第11話 痺れる味
広場の周りには屋台が数軒。柑橘系の香りが混じるお肉系の良い匂いが漂っている。惹かれるように恰幅の良い中年女性の屋台に歩み寄った。大きな鍋が置いてあって、匂いの元はそこだろう。それ以外は灰色掛かった茶色の平たいパンが積んであって木の椀が重ねられているだけ。値段表は見当たらない。
「すみません、こちらは何のお料理ですか?」
鍋をかき回しつつチラチラとこちらを窺っていた小母さんが答える。
「…お料理っていう程でもないけどね。まあ、よくある牛頭鬼の骨汁だよ」
牛頭鬼って…ミノタウロス? いきなり魔物肉!
「一人前はお幾らになりますか?」「銅貨5枚さね」
「三人分、お願いします。新造帝貨ですよ!」
わたしは笑顔で大銅貨を2枚、差し出した。小母さんは硬貨を矯めつ眇めつしながら心底、感心したように言う。
「へえ、初めて見たよ。輝いているねえ…お礼にちょいと多めにしておくよ」
「え、でも宜しいのですか?」
「使徒様のように美しい魔術士のお嬢さん、これくらい遠慮しないでおくれよ」
「…あ、有難うございます」
小母さんは慣れた動作で鍋から汁を掬うと、ヒョイとお玉を滑らせて一滴も零さずにたっぷりとお椀に満たした。大振りな木の匙を放り込むと、パンを一個こちらに押し出してくる。わたしは右手でお椀を、左手で直径20cmはありそうな平らなパンを掴み、それで両手が塞がった…お盆は無いみたいね。
「あ、あの、あそこの二人と連れなので…往復します」
「ああ、熱いからね、零さないように気を付けなよ」
親切な小母さんで良かった。軽く会釈して感謝を伝えたわたしは、取り敢えず一人前を持って二人の元へと向かった。事情を察してパッと立ち上がった二人のうち橘花くんを目顔で座らせて百桃と二人でお店に戻り、お釣りの銅貨5枚を受け取ると、残りのお椀とパンを持って戻った。
「有難うございます。ここまで気にする必要がある…のかな?」
橘花くんが首を捻りつつ、深紫の瞳に謝罪を表してくれながら呟いた。
「でも、門の時も、わたしが口を挟んだら門番さんは微妙な表情をしていたから。念のためね?」
「…私も、事情が分かってくるまでは気を付けた方がいいと思う。橘花くんは、どっしり構えていてね」
百桃は嬉しそうだ。彼女は尽くすタイプだからね。橘花くんは、それを上回って気遣ってくれるけれど。
「…ご迷惑をお掛けします。それでは、お腹を満たしながら、先ほどの遣り取りから得られた情報を検討しましょうか。あ、勿論、食べながらで。まずは手をきれいにしましょう。【清浄】…いや【浄化】」
【清浄】よりも強い青い光が両手を包んだ。今度も周りを窺ってみたけれど、気付かれてはいない、と思う。
「橘花くん、【清浄】と【浄化】はどう違うの?」
百桃が尋ねた。わたしの【魔法学】でも名前と簡単な説明だけだから、橘花くんの【医学】知識で確認したい。
「第二段階の【清浄】は「廃物や汚濁を消し掃う」、第四段階の【浄化】は「癘素とその遺漏を消し癒す」ですね。「癘素」は「病を運ぶ悪しき魔素」ですが実際には病原体でしょう…この世界は瘴気説の段階か…傷を治した後に残った血液は【清浄】で消えましたから、対象が非生物のみか、生物も含むかの違い? すると汗や尿は【清浄】で便や痰や歯垢は【浄化】…あ、すみません、食事中に!」
まさか細菌やウイルスが存在しなくて、本当に魔素の良し悪しで…それはさすがに有り得ないよね? ふと思い立ってステータスで【耐性】を確かめると、ちゃんと「病原体及び毒素への抵抗力」と表示された。「癘素への抵抗力」とかでは無かった。わたしが考えを巡らせていると百桃が話を進めてくれた。
「ううん、私が聞いたことだし…橘花くん、璃花、食べよう!」
いよいよ、異世界で初めての食事を試すことになった。
「…骨汁と言っていたけれど、本当に具は殆ど入っていないのね」
わたしはお椀の中の具を木匙で掬い上げながら呟いた。お肉はほんの小さなかけら程度。骨から剥がれたものなのだろう。あとは野菜の切れ端が幾つか。半透明の汁には赤茶色の果皮みたいなものが混じっている。柑橘系の香りだけれど、少し辛そうな刺激的な匂いが混じる。
「うん、少し辛いけど意外と…そう言えば、これって何のお出汁?…牛肉っぽい? あ、少し痺れる感じが…」
早速、口に入れてしまった百桃が、口許を手で隠しながら微妙な表情をわたしと橘花くんの間に往復させる。飲み込んでいいものか迷っているのだろう。
「辛いのは兎も角、痺れるっていうのは心配だな…御酒花さん、そのままで」
橘花くんが慎重に匂いを嗅ぎつつ、汁だけを木匙で掬って飲み込んだ。
「これは、馴染みのある味覚のような…ひょっとして、山椒では?」
「あ、そうか、この匂いは山椒…山椒の痺れなら、腐っているとかではないよね。山椒って、この世界にも…あるみたいね」
「ええと、翻訳で「赤椒」と反応しますね。直訳だと「赤い痺れる実」ですが山椒のことだって分かりますね…」
「なるほど。【博物学】をとらなかったわたしでも、神様の漢字翻訳だと、イメージが掴み易いね」
わたしは感心して答えた。山椒と聞いて安心して飲み込んだ百桃も口を開く。
「…あの、私の祖母の家のお庭に山椒が植えてあるのだけど…普段、食べている山椒が緑色なのは早いうちに採るからで、放っておくと山椒の実もちゃんと熟して赤くなるよ。麻婆豆腐に入れる花椒が日本の山椒の近縁種だったと思うけど、花椒は熟した赤い実を使うよね」
「こちらの「赤椒」は、山椒よりも花椒に近いのでしょうか?」
「…花椒だと、もっと痺れが強いと思う。私の【調理】だと、こっちでは「赤椒」の実は熟したものしか利用しないみたいだから、使い方は花椒に近いのかも」
「あ、【薬術】に拠ると「赤椒」は胃薬になるよ。木の皮も痺れるから、川に乾燥させた「赤椒」の木の皮を入れて、麻痺して浮いてきた魚を獲るみたい」
「山椒で魚を獲る…どこかで聞いたことがあるような」
「私も読んだ記憶が…橘花くん、『風の又三郎』でそういう描写がなかった?」
「ああ、そうですね。実際には山椒を入れても魚が浮いてこなくて、結局、鬼ごっこをしたのでしたっけ」
二人が楽しそうに会話する。わたしも読んだ筈なのに、記憶に無いなあ。
「それにしても…僕たちの新しい知識は、まだ借り物という感じですね。意識して頭の中を探らないと出て来ないというか。追々、慣れて馴染んでくれるのかな…」
橘花くんが話を締め括る。三人とも、なるべく赤茶色の果皮を除けるようにしながら口に運ぶ。そう言えば、山椒の話に気を取られて大事なことを忘れていた。
「百桃、食べてしまった後で悪いけれど、この骨汁は牛頭鬼…ミノタウロスね」
「…この世界では魔物肉も食べるということは、知識としてはインストールされているけど。そうよね、橘花くん?」
百桃が微妙に表情を曇らせつつも、橘花くんに同意を求める。
「ええと。牛頭鬼、音訳でバイペドルスはその名の通り、ミノタウロスっぽい、頭が牛みたいな二足歩行の魔物ですね。大きさは人類よりも大きくて、2mくらい。肉と皮を利用するみたいです。今更ですが、メートルと翻訳されますが…これも偶然の一致とは言え…そうでもないのかな?」
「「解説、お願いね」」わたしと百桃は橘花くんに笑顔で先を促す。
「では。メートルは、北極から赤道までの地面の直線距離の一千万分の一を1mとしたものです。そういう決め方は別の惑星でも十分に有り得ることなので。同じ大きさの惑星なら、基本単位が同じ長さになっても不思議は無い、と思います」
「一斉に縮尺が変わったのなら、お互いに気が付かないかもしれないけれど…」
「…あの神様が1mと訳してくれたのだから、そこは同じと判断してもいいよね」
長さの単位の話題になったお陰で、魔物肉を食べたことに関しては有耶無耶になった。魔物肉を利用している世界に転生したからには、慣れるしかない。
「パン…「麦餅」なのね…は硬くて乾いた感じで、お汁に浸さないと厳しいね。この色は全粒粉だから?」
わたしは力を籠めてパンをちぎって、何度も咀嚼して飲み込んでから言った。
「そうね。焼いてから時間が経っていそうだし…」
「地球では精製小麦の白パンが一般的になったのは、いつ頃でしたっけ?」
さすがの橘花くんも知らないのね。わたしは百桃と顔を見合わせたものの、二人とも知らなかった。三人はパンを骨汁に潤かせて嚙み締めながら、お椀の残りを黙々と片付けていった。
「有難うございます。それでは、門でのやりとりを振り返りましょう。かなり重要な情報が含まれていたと思います」
食べ終わったお椀を片付けようと腰を浮かした橘花くんを笑顔で制して、わたしと百桃の二人で小母さんの屋台に容器を返却し、戻ってきたところで彼が丁寧に頭を下げてくれてから切り出した。
宮沢賢治『風の又三郎』




