第3章「つながりの扉をたたく」(10/End)
――視点:奨
開催二週間前の日曜。
午前八時。春光町の朝は少しひんやりしていて、それが「何かが始まる気配」をまとっていた。
奨は駅前広場の清掃に参加していた。今回は、実行委員メンバーではなく、町内会の人たちと並んでほうきを握っている。
「よーし、これで端はだいたい片付いたね」
そう言ったのは、町内会副会長の中年男性。
春光生まれ春光育ちの元バス運転手で、ぶっきらぼうだが誰よりも朝に強い。
「若いのがこうやって顔出すのは、ほんとえらいよ。昔のフェスんときもな、最初は“若造に何ができる”って言ってたが、結局そいつらの熱で町が一回、明るうなったんよ」
「……聞いてます。15年前、俺、小学生だったんで、実はちょっとだけ記憶あるんです。ステージでお菓子投げてた光景とか」
「はっは、あったなそれ。あのステージ、トラック改造してな」
記憶が記憶を呼び、言葉が人を引き寄せる。
奨はその感触が、すでに“フェスのはじまり”だと思っていた。
午後、古民家スペースでは最終調整の会議が開かれていた。
「“ありがとう文庫”の配置図、もう一度だけ確認してほしい。リクエスト棚のエリアに加えて、“誰かに届けたい一冊”ってテーマで設けた推薦棚、5名分だけでも本とカードが間に合えば展示できる」
慎吾の言葉に、明美が頷く。
「それ、町長も見に来るって言ってたわ。“ありがとう”の言葉が“知”になる。行政的には好印象」
「……あの人、“好印象”って言葉、絶対会議でしか使わないですよね」
まいがぼそっと漏らすと、その場に控えめな笑いが生まれた。
「ごめんなさい、発言記録に残しませんから安心して」
「残してもいいけど消されると思います」
「それより、こっち!」
と、葵が持ち出してきたのは、完成したロゴデザインとポスター案だった。
風がひとつの場所から生まれ、誰かの肩に触れながら、遠くの窓へと抜けていく絵。
そのすべてを、筆一本で描いたという。
「……これは、“町の輪郭”だな」
奨が小さく呟いた言葉に、誰もが頷いた。
言葉で伝えるにはまだ不器用な思い。
声に出すにはまだ気恥ずかしい感謝。
それらが、絵として、物語として、町の中に点在していく。
「“ありがとう”って、届けるものじゃなくて、“気づくもの”だったんですね」
「うん。“気づけるように空気を整える”のが、たぶん、私たちの仕事なんだよ」
葵のその言葉に、明美がそっと頷いた。
会議が終わり、資料を片付けるなかで、誰ともなく立ち上がり、外の風に当たりに出る。
夏の終わり、秋のはじまり。
そのあわいの季節が、町を静かに包んでいた。
「奨」
「ん?」
「お前さ、このフェスが終わったら、何するん?」
匠真がぽつりと聞いた。
それは、未来を問うというより、現在を確かめるような言い方だった。
奨は少し黙ってから、静かに言った。
「……また誰かが、“扉をたたいたら”、一緒に開けに行くよ」
そして、最後の最後に。
風の在処の入口に置かれる一言メッセージボード――
そこに、奨は自分の字でこう書いた。
「ありがとうは、声じゃなくても届くって、
この町が教えてくれた。」
春光町の空に、やわらかい風が吹く。
その風は、もう一度、誰かの心に届くために――
第3章「つながりの扉をたたく」完




