第5章「立ち止まるための勇気」(00)
――視点:崇
七夕を翌日に控えた午後。
夏雲の切れ間から、まばらな陽射しが差し込んでいる。
崇は、町の防災センターに設置されたホワイトボードの前で、マジックを手に腕を組んでいた。
「“避難導線”はこれでいいとして……物資受け渡しのエリア、もう少し広げた方がいいか?」
「仮設ベンチとの干渉は?」
背後からの声に振り返ると、菜央がスケッチブックを持ってこちらを見ていた。
「干渉というか……場所によっては動線が重なるな。
でも、ここのスペースはどうしても避けられない。緊急車両も入れる道沿いにするには、ここしかない」
「そっか」
菜央はさらさらと紙の上に線を引き直し、イラストと寸法を描き足した。
「じゃあ、可動式の掲示板を間に置こう。人の流れが自然に分かれるし、視覚的なガイドにもなる」
「……お前、すげえな。見た目と機能の両立、よく考えてる」
「うん。だって、“誰かに伝える”ってことは、“迷わせない”ってことでもあるから」
崇は、少しだけ頬をゆるませた。
(この子、やっぱり芯が強い)
初対面のときから感じていた。
流行に乗らず、媚びない。けれど、人の話には静かに耳を傾け、必要なことは簡潔に返す。
(……そして、頑固)
それは、崇がどこかで“うらやましい”と思っていた部分でもあった。
崇が所属する消防団は、地域の防災訓練を担当しながらも、町の行事支援にも深く関わっている。
今回のフェスティバル――正式には「ありがとう文化再興事業」――にも、初動から協力要請が届いていた。
防災センターはその中でも、中心的な拠点となる。
災害時の対応を前提に作られたこの建物は、町の中では数少ない“風と光に耐えうる場所”だ。
「崇くんって、なんで消防団、やってるの?」
その問いに、崇はすぐには答えなかった。
マジックをボードの端に戻し、手のひらをズボンで拭いながら、ふと空を見上げた。
「……“逃げなかった大人”が、かっこよく見えたから」
「え?」
「中学のとき、近くの川が氾濫しかけて、町中の避難指示が出たんだ。
そのとき、消防団の人たちが、土嚢を抱えて走って、呼びかけて、最後まで残ってた。
みんなが逃げていく中で、“誰かを守るために動ける人”って、すげえなって」
菜央は、少しだけ目を細めた。
「……それって、今のあんた自身でもあるよね」
「いや、まだだよ。俺はまだ、何も守れてねえ」
「それって、“守らなかった”ことへの後悔?」
崇は返事をしなかった。
いや、できなかったのかもしれない。
沈黙のなかで、菜央が静かに言った。
「でもさ、“守る”って、“立ち止まる勇気”でもあるんだよ。
突っ走ることじゃない。いったん止まって、周りを見ること。
それができる人が、いちばん強いと思う」
崇はその言葉を胸の奥で受け止め、目を伏せた。
(俺は……何かを守れているんだろうか)
それとも、ただの“思い込み”で動いてるだけじゃないのか――
そんな思いが胸をよぎる。
だが次の瞬間、菜央がノートを差し出してきた。
「ねえ、崇くん」
「ん?」
「この空き店舗、“みんなの基地”にできないかな。
イベントのときだけじゃなく、日常でも誰かが使える場所。
迷ってる人が立ち寄れる、そういう空間に」
その言葉に、崇は静かに息を飲んだ。
それは彼にとって、
「誰かを守るために何をすればいいのか」
――その答えに近づくための、最初の問いだった。




