第3章「つながりの扉をたたく」(09)
――視点:奨
金曜の夕方。
奨は文化課の応接室で、厚めの封筒を手渡した。
「申請書類、正本です。構成確認・予算内訳・安全管理・全体スケジュール・協賛先一覧・署名済みの同意書、全部入ってます」
明美は封筒を受け取り、ざっと重みを確認した。
「よくここまで……ここ最近の学生って、ここまでやる?」
「“今”の学生はどうか分かりません。“俺たち”がやるってだけです」
「……いい返しね」
明美の笑みに、奨は少しだけ肩の力を抜いた。
彼女の表情は、ほんの数週間前とは別人のように柔らかくなっていた。
きっと、行政としての“責任”を背負いながらも、同じだけ“覚悟”を持ったのだと、奨は感じていた。
「これで、あとは本番を待つだけ……だな」
「いいえ。ここからが“実質の本番”よ。事務手続きは“準備”にすぎない」
「知ってます。“感謝は段取りじゃなくて、空気で伝えるもの”ですよね」
「誰の言葉?」
「俺の……でも、パクったかもしれません」
明美は、吹き出すように笑った。
「……あなたたちのような若い人が、役場に来てくれる日を、ずっと待ってたのかもしれない」
「そうですか?」
「ええ。ずっと“何かしたいけど何から始めていいか分からない”っていう人たちを、こっちから受け止めに行けなかった。怖かったのかも。“何かあったらどうする”って、言い訳にして」
「……じゃあ、俺たちの方から、扉を叩いて正解だったってことですね」
「ええ。“叩かれたから、開けられた”。本当に、ありがとう」
“ありがとう”。
その言葉が、改まって聞こえたのは、ここ数日でも珍しかった。
それはきっと、ただの礼ではない。
過去への弔いであり、今への共感であり、未来への約束でもあるのだ。
「お返しは、ちゃんと現場で返します。町の人が、“やってよかった”って言ってくれるように」
「……期待してるわ、“町の未来の責任者”くん」
冗談めかしたその呼び方に、奨は軽く頭をかいた。
役場を出た帰り道、駅前広場を通りかかると、懐かしい声がした。
「おーい、奨!」
振り返ると、まいが手を振っていた。
その横には菜央もいて、なにやら厚紙を抱えている。
「今からちょっと試作品見てほしいんだけど!」
「今?」
「今!」
連れられるように小さな空きスペースへ入ると、そこには大きなボードが立てられていた。
その上には――
『あなたの“ありがとう”を、風にしてください。』
と書かれた文字とともに、大小さまざまな色紙が貼られていた。
「これ……」
「“ありがとうボード”。マルシェや展示会場の入り口に置いて、来た人がその場で“ありがとう”を貼れる。無記名でもいい。“誰か”でも、“何か”でも、書きたくなったら書いてもらう」
「投稿っていうより、“預ける”って感じにしたかったんだよね」
まいの言葉に、奨は静かにうなずいた。
「いい。“届ける側”じゃなくて、“預かる側”。これは……町が町に耳を澄ませる装置だ」
「……それ、パンフレットに使っていい?」
「もちろん」
三人は並んでボードを見つめた。
風は、言葉を乗せて、静かに町をめぐる。
そこにあるのは、見えないけれど、確かに“つながり”の輪郭だった。




