第1章「祖父の手紙と町の記憶」(07)
町役場を出ると、日が少し傾いていた。西日がアスファルトに長く影を落とし、歩道の植え込みが金色に染まっている。
匠真は、心にずしりとしたものを感じながらも、それが確かに“手応え”であることを理解していた。
(一歩……いや、半歩だけかもしれない。でも、前には進んだ)
明美の目は、確かにまだ迷いを含んでいた。けれど、完全に閉ざされていた扉が、ほんのわずかでも開いたのは事実だった。
「……まずは仲間を集めないとな」
祖父の夢は、ひとりでは叶えられない。どれだけ思いが強くても、それを支える手と心がなければ、「ありがとうの町」は形にならない。
そのとき、ふとスマホが震えた。
画面を見ると、「奨」の名前が表示されている。大学の友人で、地元は隣町だが春光にもよく遊びに来ていた男だ。明るく、調子が良くて、けれど時折見せる繊細な表情が印象に残っている。
「もしもし? 匠真? 今、実家?」
「うん。こっち帰ってきてる。どうかした?」
「いや、こないだ話してた町のこと、気になっててさ。フェスティバル復活したいってマジだったのか?」
「……うん。今、役場の文化課にも話してきた」
「マジかよ! すげぇな……でも、匠真がやるなら、俺も何か手伝うよ」
「本当に?」
「もちろん。俺、地元のイベントに顔出してた関係で、チラシ作る人とか知ってるし、地元密着の団体とも繋がってるから。あと、声かけてみたい後輩も何人かいる」
「助かる……!」
思わず口元が緩む。心強い味方ができた。それも、過去を知らずに“今”を信じてくれる、同世代の仲間だ。
「ひとまず、こっち戻ってきたら一度会おうぜ。話、じっくり聞かせてよ」
「ああ、ありがとう、奨。ほんと、ありがとう」
電話を切ったあと、胸の中にじわりと熱いものがこみ上げてきた。
“ありがとう”という言葉。それは、こんなにも人の心を動かすのだ。祖父がそれを形にしたいと願った意味が、少しずつ、わかってくる。
そのまま匠真は駅前のカフェに立ち寄った。喫茶「ふうりん」は、町でも数少ない個人経営の店で、落ち着いた雰囲気と香ばしいコーヒーで知られている。
木製のドアを開けると、カウベルの音が鳴った。
「いらっしゃい」
低めの声で迎えたのは、穏やかな表情の店主だった。白髪まじりの髪を後ろで結び、紺のエプロンを身に着けている。
「ホットを一つ。あと……ちょっと、話聞いてもらってもいいですか」
「もちろん。空いてるし、どうぞ」
カウンター席に座りながら、匠真はコーヒーの香りに包まれつつ、自分の考えを整理していた。
祖父の手紙を見つけたこと。フェスティバルの記憶。役場との対話。そして、仲間の存在。
ひとつひとつが、点から線へと繋がっていく。
「ありがとうを形にする町」
それは、ただ過去を再現することじゃない。新しく始めるのだ。“今の町の人たち”とともに。
目の前に置かれたコーヒーから立ちのぼる湯気を見つめながら、匠真は小さく呟いた。
「ここからだな、全部……」