第3章「つながりの扉をたたく」(03)
――視点:明美
明美は、自宅のダイニングテーブルの上に積み上がった書類の山を前に、湯気の立つカモミールティーを手に取った。
日付はすでに変わっている。窓の外では、住宅街の灯りがぽつりぽつりと落ち、町が眠りにつこうとしていた。
奨の言葉が、まだ頭の中に残っていた。
「失敗を、“忘れる”のとは違う。“受け継ぐ”んです。そして、“更新する”。」
その一言が、妙に心にひっかかっていた。
(……あのとき、私たちは“忘れようとした”のよ)
10年前、春光フェスティバルが終了を迎えたとき。
予算オーバー、来場者のトラブル、怪我人の発生、天候による中止――
いくつもの小さな問題が積み重なり、“成功の記憶”よりも、“失敗の記録”が上回った。
文化課に寄せられたクレーム。
責任の所在を問う議会の質疑。
その度に、自分の仕事が“町にとって迷惑だったのではないか”という後悔が膨らんだ。
「もう、やめましょう。イベントはリスクが大きすぎる」
そのとき、自ら口にした言葉。
それは、町の未来ではなく、“自分を守る”ための言葉だったのかもしれない。
だが――
(あの子たちは、今……“始める”って言ってる)
しかも、“過去に負けないように”じゃない。“過去を受け止めて”、そのうえで自分たちのやり方で前に進もうとしている。
ティーカップの中で揺れる液面に、彼らの姿が映るような気がした。
(町の責任って、何かしら)
それは、“失敗しないこと”ではなく、“挑戦を止めないこと”ではないか。
明美は、ふと立ち上がり、棚から古いファイルを取り出した。
『春光町文化推進モデル・中間報告書(2013)』
そこには、かつて明美自身が執筆に関わった、春光町文化事業のあり方を示した計画草案が綴られていた。
――住民の自主性と行政の安全保障が、手を取り合うしくみ。
――町の“風土”を尊重した非営利型の支援モデル。
――失敗をリスクと捉えず、“蓄積される知見”として残す発想の転換。
(……これ、できなかったのよね)
やれなかったのではない。
やる勇気が、自分たちにはなかった。
それを、今、若者たちが――
「俺たちが背負います。逃げませんから」
明美はファイルを閉じた。
そして、PCを開き、町内イントラネットにログインし、関係各所への連絡フォームを起動する。
――件名:【新規協議申請】春光町連携文化事業の復活について
――添付:旧計画書案/若者主導連携モデル案
――送信先:町長、副町長、教育委員会、消防、防災、安全対策課、町議会事務局
「関係各位へ。若者による新たな挑戦が始まろうとしています。
町がその背中を押せるかどうか、それが今、問われています。」
送信ボタンを押したその瞬間、明美の中で10年止まっていた何かが、音を立てて動き出した気がした。
過去を記録するだけの行政から、未来に橋をかける行政へ。
(――次は、私が扉をたたく番)




