第1章「祖父の手紙と町の記憶」(08)
店の窓辺から差し込む陽光が、テーブルの木目を柔らかく照らしていた。匠真は一口、コーヒーを啜る。苦味と酸味が絶妙に絡んだその味は、じんわりと身体を温めてくれる。
「春光フェスティバルを復活させる、ね……」
店主がつぶやくように言った。
「昔は、この店の前までパレードが通ってたよ。子どもたちが太鼓を叩いて、後ろを山車がゆっくり進んでさ。風鈴もいっぱい飾ったから、まるで音の川みたいだった」
「風鈴の音……いいですね。それ、復活させたいです」
「うん。あの音はね、夏の記憶そのものだった」
語る店主の横顔には、遠い日の光が宿っているように見えた。
「でも、気をつけなさいよ。記憶ってのは、美化されやすいからね。綺麗だったものほど、戻そうとすると歪んでしまう。あの頃と、今は違う。だから、ただ昔をなぞるだけじゃなくて……“今の春光町”をちゃんと見て作りな」
「……はい」
匠真は真剣なまなざしで頷いた。祖父の夢を継ぐのなら、なおさらだ。過去の影を追うだけでなく、光を“今”に差すことが、彼の使命なのだと思った。
コーヒーを飲み干し、深く息を吐く。
「俺、ちゃんと考えてみます。今の町にとって、“ありがとう”ってどういう意味になるのか。どうしたら、それが町の中に自然に流れるのか」
「いい心だ。でもなにより――続けることを考えなよ。祭りは一日で終わっても、想いは続けなきゃ、意味がない」
「続ける……」
その言葉は、図書館の慎吾の言葉とも重なった。
ありがとうを伝える町――それは、イベントではなく“文化”なのだ。ひとときではなく、日常に根づくもの。それを作るには、想いを“仕組み”にしなければならない。
「ありがとうございました。また来ます」
礼を言って店を出ると、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。駅前のビルの窓が金色に反射し、通りを行き交う人々の足音が心地よいリズムになって響く。
歩きながら、匠真はスマホを取り出し、奨にメッセージを送った。
《地元で風鈴パレードっていうのがあったみたい。今の町に合う形で、何か考えられないかな。あと、役場の明美さんって人が、少し協力してくれそう》
すぐに返信が来た。
《おお、それアツいな。地元の保育園の親御さんに話してみるわ。子ども参加させる系なら、町の大人も絶対関心ある》
思わず笑みがこぼれる。
(動き始めてる。ほんの少しずつだけど……)
ふと立ち止まると、風が通りすぎ、目の前の電柱の影が揺れた。高台の方を見れば、かつて祖父と登った展望台の階段が見える。あの場所から町を見渡したときの光景――それが、今も匠真の心の中に残っている。
「明日、行ってみようかな……」
小さく呟いたその言葉が、心の奥に静かに沈んでいく。
そこに行けば、きっともう一度確かめられる。祖父が、なぜ“ありがとう”を信じたのか。そして自分が、なぜ今、それを継ごうとしているのか。
歩き出す足取りは、確かに少し軽くなっていた。




