第5章「立ち止まるための勇気」(02)
――視点:崇
夕刻、作業の手を止めた崇は、空き店舗の奥にある古いスチール棚の前にしゃがみ込んでいた。
開かずの引き出しを開けてみると、中には色褪せたメモ用紙や使い古された画鋲、そして数冊のノートが詰まっていた。
そのうちの一冊を取り出してパラパラとめくると、そこにはかつての文房具屋が子ども向けに配っていたクイズや、万年筆の使い方講座のスケジュールが手書きで残っていた。
「……この場所、ずっと誰かの“始まり”を支えてたんだな」
独り言のように呟くと、背後から菜央の声が返ってきた。
「うん。文房具って、“準備するもの”の象徴だから。
“まだ何者でもない”誰かの、第一歩を支える道具」
崇はノートを手に取ったまま、ゆっくり立ち上がった。
「お前さ……そういうこと、なんでそんなに自然に言葉にできんだ?」
「考えてるからだよ。日々。黙ってるときでも、頭の中でずっと思ってるから」
「……俺は、あんまり考えるの得意じゃねぇ」
「でも、“黙ってる人”の行動って、説得力あるよ」
そう言った菜央の目はまっすぐで、媚びも甘えも一切なかった。
それが、崇には心地よかった。
言い返す必要も、証明する必要もない。
ただそこにいて、話せばいい。考えればいい。
夜、作業を終えて外に出ると、商店街の街灯がオレンジ色の灯りを落としていた。
その足元に並ぶ影が、今日一日で変化した“空間”の輪郭を浮かび上がらせていた。
「なあ、菜央」
「なに?」
「お前が言ってた、“この場所を“間”にする”ってやつ」
「うん」
「……俺さ、“間”って言葉、前は正直苦手だった。
“隙”とか“中途半端”って意味に思えてた」
「でも?」
「でも今日、“立ち止まる余白”って言葉に変換できたら、すげえ大事なもんに思えてきた」
菜央は何も言わず、ゆっくりと頷いた。
「“立ち止まること”に勇気がいるって、崇くんが教えてくれたからかもね」
「……は?」
「だってさ、“立ち止まって何もしてない自分”を見られるって、怖くない?」
崇は返事をせず、商店街の灯りを見上げた。
その光が、どこか優しく感じたのは――
自分がようやく“止まってもいい”と思えたからかもしれない。
菜央は帰り際、ノートの端に小さく書き足していた。
「まにあいの間」
誰かの“まだ言えないありがとう”を、受け止める場所。
急がなくていい。間違ってもいい。
ここは、“勇気が呼吸できる場所”であること。
その言葉を見た崇は、しばらく見つめたあと、ペンを借りて一言だけ加えた。
※鍵は、だれかの“初めて声を出す日”に開く。
そう書いた彼の顔には、照れ臭さと確かな決意が同居していた。
遠くで、七夕の短冊が風に揺れていた。
誰かの願いが空に吸い込まれるように、
ふたりの静かな決意もまた、夜の空気にしずかに溶けていった。




