第7章「“わたしらしさ”のその先に」(01)
――視点:優
工房を出て、坂道を下りながら、優は空を見上げた。
夏雲の奥に、いびつに膨らんだ積乱雲が広がっている。
「空も、時々“形を伝えたがってる”よねぇ……」
ひとりごとをこぼしながら歩く道すがら、彼の手には、彩織が渡してくれた試作品の布があった。
それはコースターとして設計されたもので、手のひらに収まる小さな四角。
だが、触れるとたしかに“気配”があった。
布なのに、何かを語ろうとしてくる“控えめな意志”。
その夜、古民家カフェ「音と間」に戻った優は、カウンターに布を並べてみた。
常連客がぽつりと訪れる夜のカフェは、控えめな灯りと音楽が支配する、町の“ひと息”の場所だった。
「これ、いいですね。使いやすそう」
と言ったのは、仕事帰りの女性。
「ありがとう文庫」の設置に関わっている町役場の明美だった。
「でも……何か、隠してる感じがしません?」
「隠してる?」
「はい。“使ってほしい”と“見てほしい”の間で、揺れてる感じ。
“私が出すぎてもだめ”って、思ってるような……そんな遠慮」
優はその言葉に、何度も頷いた。
「“らしさ”って、そういう慎重さを連れてくるんだよね。
自分を押し出したくない、でも否定されたくない、そんな揺らぎ」
明美はコーヒーを受け取りながら、ふっと笑った。
「でも、それって、“本気で大事にしてる”ってことじゃないですか?」
「うん、だからこそ、“伝わったらいいな”って願いが生まれる。
でもね、その願いは“使われる”だけじゃなく、“見つけてもらう”ことから始まる気がする」
翌日、優はもう一度、工房を訪ねた。
彩織は珍しく作業の手を止めて、試作品の布を見つめていた。
「昨日、誰かに“隠してる感じがする”って言われた」
「それ、正解だと思う。
私は、“表現したい”と思ってない。
ただ、“伝わってほしい”って、静かに思ってるだけ」
「でも、“伝わってほしい”って気持ちは、“表現”と紙一重だよね」
「……矛盾してる?」
「ううん、どちらかというと、“変化の入口”だと思う」
優は、カフェで撮った布の写真を見せた。
「これ、“使いやすさ”だけじゃなくて、
“この布を置いた人の気持ち”を感じるって言ってた人がいた」
「……それ、初めて言われたかも」
彩織の言葉は小さかった。
でも、それは少しだけ“届ける覚悟”に近づいた証にも思えた。
その日の夕方、ふたりは工房の隅で「展示の試案」を考え始めた。
「“役に立つもの”が、“言葉を持つ”って、面白いですね」と彩織。
「じゃあ、展示の名前は、“つかいごこちの言葉”にしようか」
「……悪くない」
彩織は笑った。
それは、自分の作ったものが“誰かの記憶に残っていい”と、
初めて思えた証だった。




