第4章「心の温度、空の色」(00)
――視点:祥平
夕暮れの畑。
地平線の向こうに沈みかけた太陽が、土の上に長い影を落としていた。
祥平は額の汗を拭い、収穫したばかりの枝豆を手に取った。
ぷっくりとした鞘に、指先が自然と感触を覚えている。
この“実感”がなければ、野菜は育てられない。
いや、育てる気になれない――と、祥平は思っている。
「うわ、めっちゃいい匂いする!」
不意に背後から明るい声。
振り返ると、まいがカメラを首から提げて立っていた。
「……お前、また勝手に入ってきてんのか」
「え、だってここ開いてたし。“見ていいよ”って書いてあったし」
「“収穫物には触らないこと”ってのも書いてあるだろ。あとこれ私有地」
「見てるだけ! 見てるだけだから!」
カメラを構えるまいに、祥平はため息をついた。
だが、まいは悪びれもせず、夕陽の中に佇む祥平の姿を“カシャリ”と撮った。
「今のすごくいい。汗も手の泥も、すごく“人間”って感じがする」
「……野菜撮りに来たんじゃねぇのかよ」
「野菜も撮るけど、人も撮る。“誰がどう作ったか”って、私の中じゃめちゃくちゃ大事」
祥平は、もう一度ため息をついた。
だが、それはどこか諦め混じりの“許容”だった。
「それにしても、祥平くんってさ、全然笑わないよね。真面目というか、なんというか」
「笑う必要があるときだけ、笑えばいい」
「もったいなー。いい顔してんのに」
「……そっちは、喋りすぎなんだよ」
ふたりの会話は、どこか噛み合わない。
だが、奇妙に“ほどけない糸”のような緊張感が、そこにはあった。
「このあいだのミーティングで、野菜販売だけじゃなくて、“体験型展示”にしたいって話、聞いた?」
「聞いた。無理だって言った。そもそも、俺んとこで人呼んだって売るもんそんなにねえし、準備も面倒だし、第一、誰が接客するんだよ」
「祥平くん」
「……絶対いやだ」
「笑顔で“いらっしゃいませ”って言ってくれたら、ファンつくよ?」
「それこそ絶対いやだ」
まいはくすくす笑いながら、カメラのシャッターを切る。
そして、カメラを下ろしてから、少しだけ真剣な顔になる。
「でもね、本当のこと言うと、あのとき……あなたの野菜を食べて、思い出したんだ。“おいしい”って、“感謝”とめっちゃ近い言葉だってこと」
「……は?」
「うち、親父が料理人だったんだけど、何食べても“どこがどう良かったか”聞かれた。で、答えられないと怒られた。味って感情だから、言語化がむずかしい。だけど“ありがとう”って言えば、それで通じた」
祥平は言葉を失う。
その横顔には、陽が当たっていた。
でも、そこに揺れていたのは、光ではなく“温度”だった。
その夜、祥平は家の縁側に座っていた。
祖母が淹れてくれた麦茶をすすりながら、まいが撮った写真をスマホで眺めていた。
畑の中で、無言で野菜を見つめる自分。
何気ない風景。
だが、そこには確かに“何かを大切にしている”顔が映っていた。
(俺は……何に“ありがとう”を感じてきたんだろうな)
風が、カーテンをそっと揺らした。




