第4章「心の温度、空の色」(07)
――視点:まい
イベント前日。
朝から快晴。だが、その分だけ照りつける陽射しが強く、準備にあたる実行委員メンバーたちの額には、すぐに汗がにじんだ。
まいは、市民会館の一角に設営された「ありがとう写真展」のパネル配置を確認していた。
慎吾の手配で手に入れた簡易パーテーションに、ひとつずつ丁寧に並べられる写真。
その間を歩く人の目線を想像しながら、高さ、間隔、流れを何度も微調整する。
(“流れ”があるって、意外と写真でも大事なんだよね)
まいは、心の中でつぶやいた。
最初に目を引く一枚。
少し歩いた先で、立ち止まりたくなる一枚。
思わず誰かに話したくなる一枚――
展示というのは、単に“並べる”んじゃない。
“言葉のない物語”を空間に立ち上げる作業だった。
「なあ、まい」
背後から声がかかる。振り向くと、匠真がパンフレットを何部か持ってやってきた。
「印刷、今朝あがった。会場配布用、300部」
「おお、匠真くん! お疲れ! ……あ、ロゴ、菜央ちゃんの案でちゃんと採用されてるね。柔らかいけど芯がある感じ」
「そう。“風”と“人の想い”の両方が宿るようにしたって言ってた」
ふたりでパンフレットを確認していると、そこへ慎吾がコーヒー片手に近づいてくる。
「まいさん、会場の動線、これで大丈夫?」
「うん、ばっちり。あとは……やっぱり“沈黙の手”の写真の位置を最後にしようと思ってる。あれだけ、ちょっと“終わりじゃない感じ”がするから」
「“余韻”の写真、だな」
慎吾の言葉に、まいは静かにうなずいた。
「ねえ、慎吾くん」
「ん?」
「“ありがとう”って、声に出さないままにしてる人の方が、多くない?」
「そうだね。というより、“出せない”こともあるし、“出さなくていい”場合もあると思う。
たとえば……“今この場所に来てくれた”ってだけで、十分なありがとう、ってこともあるから」
まいはその言葉をかみしめるように頷いた。
ふと会場の外に視線を向けると、軽トラックが一台、静かに滑り込んできた。
運転席から降りてきたのは、祥平。
荷台には、昨日手入れした木の机と、丁寧にたたまれたクロスが乗せられている。
「まい」
声をかけられて振り返ると、祥平は汗をぬぐいながらも、いつもよりわずかに表情がやわらかかった。
「会場で……写真の前に、この机、置いてもいいか」
「もちろん。むしろ、置いてほしい」
「その上に、小さいメモボードを置く。“言えなかったありがとう”を書けるやつ」
まいの目が、ふっと見開かれた。
「……それ、誰の発案?」
「……俺。お前の“ありがとうは気づくもの”って言葉、ちょっと考えた。
“気づいたけど、言えなかった”って人の分も、ちゃんと残してあげたいって思った」
まいは、何も言わず、口元に手を当てた。
そのまま、ほんの少しだけ目を潤ませながら、息を吐いた。
「……やばい、それ泣くやつ」
「泣くな。設営終わってからにしろ」
「無理!」
笑いながら、涙をこらえる。
言葉よりも先に、胸の奥が熱くなった。
(この人の中にも、ちゃんと“ありがとう”はあったんだ)
(ただ、それが出てくるまで、時間がかかっただけ)
けれど、今こうして、確かに形になってここにある。
まいは、展示スペースの一角に“ありがとうメモボード”と題したスペースを設けた。
その中央に、祥平の机がそっと置かれる。
クロスの上に、ペンと紙と、小さな花瓶。
たったそれだけなのに、その空間には確かな“温度”が宿っていた。
夕方。
最終確認を終えたまいは、会場の照明をひとつずつ落としながら、最後に机に向かって立ち止まった。
用意してあったメモに、そっと書き込む。
「ありがとう、って、言わなかったけど、
あのときの野菜、すごくおいしかったです。」
それを折って、花瓶の横にそっと置いた。
誰かが読まなくてもいい。
でも、この町の空気の中に、それはちゃんと漂っている気がした。




