表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/78

第2章「風に乗ってくる声」(01)

 ――視点:紬葵

「へぇ……あなたが匠真くん。真一さんのお孫さんだったのね」

「はい。祖父の書斎から、手紙を見つけたんです。“ありがとうを形にする町にしたかった”って」

 放課後の美術室には、ゆっくりとした時間が流れていた。葵は、職員室から持ってきた紙コップのカフェオレを匠真に差し出し、自分も一口すする。

 窓の外では夕陽が差し始めていた。スケッチブックの山、乾いた絵筆の束、壁に飾られた生徒たちの作品たち。その中で、匠真の言葉だけが、異質に、しかし心地よく響いていた。

「それで……春光フェスティバルを復活させたい、と?」

「はい。……まだ具体的には何も決まってないんですけど。でも、何かを始めなきゃ、きっと何も変わらないままで終わっちゃうから」

 まっすぐで、少し不器用な語り口。

 それを聞きながら、葵はふと、昔の自分の姿を思い出していた。

「ねぇ匠真くん。あなた、誰かに“感謝を伝えたかったけど伝えられなかった”ことってある?」

「……あります。祖父です」

 すぐに返ってきた答えに、思わず息をのむ。彼は、言葉にすることを恐れていない。たとえそれが、自分の未熟さや後悔だとしても。

「亡くなったとき、俺、何もできなかったから。だから……その分も込めて、やりたいんです。あの人が見たかった町を、俺の手で少しでも形にしたい」

 葵は、その目をじっと見つめた。

(きっと、私はこの目を知っている)

 十五年前のフェスティバル、まだ自分が学生だった頃。町の広場に張り出された巨大なキャンバスに、思い切りペンキをぶちまけていた自分。その横で、小さな男の子が絵を見上げていた。母親の手を握りながら、笑っていた。

(もしかして……あれがこの子だったのかもしれない)

「……ねぇ、匠真くん」

「はい?」

「私ね、実はあのフェスが終わってから、一度もちゃんと絵が描けてないの」

 その言葉に、匠真の目がわずかに見開かれた。

「えっ、でも……先生は美術の先生ですよね?」

「うん。だから“描いてはいる”の。でも、あの時みたいに、“心のままに描く”ってことが、できなくなった」

 葵は笑ってみせたが、それはどこか寂しさを含んでいた。

「大人になるとね、どうしても“描くこと”に意味や役割を求めちゃうの。“上手く描かなきゃ”とか、“見せなきゃ”とか。そうしてるうちに、自分のペースが崩れてきちゃって」

「……それ、わかる気がします」

 匠真はうつむき、少し考えてから言った。

「俺も、祖父の夢を受け継ぎたいって言いながら、正直、怖かったんです。“ちゃんとやれるのか”って。誰かに笑われたらどうしよう、とか。けど、やっぱり諦めたくなくて」

 葵は、その言葉を受けて、ふわりと微笑んだ。

「そういうの、大事だよ。怖さって、本気の証だから」

 夕陽が、教室の壁に長い影を落としていた。

「私でよければ、少しだけ手伝ってもいいわよ。なんだか、久しぶりに“ちゃんと描きたい”って気持ちが出てきた気がするの」

「……本当ですか?」

「本当。でも、私のペースでね。私はね、誰かの“ありがとう”を無理に演出するんじゃなくて、そっとすくい上げたいの。そういうのを絵にできたらいいなって、今は思える」

 匠真は、大きく頷いた。

「……ありがとうございます。ほんとに、ありがとう」

「うん。“ありがとう”って、言われると、なんかあったかいよね」

 ふたりは顔を見合わせ、笑った。

 その瞬間、春の風が窓から吹き抜け、机の上のスケッチブックがふわりとめくれた。

  そこに描かれていたのは、生徒の手による、町の風景。

 まだ色も線も不格好だけど、それがなぜか一番、町らしく見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ