第1章「祖父の手紙と町の記憶」(06)
春光町役場は、かつて駅前通りの再開発の一環として新築されたもので、外観は白を基調にしたモダンなデザインだ。だが、よく見れば壁面のタイルにひびが入り、植え込みの雑草が伸び放題になっているあたり、町の疲弊を隠しきれていない。
匠真は文化課のある3階へエレベーターで向かった。
ドアが開くと、目の前には「地域振興・文化課」のプレート。中には数人の職員がそれぞれのデスクに向かって作業をしていた。その一角に、すっと背筋を伸ばしてパソコンを打つ女性の姿が目に入る。年齢は三十代後半ほど。黒髪をまとめ、控えめなメイクに地味な色のカーディガン。だが、その姿勢からは芯の強さがにじみ出ていた。
「あの……すみません」
声をかけると、女性がこちらを向いた。整った目鼻立ちに、わずかに驚いたような表情が浮かぶ。
「はい?」
「匠真といいます。春光フェスティバルについて、お話をうかがいたくて……明美さんでしょうか?」
女性はわずかに目を細め、表情を引き締めた。
「……ええ、私が明美です。ご用件は?」
その言葉には、壁のような冷たさがあった。だが、それはただの拒絶ではない。過去に触れられることへの、ある種の“覚悟”が滲んでいた。
「実は……祖父がかつて春光フェスティバルの主催者でして。最近その手紙を見つけて、町を“ありがとうで満たしたい”という想いが書かれていたんです。それで……もう一度フェスティバルを復活できないかと考えていまして」
「……」
明美は、しばし無言で匠真を見つめた。
「それで?」
「当時のことを知る方に、まずお話を聞きたくて。記録や反省点、どんな問題があったのか……全部知ったうえで、自分なりに形にできないかと」
静寂が落ちた。
部屋の空気が、ふっと重くなる。
明美は、しばらく視線を落とし、それから椅子の背にもたれた。
「……あなたの祖父には、私もずいぶんお世話になりました。仕事でも、個人的にも。フェスティバルは、町の誇りだった。確かに、そうだったのよ」
声はかすかに震えていた。
「でも、あれが終わったとき……多くの人が傷ついた。予算が足りないこと、急な天候、設営のトラブル、ボランティアの離脱、出店者のキャンセル……それらすべてが、ひとつのタイミングで重なってしまったの」
「……はい」
「そして、誰かが責任を取らなければならなかった。私は担当者として、町中から非難を浴びた。子どもにまで“あの人のせいでお祭りがなくなった”って囁かれたの。……もう二度と、あんな思いはしたくない」
その声音に、匠真は何も返せなかった。
だが、だからこそ、ここで逃げてはいけないとわかっていた。
「それでも、俺は……もう一度、やってみたいんです。無理だと思われても、それでも、一緒に考えてくれる人がきっといると信じてます。俺ひとりじゃ無理でも、何人かが本気で動けば、変わることがあるって」
明美は静かに息を吐き、視線を窓の外へ向けた。
「……変わるかもしれない。でも、そのためには、“過去を見ないふりする人”じゃなく、“過去をちゃんと背負える人”が必要なのよ」
「はい。その覚悟は、あります」
二人の間に流れる空気が、わずかに和らいだ。
「……わかったわ。じゃあ、まずは一度、町内で使えそうなスペースと、過去の予算帳を見せてあげる。無理だと思ってたけど……話だけは聞いてあげる」
「ありがとうございます……!」
匠真は深く頭を下げた。
この町に、もう一度“ありがとう”が戻る日が、少しだけ近づいた気がした。