第3章「つながりの扉をたたく」(07)
――視点:奨
「……で、結局この“ありがとうマルシェ”、場所はどこにすんの?」
金曜の朝、祥平が腕を組みながら、旧・朝市通りの交差点を見渡していた。
「ここと、もう一本隣の小道も候補にしてる。でも、車両通行と搬入ルート考えると、あっちの方が安全かもな」
奨は図面を見せながら答える。2人の足元には、昨日の雨でできた小さな水たまりが残り、それを避けるように地域の高齢者がゆっくりと歩いていく。
「……人、来るかな」
祥平がぽつりと漏らす。
「来るよ。いや、俺たちが“来たくなる場”にしないとダメなんだ」
「それがな……難しいんだわ」
祥平は、農作業で日焼けした腕を組んだまま、小道の先に目をやった。
その視線の先には、かつて八百屋だった店舗のシャッターが半分だけ開いている。
埃の匂いと錆の音。
「かつて町だったもの」が、そこには確かに残っている。
「俺さ、“売るための場”には興味ないんよ。“人と喋れる場”にしたいだけなんよな」
「……じゃあ、それでいいじゃん」
奨は即答した。
「え?」
「“売り場”じゃなくて“語り場”。“販売”じゃなくて“会話”。ありがとうマルシェって名前に、“商売”じゃなくて“気持ちのやりとり”を組み込もう」
「気持ちのやりとりって、お前……そういうの苦手なやつの方が多い世の中やぞ?」
「……だから、やるんだよ」
そう言って奨は、リュックからメモを取り出した。
そこには、町の人々の「ありがとうの瞬間」が手書きでびっしりと書き込まれていた。
「“野菜もらって助かりました”“知らない人が荷物持ってくれた”“道端の花に元気もらった”……これさ、“誰かに感謝してる”ってより、“日常のなかの小さな灯り”なんだよな」
「……それを“並べる”んか?」
「うん。並べて、見てもらって、語ってもらう。もちろん野菜も売っていい。でも、それだけじゃない。“売ることで生まれるありがとう”と、“売らないけど届くありがとう”、両方並べるマルシェにしよう」
祥平は笑った。
「……そういうの、思いつくやつが町にいるってだけで、ちょっと希望だわ」
「そう思ってくれる人がいれば、俺は十分」
ふたりは、歩き出す。
通りの端には、小さな公園がある。子どもたちの声が遠くに聞こえ、川の流れがやけに穏やかに見えた。
「なあ、奨」
「ん?」
「お前、なんでこんな真剣なん?」
「またそれ?」
「いや、マジで。“ありがとう”を広めるために、大学休んでまでやってるやつ、他に知らんからさ」
しばらく沈黙があった。
そして、奨は静かに答えた。
「……俺、小さい頃に親父を事故で亡くしててさ。母親、フルタイムで働いて、兄貴もバイト漬け。俺は、なんもできなかった」
「……」
「でもね、そのとき町の人たちが毎日、なにげなく助けてくれてたんだ。“野菜余ったから持っていきな”“寒いやろ、これ羽織りな”とか、そんな小さな優しさの積み重ねで、生きてこれた気がする」
「……なるほどな」
「だからさ、俺にとっての“ありがとう”は、“受け取ったままにしておけない”ものなんだ。回さないと、自分の中で腐っちゃいそうになる」
祥平はふっと笑って、奨の背中を軽く叩いた。
「お前さ、それ、マルシェでスピーカー持って言え」
「絶対言わない」
「なんでやねん」
「照れるからだよ!」
笑い声が交差する。
春光町の空は、少し高くなっていた。
そして、ふたりの立っていた歩道の端で、一輪の菜の花が風に揺れていた。




