第10章「そして、始まりの日へ」(00)
――視点:匠真
朝六時、陽はすでに地平線の上にあった。
春光町の空気は澄んでいて、風は穏やかで、空はどこまでも広がっていた。
匠真は、河川敷のステージ前に立っていた。
前日までの喧騒が嘘のように、町全体が一瞬、静止しているようだった。
(ほんとうに、ここまで来たんだな)
ステージの天幕が風で揺れる音。
遠くで聞こえる鳥の声。
誰かが段差を歩く足音。
そのすべてが、今日の始まりを告げている。
準備は、昨日のうちに終わっていた。
いや、正確には“終えた”のではなく、“ここまで積み上げてきた結果”が、いま目の前にある。
菜央がデザインしたロゴの旗が、町の入り口から会場までを導くようにひらめいている。
彩織の布は、各出展ブースで“包むため”の道具として並び、来場者の手を受け取る準備をしていた。
慎吾が整えた「ありがとう文庫」の特設棚には、昨日のうちに誰かが差し入れた小さな紙袋が置かれていた。
「おばあちゃんが、ここのイベントで笑った写真を見て、また外に出るようになりました。
ありがとう。」
手書きのメッセージと一緒に、小さなクッキーが入っていた。
匠真のもとに、奨が駆けてくる。
「出展者、全員準備完了だって。あと十五分でゲート開場できる」
「ありがとう。……ほんとに、ありがとう、奨」
「やめろって、そんな顔で言うな。泣きそうになる」
奨の言葉に、匠真は小さく笑った。
そのとき、スピーカーの電源が入った。
「マイクチェック、ワンツー……よし、通ってる」
声の主は崇だった。
「音響、最終確認終了。開場時刻に合わせてBGM流せる」
慎吾がスピーカー下で手を挙げた。
時間は流れ、町が少しずつ目を覚ましていく。
子どもを連れた家族、近所の農家、制服姿の高校生、
かつてこの町を離れた若者たちが、今日は「戻ってくる日」としてここにいた。
「ありがとう」と書かれた受付札が、朝陽に反射する。
そこに、まいがカメラを向けた。
シャッター音が鳴る。
そして、時刻は九時。
春光フェスティバル、開幕。




