表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/78

第4章「心の温度、空の色」(06)

 ――視点:祥平

 イベント三日前の夕方。

  祥平は市場の裏手にある荷捌き場で、仮設屋台の位置をマーキングしていた。

 白いチョークで書いた線は、陽が落ちるとともに輪郭がぼやけていく。

  その様子を見ていると、ふと不安になる。

(……本当に、これでよかったんだろうか)

 町の人が笑ってくれるだろうか。

  誰かの“ありがとう”を受け止められるような空間になるだろうか。

  そして、自分の“ありがとう”は――誰かに届くんだろうか。

「祥平!」

 声の主は、まいだった。

  彼女は大きな紙袋を抱えて、駆け寄ってくる。

「はい、これ! 新しいテーブルクロス! あの木の机に合うやつ探したの!」

「……そんな気ぃ遣わなくていいって言ったろ」

「気ぃ遣ったんじゃなくて、合いそうな柄に“出会っちゃった”んだよ。

  そしたら、持ってくしかないじゃん」

 紙袋の中には、草木染め風の麻布が折り畳まれていた。

  落ち着いた生成色に、端だけ手縫いの赤い糸で縁取られている。

  祥平は、思わずそれを両手で持ち上げた。

「……これ、どこで」

「内緒。たぶんバレるけど」

「ありがとう」

 まいは笑わなかった。

  代わりに、少しだけ真面目な顔をして祥平を見た。

「この布さ、きっと“主張しない”からいいんだよね。

  野菜の色も、町の空気も、触れた手も、ぜんぶ受け止めてくれる感じがする」

 祥平は、視線を落としたままうなずいた。

「……お前って、不思議だな。

  なんでそんなに、“風の中”をちゃんと見れるんだ」

「風は見えないよ。

  でも、“風が動いたあと”は見える。葉っぱが揺れるし、誰かの髪が跳ねるし、

  あなたみたいに、言葉の代わりに手が動くから」

「……」

「それがあたしの仕事なんだよ、“風の痕”を撮ること。

  あなたの背中を撮ったときも、あたし、すごく風を感じた」

 言われて、祥平は黙ったまま、持っていたテーブルクロスを胸元で抱きしめた。

 しばらくして、ぽつりと言った。

「……俺さ、たぶん、父親に“ありがとう”って言ったこと、一度もなかった」

 まいは黙って待った。

「早くに死んで、病室でも何も話せなくて。

  でも、畑を継いだのも、野菜をちゃんと作ってるのも、

  本当は“その言葉”を言いたかっただけなんだって、最近ようやく思うようになった」

「……じゃあ、今、それを“届ける場所”があるって、すごいことだね」

「……うん」

「ちゃんと、言ってあげようよ。

  直接じゃなくても、形にしてさ。

  それが、誰かの“また言いたくなる気持ち”につながっていくなら、それって最高だよ」

 陽が完全に沈み、空が藍色に染まりはじめていた。

 ふたりの間を通り抜けた風が、クロスの端をふわりと揺らす。

「……なあ、まい」

「ん?」

「イベント当日、お前の写真の横に、この布、置いてもいいか」

「もちろん」

「……そんで、もし誰かが“これは何ですか”って聞いてきたら、なんて答える?」

 まいは笑いながら、肩をすくめた。

「“ありがとうが触れる場所”って、答えようかな」

 その一言に、祥平は初めて、まいの前で――

  ほんの少しだけ、はにかんだ笑顔を見せた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ