第1章「祖父の手紙と町の記憶」(12)
春光町の夜は早い。
商店街の明かりがひとつ、またひとつと消えていくなか、匠真は古民家の軒下に腰を下ろしていた。手元のランタンが淡いオレンジ色の光を投げ、夜風に揺れる枝の影が壁に映る。
奨からは「今日の報告をまとめたPDFを送ったぞ。LINE見とけよ!」とメッセージが来ていた。スマホの画面に表示されたのは、奨の知人がデザインした暫定ロゴ案と、「ありがとうプロジェクト」というタイトル。
思わず口元が緩む。
「奨、やっぱすげえな……」
彼のように、行動力があって、周囲を巻き込む力のある仲間がいることが、これほど頼もしいとは思っていなかった。
匠真はロゴ画像を眺めながら、ふと、そのタイトルに違和感を覚えた。
(“ありがとうプロジェクト”……悪くない。でも、なんだろう)
自分の中にある“ありがとう”は、もっと個人的で、もっと繊細で、もっと日常に根ざしているものだった。
「プロジェクト、じゃないんだよな。もっと……」
言葉を探すように夜空を見上げる。星が静かにまたたいていた。
「……気配、みたいなものなんだよ。“ありがとうの気配”」
それは、声に出されなくても伝わるもの。表情、視線、行動の中に滲み出るもの。祖父がそうだった。何かあるたびに「ありがとう」と言っていたが、言葉以上に、その所作に、温もりがあった。
(言葉よりも、心が先にあった)
そう気づいたとき、ひとつのフレーズが頭に浮かんだ。
――「光に溶ける、風の在処」
祖父が晩年、よく口にしていた言葉だ。
「風は見えないけど、確かに吹いてる。ありがとうもそうだ」と。
風の在処。そこに“誰かの思い”が残っている。
「……これだ」
匠真は、ノートの最後のページを開いて、そこに丁寧に書き記した。
『ありがとうの在処』
人が誰かに向けて、小さくても確かに伝える気持ち。
それは、声ではなく、表情や仕草や、時に沈黙のなかにさえ潜む。
この町に、それを残すために――
気がつけば夜も更け、星の数が増えていた。
遠くで川のせせらぎが、町の眠りを守るように響いていた。
匠真は立ち上がり、軒下のライトを消す。
「明日も、動く。誰かの“ありがとう”が、ちゃんと届く町にするために」
静かな誓いを胸に、匠真は夜道を歩き始めた。
まだ始まったばかりの物語。
けれど、すでにその歩みは、過去と今と未来を、確かにつなぎはじめている。
第1章「祖父の手紙と町の記憶」完




