第4章「心の温度、空の色」(03)
――視点:まい
翌日の午後。
まいは祥平の畑の近くにある、町の図書館で写真展示の準備を進めていた。
壁にかけたのは、大きく引き伸ばした4枚の写真。
そのどれもが、日常の中に潜む“ありがとう”を主題にしている。
・子どもが祖父の背中を押して歩く河原の道
・無言で手渡される買い物袋と、受け取る人の表情
・畑に咲いた小さな花と、すれ違う中学生の視線
・そして――“沈黙の手”と題された、祥平の背中
まいは脚立の上からその最後の一枚を見下ろしながら、思った。
(なんでだろ。あたし、こんなにあの人のこと、気になってんだろ)
それは、恋とか好意とか、そういう単純な言葉に収まるものではなかった。
彼の“無言”に、自分の“言葉”が試されるような気がした。
彼の“間合い”に、自分の“距離感”が映されるような気がした。
(……そもそも、“気になる”って、“目が離せない”ってことなんだよね)
静かにそう思ったとき、後ろから声がかかった。
「お前、まだやってんのか」
振り向くと、祥平がいた。
作業服のまま、額にはうっすら汗が残っている。
「来るなら連絡しなよ。心の準備があるでしょ」
「心の準備? 展示されるの、俺の背中だぞ。顔よりマシだろ」
「いやいや、背中ってね、人間の“素”が出るとこなんだよ? 緊張してない部分だからこそ、本音が出る。……って、写真の先生が言ってた」
「また先生の話かよ」
「うん、尊敬してたからね。今はもう写真やってないけど」
「辞めたのか」
「うん。人の“表情”ばかり撮ってたら、自分の顔がわかんなくなったって」
祥平は一瞬だけ視線を逸らし、そして写真の方へ歩み寄った。
「……これ、俺の“ありがとう”ってことか?」
「ううん、あたしの“ありがとう”だよ。
“こういう人が町にいる”って、それだけであたしが救われた。だから撮った」
祥平は、写真の中の自分の背中を見つめたまま、ぽつりとつぶやく。
「……俺は、お前のこと、まだよく知らねえぞ」
「いいよ、急がなくて」
「別に急いでるわけじゃ――」
「焦って近づくと、きっと潰れちゃう空気ってあるでしょ。
それを壊したくないから、あたしはちゃんと“遠くから見る”って決めてるの。レンズ越しでも、感じ取れるものはあるから」
祥平は何も言わずに立っていた。
ただ、展示されている4枚目の写真――
その中の“自分の背中”に、ゆっくりと指先を伸ばし、
「……悪くないな、こういうの」
と、かすかに笑った。
まいはその笑顔を見逃さなかった。
カメラを持たないときほど、人の表情はまっすぐ飛び込んでくる。
その夜、展示会場の一角に、まいは手書きの一文を添えた。
ありがとうって、
すぐには伝わらないこともある。
でも、残る。
ちゃんと、残ってくれる。




