと覚悟していたから。本当に良かった。これなら彼も…」
わたしたちは服屋で買った肌着に着替えた。でも、やはりというか…。
「縫製とかの差は買う前から分かっていたけれど…しっくり来ないね。神様が用意してくださった服は、サイズまで完璧に誂えていただけたものなのね…」
二人とも下は兎も角、上は…わたしの方は、背中のボタンや肩紐の金具を調整すればギリギリ何とかなったのだけれど、小柄なモモは背中が余ってしまった。
「ボタン、付け替えないと不安かも…針と、糸と、鋏がいるね…」
「いろいろと入用よねえ…。モモ、神様の肌着に戻した方がいいね。あと寝る時はリラックスできる恰好がいいけれど…」
上衣の下は、体にピッタリした長袖の肌シャツとレギンスで、その下が肌着。モモと二人なら肌シャツとレギンスで寝るのだけれど、橘花くんがいるから無理。結局、わたしはボディスを外しただけで長袖ブラウスとキュロットを着たまま。モモもベルトを外しただけでニット風の詰襟服とスラックスを着たままになった。
それから、わたしのキュロットは少しだけ問題があった。ボディスの内側の金具に固定する構造だったのだ。ボディスがないとキュロットがずり落ちそうになる。腰のくびれが強くなったから引っ掛かってくれるといいけれど。明日の朝、どのくらい皺が寄ってしまうのかも心配ね。
「リカ、部屋着も早く買わないとね。服屋さんでチュニックみたいなの…「被上着」か…あったよね?」
「…明日も同室ならね。でも、どちらにせよ部屋着は早急に必要か。本当にいろいろと入用よね。お金、しっかり稼がないと。といっても暫くは光魔法の治療が頼りよね。そろそろ、いいかな?」
「リカが呼んできて。できればその…」
「分かっている。部屋をとったときの態度、ちゃんと謝るから」
わたしは扉を開けて橘花くんを…彼は扉の脇の壁際で、頭を膝に押し当てて蹲るように座り込んでいた。
「やっぱり、魔力がかなり減っているのね? 負担ばかりかけて、ごめんね」
「…いや、少しでも回復をと思って座っていただけです。それより宿も「浄化便所」でしたよ。宿泊代に含まれるのは有難いですね。念のため、トイレ全体を【浄化】しました。今なら空いていると思うので続けてどうぞ」
橘花くんは立ち上がったものの、ふらついてしまった。
「無理しないで。…あの、あの。さっきはごめんなさい。同室で泊まるのを嫌がるようなことを言ってしまって…」
「いやいや、逆の立場なら当然と思いますから。入っていいですか?」
橘花くんは一番左のベッドへ向かった。わたしはモモを呼ぶと、そっと(まだ、魔力が厳しいみたい)と耳打ちしつつ二人でおトイレに行った。帰ってくると、彼はまだベッドの端に座って起きていた。
「先に寝ていてくれて良かったのに」
「…手と手拭を【浄化】させてください」
「ショウくん、魔力が厳しいのでしょ? 明日の朝、手拭だけ【浄化】して貰えればいいから…」
「今日はもう寝るだけですから。少しなら大丈夫ですよ」
モモが遠慮したものの橘花くんは無理にでも、という感じで【浄化】してくれた。ごめんね。そして有難う…。
角灯の火を消し、それぞれのベッドに入ったところでわたしは呟いた。
「長くて濃い一日だったよね…」
「私、まだ信じられない…」
「…まさかの異世界転生ですからね」
「それにしても、少し冷えてきたような…あ、わたしの火魔術、第二段階の【加熱】が使える筈よね!」
わたしはベッドから飛び起きると、指先を向けて三人の寝具や衣服を順番に【加熱】していった。うん、今日一日の中で一番、二人の役に立てた気がする。こうして転生して最初の一日が、有り得ない体験に満ち溢れた一日が終わったのだった。モモ、橘花くん、お休みなさい。
…終わらなかった。この後の夜更けに、転生してから最大級の騒動が待ち受けていたのだった!




