表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/78

第4章「心の温度、空の色」(01)

 ――視点:まい

「こっちの光、すごくきれい!」

 まいはレンズ越しに朝の市場を覗きながら、小走りで露天の角へ回り込んだ。

  手前には瑞々しいトマト、その奥には土の匂いが残る根菜たち。

  その向こう、青い空と屋根の端。そこに柔らかい影が差し込んでいる。

 シャッターを切る。

 画面に浮かぶのは、ただの野菜ではない。“誰かが朝、手で並べた命”だった。

  まいはそれを“風景”と呼んだ。

「撮るたびに、“ありがとう”って気持ちになるの、なんでだろ」

 レンズを下ろして呟いたその声に、

「そりゃ、あんたがちゃんと“撮る対象に気持ちを寄せてる”からじゃないの?」

 後ろから明美の声。

  まいが振り返ると、買い物袋を持ったままの彼女が立っていた。

「おお、役場の人! 今日はプライベートですか?」

「お休みくらい私にもあるわよ。でも、気になるのよね……こういう準備の空気」

「空気、大事っすよね」

「あなた、こう見えて感覚派だけど、意外と観察力がすごいって噂になってるのよ」

「マジで?」

「“ありがとうを見つける目を持ってる”って、誰かが言ってた」

 まいは照れくさそうにカメラを持ち直した。

「でも実際、あたし自身がずっと“ありがとうを探してる”って感じなんです。“これ!”って決めきれないというか、どこまで行っても正解がない気がして」

「それでいいと思う。“ありがとう”って、たぶん“答え”じゃなくて“感応”だから」

「感応……それ、今度ポスターに使っていいですか?」

「どうぞ」

 ふたりは笑った。

 そのあとも、まいは市場を歩いた。

  ふとした拍子に目が合う人、微笑み返してくれるおばあちゃん、無言で荷物を渡してくれるおじいさん――

  どれもが“言葉じゃないありがとう”に満ちていた。

 写真に残せるのは一瞬だ。

  でも、写真を“見る人の心”がその奥にあるものを感じてくれるなら、それでいい。

 その日の午後、まいは撮影した中でも特に心を掴まれた一枚を選んだ。

  夕方の光が入り込む農作業小屋で、祥平が黙々と手を洗っている写真だった。

 泥が落ちていく指先。

  肩越しに差し込む陽。

  彼の顔は映っていないが、背中が語っていた。

「この人、たぶん言葉で語らないぶん、手で“ありがとう”を語ってるんだ」

 写真のタイトルを付けるとしたら――

  まいは画面にこう打ち込んだ。

『沈黙の手、ありがとうの背中』

 そして、展示用にデータを送信しながら、そっと呟いた。

「……なんか、ちょっとだけ、わかってきたかも。あたしにとって“ありがとう”って、“誰かを好きになる入口”なんだ」

 画面越しの光が、部屋をそっと照らしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ