第1章「祖父の手紙と町の記憶」(03)
翌朝、匠真は早く目が覚めた。春の空気はまだ少し冷たく、吐く息がほんのわずかに白い。キッチンには誰もおらず、静けさが町の朝に広がっていた。
トーストを焼き、コーヒーを淹れながら、頭の中で今日の行動を組み立てる。
(まずは情報を集めないと。春光フェスティバルがどうやって始まって、どう終わったのか。参加してた人がいれば、話も聞いてみたい)
祭りの復活を本気で考えるには、まず“過去”を知らなければならない。感情だけでは、人は動かない。それは、母の表情を見て痛感した。
食事を終えると、匠真は祖父の書斎から古いアルバムを取り出した。昭和の頃から平成にかけての分厚い記録たち。中には、春光フェスティバルの写真が何冊も並んでいた。
パレード、出店、子ども神輿、舞台発表、農産物の直売――。
どの写真にも、町の人たちが笑っていた。
「こんなに、いろんなことやってたんだな……」
一枚一枚めくるたび、心がざわつく。人の熱意と記憶の集積。そこには、祖父の人生そのものが焼き付けられているようにさえ感じた。
と、あるページに、色あせた新聞記事の切り抜きが貼られていた。
『春光フェスティバル、第23回目開催。今年も町に“ありがとう”が溢れる一日』
(平成16年4月15日・春光新聞)
記事には、町の各所で行われた催しや来場者数、町長の挨拶と共に、祖父のコメントが載っていた。
――“人が人に感謝できる町は、きっと誰もが戻ってきたくなる場所になると信じてます”。
「……じいちゃん、やっぱり、本気だったんだな」
この言葉は飾りじゃない。新聞という“形”になっても、なお心に響く。匠真は、写真と記事をスマホで撮影し、資料として保存した。
外に出ると、町は静かだった。人通りは少なく、年配の住民が自転車でゆっくりと通りを走っていく。商店街のシャッターは半分以上閉まり、元気な声が聞こえるのはわずかな八百屋やパン屋だけ。
「春光フェスティバルが終わってから、この町も少しずつ……静かになったのかもしれないな」
だが、それは“終わり”ではない。“止まっているだけ”なのだ。匠真はそう信じたかった。
歩いて10分ほどで、図書館に到着した。平日午前の開館直後。訪れる人もほとんどいない。
カウンターの奥にいたのは、落ち着いた雰囲気の男性だった。静かに本を整えながら、匠真に気づいて顔を上げた。
「こんにちは。利用カードはお持ちですか?」
「はい。あと、町の文化イベントについて調べたいんですが……春光フェスティバルって、昔やってましたよね?」
「ええ……ありましたね。もう十五年くらい前のことになりますが」
男性は名札に「司書:神山慎吾」とあった。淡いグレーのシャツに、丸眼鏡。ゆったりとした物腰が、まるでこの建物そのものを象徴しているようだった。
「もし関連する資料があれば、見せてもらえませんか?」
慎吾は少し考えてから、静かに頷いた。
「古い記録になりますが、郷土資料の棚にいくつか残っているはずです。ご案内します」
そう言って案内されたのは、図書館の奥、閲覧スペースの隣にある郷土資料室だった。扉を開けると、古びた資料が整然と並ぶ棚が出迎えた。
慎吾は手慣れた様子で一冊の分厚いファイルを取り出した。
「こちらが、春光フェスティバルに関する記録です。町報のコピーや、開催要綱などがまとめられています。自由にご覧いただけますよ」
「ありがとうございます。助かります」
匠真はその場に腰を下ろし、ゆっくりとファイルを開いた。